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#027 転換期

 帰宅した僕は、部屋の隅にあった段ボール箱から「油膜取り」のスプレーと比較的きれいなウエスを引っ張り出した。そして軽い気持ちでガラスを擦ってみたが、フロントガラスの油膜はなかなか落ちなかった。


「仕方がない……。本気でやるか――」

 僕は自分に言い聞かせるように呟くと、着ていたトレーナーを脱いだ。Tシャツ一枚ではまだ少し肌寒さはあったが、カラダはすぐに温まるハズだ。

 僕は頬ずりするくらいにガラスに顔を近づけると、ウエスを握る指先にチカラを込めた。



 仲間を捜してるんです――。


 不意にあの日の神藤の台詞が頭を過ぎった。

 神藤についてはさっきから気にはなっていたのだが、あまり考えないようにしていた。と言ってももともと彼のことはほとんど何も知らない。

 彼とは一度会ったきりで、それほど大した話をしていない。仲間になれと突然言われて曖昧に断っただけだ。

 ただ、彼が着ていたスイングトップに描かれた"HONMOKU REUNION"という名前。「HONMOKU」が「本牧」を指しているというのはたぶん間違いない。

 そして「この場所」で見た"HONMOKU REUNION"のステッカーが貼られたRGの存在。

 ステッカーが確認できたのはあの一台だけで、他の単車には貼ってあったのかすら見ていない。

 だけどあの単車の持ち主、いやココの前の居住者が神藤の仲間だという可能性は高いように思う。そしておそらく「この場所」は彼らのかつてのたまり場であって――。


 ソコまで考えたところで僕は考えるのを止めた。

 あの日、僕は神藤の誘いを断った。曖昧ではあったが確かに僕は断った。

 なのにソトボリを埋められたような気分になるのは僕の考え過ぎなんだろうか。僕の意志とは関係なく彼らのチームの末席に加えられてしまったようなこの胸騒ぎは気のせいなんだろうか――。


 僕はまた、ため息を吐いた。

 ガラスを磨く手を止め、ウエスを放り投げ、流しの縁に腰を預けた。

 気合い十分で油膜落としを始めた僕だったが、何だかすっかり気持ちが萎えてしまった。


 神藤とはあの甲州街道沿いのファミレスで話をして以来、一度も顔を合わせていない。言葉を交わしたのは後にも先にもあのときだけ。

 それまでも大垂水で走っているのを見かける程度だったから特に不思議はないのかもしれない。

 だけどファミレスで会った日、彼は僕がソコにいることを知ってて来たのだと、いまでも僕は思っている。少なくとも「駐車場にクルマがあるのが見えたので」という彼の言葉は真実ではない。

 じゃあどうして「そんなツマラナイ嘘を吐いたのか?」という話になるが、それが僕には皆目見当がつかない。そしてわざわざソコまでして僕に会いに来ながら、その後はまったく接触してこないということも腑に落ちない。いくら考えてみても頭に浮かぶのは、神藤の中性的ともいえる整った顔だちと静かな笑み、そして凍り付くような眼差しだけで……


「ん……?」

 足元に何かを見付けた。

 僕はしゃがみ込んでソレに顔を近づける――。

「なんだよ……」

 思わず声が出た。それはみずみずしさを失ったタマネギだった。

 前夜の焼き肉パーティーの残滓を目にして、憤りと同時に寂しさを感じる自分に少し驚く。僕の中で少しずつ「何か」が変わっていってるような気がして軽い自己嫌悪に陥った。

 僕はすっかり干涸らびたタマネギをつまみ上げると、指先で丸めてゴミ袋に向かって弾きとばした。



 


***


 東名高速道路上りの港北パーキングエリア。

 間もなく日付が変わり、水曜日になる。待ち合わせの時間まであと僅かだったが、富井の姿はまだない。彼は遅刻の常習犯でもあった。

 水曜日の恒例行事となりつつある、熊沢主催の走行会。僕らのチームからは祐二、樫井と僕が参加していたが、最近では富井も参加するようになっていた。

 彼が参加することについては僕も異論はない。一応速く走りたいという向上心みたいなモノは持ってるみたいだし、特別足手まといになるような存在でもない。

 ただ、あの居酒屋での一件以来、どうにも富井という男が信用ができなくなっていた。

 酒が入っていないときの彼がいい奴過ぎるだけに、余計に疑り深くなって――


「もう慣れた?」


 振り返ると祐二が僕の方を見ていた。

 車止めのパイプにもたれかかったままジーンズのポケットに手を突っ込んで、いつもと同じ柔らかい笑みを浮かべている。

「何がよ」

 僕は独り言のように呟くと彼から目を逸らした。

「ナニがって……新しい家に決まってるだろ」 

 まったくノリが悪い奴だな――。

 僕は背を向けたままだったが、祐二の苦笑いが見えるようだった。


 引っ越してから二週間が経っていたから家での生活にはだいぶ慣れてきた。通勤についても幾つかの裏道を発見していたからさほど苦痛は感じていない。

 唯一気がかりがあるとすれば、未だに隣人に挨拶をしていないと言うことくらい。

 この二週間のあいだ、毎日のように隣室の窓に灯りがないかをチェックしている。しかしソコに灯りが点ることはなく、未だに彼(もしかしたら彼女かもしれないが)と顔を合わせる機会に恵まれていない。

