#022 Patrol
ようやく暖まってきたな……。
就業時間を過ぎた真っ暗な駐車場で、僕はAA63のインパネを見つめながら独り息を潜めていた。
エンジンの回転数は落ち着いてきている。その代わり、さっき買ったばかりの缶コーヒーは、握りしめた両手の中ですっかり冷めてしまっていた。
僕はルームランプを灯し、道路地図を広げた。
指先で地図を辿りながら、頭の中ではルートを組み立てていく。
ま……ざっと、一時間半くらいか――。
組み立てたルートを頭の中で確認し、僕は地図を閉じた。
残業で遅くなった仕事帰り、駐車場からいつもとは反対方向に出た僕は、小さな工場の建ち並ぶ路地を抜け、佐江戸の交差点を左に曲がり中原街道へと入った。
ターボタイマーの液晶には11:07と表示されている。いつもより三時間くらい遅い時間だ。
そのいつもよりたっぷり長く会社にいた時間、僕は……というより僕らは、直属の上司に当たるカキタに説教されていた。
カキタの僕らに対する"説教"は日常茶飯事ではあったが、感情を表に出しすぎる彼の言葉は何一つ僕の胸には響かなかった。ただヒステリックに喚いているようにしか見えず、滑稽を通り越して憐れみさえ感じるほどだった。
暗闇の中に延びていく中原街道。僕は暗がりに目を懲らしながら、ゆっくりと川崎方面に向かっていた。いつもなら脇目もふらずに駆け抜ける道を、よそ見をしながら走っていく。
千年の交差点を左に曲がり、中原街道に別れを告げ、第三京浜の下をくぐり、市民プラザの前を抜け、梶が谷駅前を通り過ぎる。国道246号線と交差する梶が谷の信号を黄信号で通過すると、そこから神木本町方面に向かい、宿河原駅入口から府中県道に出て、向ヶ丘遊園駅方面に向かった。ゆっくりと、時折ブレーキを踏みながらフラフラと。
やがて京王稲田堤駅を過ぎたところで僕は路肩に車を寄せ、サイドブレーキを引いた。
やっぱ……ムリがあるかもな――。
すっかり冷め切った缶コーヒーに口を付け、僕はため息をこぼした。
最近、仕事帰りの日課になっているパトロール。自力で手頃な倉庫をさがしてみようと始めたのだが、思っていたほど簡単なことではなかった。もっとも闇雲に走り回っているだけだから仕方のないコトなのかも入れないが。
当然、吉見からも幾つかの物件を紹介されている。
しかしどれも僕の気持ちを動かすまでには至っていない。だいたい彼の持ってくる物件は「倉庫」ではなく、「物置が付いた貸家」といったものばかりで、それ自体が僕のニーズとは大きくかけ離れていた。
家探しをはじめてから既にニヶ月が経過している。年が変わり、もうすぐ三月になる。
さすがにそろそろ本気で見つけないといけない。
そして何よりも、探し始めた頃のイキオイに翳りが見えてるような気がして、それが余計に僕を焦らしていた。
***
「ん? なによ。家でも買うのか――」
目ざとい祐二が肩越しに覗き込んできた。
週末の走行会、休憩で立ち寄った国道沿いのコンビニで、僕は何の気なしに住宅情報誌を手にしていた。
「いや……家を出ることになったんだ」
僕は住宅情報誌の表紙の「賃貸」の二文字を指先で叩くと、雑誌に目を戻しパラパラとページをめくった。
しかし相変わらず興味のそそられる物件はまるで見当たらなかった。吉見の言うとおり、僕が希望する物件は「住宅」としては認知されていないということなのだろう――
「……なんで家出んの?」
顔を上げると、祐二が不思議そうな目で僕を見ていた。
「だってラクだろ、いまの方が」
どう考えてもさ――。
「ま、なんとなく……」
僕は雑誌を棚に戻すと曖昧に言葉を濁した。出て行けと言われたとはさすがに言い出しにくかった。
「引越先が決まったら、一回くらいは招待するよ」
僕は心にもない台詞を口にした。彼らをもてなす自分がまったく想像できなかった。
コンビニを出た僕らは、祐二を先頭に国道246号線を西へ走り出した。
僕らは箱根に向かっていた。
隔週で集まる週末の走行会だったが、下り方面に行くのは三ヶ月ぶりだった。
最近では首都高に行く頻度が圧倒的に高くなっている。
隔週末の定例走行会の他にも、僕と祐二は毎週水曜日には熊沢に誘われ首都高に通い詰めている。
そんなわけで祐二と顔を合わせる機会は増える一方だったが、チーム「九蓮宝燈」としては参加者が徐々に減ってきていた。
いまでは祐二と僕、そして樫井、富井、湊くらい。他の奴らは気が向いたときには顔を見せるが、それ以外は音信不通……まあ、祐二とは連絡を取ってはいるのだろうが。
そして松井はあの事故の一件以来顔を見せていない。それによって何か困ることがあるのかと言われればナニもないが、参加しないことが「僕への当てつけ」のように感じるのは、気のせいばかりではないはずだ。