 本当に住んでるのか怪しく思えるくらい、物音ひとつしない。ちょっと不気味だ。


AA63このクルマ、長いよな……」

 祐二はそう言って僕のAA63を顎で指した。

「何年乗ってる? 最初に会ったときには乗ってたよな、確か」

「もう五年……六年だったかな」

 僕は指折り数えながらそう言った。高校三年のときから乗ってるから僕の普通免許の年数と同じ……つまり、僕はこのクルマしか乗っていない。

「ふ~ん」

 祐二は言った。これ以上ないくらいに感動の薄いリアクションだと思った。

 僕はパーキングの入口に目を向けたが、富井はまだ姿を見せなかった。そろそろ来てくれないと熊沢との約束に間に合わなくなるかもしれない。


「おれは三年半だ」

 祐二が呟いた。

「何がよ?」

「ハチロクだよ。最初は赤黒だったじゃん。で現在いまの青にオールペンしてから丸三年経った」

 そう言って祐二は指を三本立てた。

 祐二がオールペンした時のことは僕もよく憶えていた。

 当時の営業所長が激怒して、祐二を暴走族呼ばわりして会社への乗り入れを禁止したことから、メカニック全員のボイコットに発展した――という事件は、本社から役員が駆けつけるほどの騒ぎになった。

 あのころ決してまとまりがあったわけではない僕らメカニックたち。それが祐二の側について一枚になったのは、当時のリーダー格だった大江さんの存在が大きかった。

 メーカーが主催するメカニックの「技能コンテスト」で入賞経験もある大江さんは、本社でも一目置かれる存在であったためか、最終的には所長がどこかの最果ての営業所に左遷とばされることで決着がついた。

 そして大江さんも所長の移動と前後して辞表を提出した。本人は「親父が倒れたから実家に戻るわ」と笑っていたが、それが彼なりの「混乱に対する」ケジメの付け方だったのだろうと僕らは理解していた。最後まで未練がましくブツブツ言っていた前営業所長とは大違いだと、妙に感心した記憶が僕にはあった。


「――おれもエンジンには手を入れてないんだけどさ――」

 僕が昔を振り返っている間も、祐二は一人で喋り続けていた。

「足回りも含めたセッティングなんかは自分で微調整しながら仕上げてきたから完全に"オレ仕様"になってるし、なにしろカタチが気に入ってるんだ。でも――」

 祐二は何かを言いかけて口を噤んだ。「でも」に続く言葉を呑み込んだ。


「でも?」

 僕は続く言葉を催促した。

 祐二は僕を一瞥すると、口元を弛めて「そろそろ限界かな、とも思ってる」と呟いた。

 重い口を開いた彼の顔には笑みが浮かんでいた。しかしまったく嬉しそうには見えなかった。


「正直言ってコイツじゃあのケンメリには歯が立たない。さすがに向こうとはパワーが全然違うよ」

 もちろん技術もなんだけど――。

 祐二はそう言って下唇を突き出した。

「でも、パワーがあればいいってわけじゃ――」

「そんなことはわかってるよ」

 祐二は僕を遮り、言葉を続けた。

「パワーがあっても、それを乗りこなせる技術がなければ意味がないってことくらいわかってるつもりだ。だけど技術があったとしても非力なクルマじゃあいつには勝てない。ま、早い話がどっちが手っ取り早いか、てことなんだが……」

「乗り換えるのか?」

 僕はストレートに訊いた。

「いや迷ってる。つうか悩んでる。つうかホントに気に入ってるからな……」

 祐二は独り言のように小さな声で呟いた。

 そんな彼の顔を覗き込んだ。

 祐二という男を、僕はよく知ってるつもりでいた。

 もともとはそれほど親しい間柄ではなかったが、祐二という男は「上っ面に見えてるものが全てで、裏表のない」という典型的なタイプなんだと思っている。

 そんな彼が「悩み」なんて言葉を口にするのは初めて聞いたような気がする。

 やがて祐二は僕の視線に気付いたようで、さりげなく顔を背けた。


 そのとき甲高い排気音が聞こえてきた。

 パーキングの入口に目を向けると、パッシングしながら近付いてくるクルマが見えた。



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