秦野市の市街地を抜けると、とたんに人家は疎らになり、アップダウンのあるRの大きいカーブが続く。
寄の信号を過ぎたところで「原付+ノーヘル」の高校生らしき集団を見かけた。
あまりセンスを感じさせない彼らだったが、以前にもこの場所で同じ様な集団を見かけたことがあるから、ココではあのスタイルは珍しくないのかもしれない。
やがて国道246号線と別れ、国道255号線に入った。
程なく現れた東名の大井松田インターの手前を右に曲がると、片側一車線の長い直線が続く。このまま真っ直ぐ進めば大雄山の駅がある。
//――マーリンさん、ドコに向かってるスか――//
樫井の声だった。
//――箱根ですけど、今日は裏道で行きますんで――//
途中から先頭に立っていた湊がそれに答えた。
しかしガラガラの国道を避け、わざわざ遠回りすることのメリットが僕には理解できなかった。
湊は「マーリン」と呼ばれるようになっていた。それまで「マーリン」を名乗っていた樫井が「カッシーニ」と呼ばれるようになったことによる改名だったわけだが、湊はオサガリの名前を何の抵抗もなく受け入れていた。
酒匂川に架かる橋を走り抜け、トンネルを抜けると大雄山の駅が現れた。
湊は駅前を通過すると、そのまま直進した。小さな橋を渡り、細く急な坂を上り、やがて左にウインカーを出した。
目の前に現れたのは、片側一車線の広い道だった。
//――この広域農道で小田原まで抜けますんで――//
湊の声はどこか弾んでいるようだった。
南足柄から小田原へと続く市街地を避けた山道を抜け、湊は裏道を駆使して走り続けた。競輪場の前を通って、そのさきの細道を左に入り、小田原厚木道路の上を通過し、風祭から国道一号線に出る。そこはいつも立ち寄るコンビニのすぐそばだった。
ここからは僕の意見を採り入れ、三枚橋を左折して旧道を通り、芦ノ湖の手前の畑宿に出た。
そのままいつものように十国峠の入り口でジャンケンをして、目的地というか折り返し地点である十国パーキングに向かう。
ちなみに今日も樫井が先導車だった。本当に驚くほどジャンケンの弱い男だ。
十国峠のパーキングに到着すると、湊と富井はいつものように八の字ターンの練習を始めた。
そして僕もいつものようにソレを売店の入り口の階段から眺めていた。
湊はだいぶ上達したように見える。
以外と丁寧な走りをするタイプみたいだから、ただアクセルを煽るだけの富井と比べてずいぶん進歩しているみたいだ。それにしても……
僕は上着の襟を立てると、ぶるっと背中を震わせた。
まだ二月だということもあるが、深夜の箱根の寒さはハンパではなかった。僕は弾かれたように立ち上がると、小走りで自販機へと向かった。
「あ~、寒~――」
あまりの寒さに思わず声がこぼれた。
自販機の前には、缶コーヒーを手にした祐二と樫井が背中を丸めて立っていた。
「――だろ? さすがにキツいわ、この時期の箱根は――」
樫井は左手をジーンズのポケットに突っ込んだまま、寒そうに身体を揺すった。
今日の走行会、彼は首都高行きを主張していた。
しかし湊と富井が「どうしても箱根に行きたい」と言いだし、結局「最近行ってない」という理由で箱根行きが決まっていた。
だから樫井の言葉には「それ見たことか」という勝ち誇ったニュアンスを含んでるように思えた。
「で、さっきの話なんだけどよ……どの辺に住むかは決めてんの?」
突然祐二が呟いた。
「いや……」
僕は首を振った。
「正直言ってまだなにも――」
「ん? 何の話よ」
樫井が僕らに割り込んできた。彼は僕と祐二の顔を交互に見比べ、言葉を促すように小さく笑みを浮かべた。
いや、べつに大した話じゃないんだが――。
僕は「家を出る」と言うことを端的に話した。特に隠すようなことではなかったし、いずれ知られてしまうんだろうし。
それに「誰かに話す」という作業が、いまの僕には必要なことのような気がしていた。そうやってソトボリを埋めてしまわないと、いつまで経っても話が進まないままのような気がしていた。
「……あるぞ?」
樫井が呟いた。
僕は祐二と顔を見合わせると「なにが?」と首を傾げた。
「なにがって倉庫だよ。小さいのでいいんだろ? ウチのオーナーの知り合いが持ってたよ、確か」
樫井のところのオーナー。つまり雀荘のオーナーか……。
「大丈夫なのか?」僕は言った。
「なにがよ」
「いや、ソコの大家はフツウの人なのかって――」
「全然フツウだよ!」
心配すんなって――。
樫井は僕の不安を笑い飛ばした。
基本的に僕は疑り深い正確なんだと思う。だからあまりのタイミングの良さに「意味もない疑念」が湧くのを抑えきれなかった。
だが結局、樫井に押し切られるカタチでその倉庫を見に行く約束をさせられた。




