#018 首都高NAVIGATOR.2
「さて……と。行くべしか」
祐二はそう呟くとエンジンを掛け、すぐに無線の電源を入れた。
そして五桁の群番をセットすると、ミラーで後ろを確認しながらマイクを口元に近づけた。
「伊藤さん、玉川通りに出て、渋谷から乗りますんで付いてきてくださいね」――。
//……了解……//
やや遅れて聞こえてきたのは、照れ屋なバイパーさんの極々短いお返事……僕と祐二は顔を見合わせ、互いに首を傾げた。
ファミレスの駐車場を出た僕らは、低い排気音をまき散らしながら世田谷公園沿いの道を玉川通り方面に向かった。
三宿の交差点から玉川通りに出ると、再びタクシーとの車線争いに巻き込まれた。
真夜中の都心を駆けめぐる暴走タクシー――。
彼らがなぜ、一般道でこれほどまでしゃかりきにトバしているのか理解ができない。そしてこんな深夜にいったいドコから湧いてくるのか……僕には不思議で仕方がなかった。
渋谷から首都高に乗ると、ようやくタクシーの群れから解放された。
僕は前屈みになってミラーを覗き込んだ。
伊藤はなんとかついてきている……やはり松井とは少し違うみたいだ。
「やっぱ、コレ聴かねーと気合いが入んねーだろ?」
料金所を通過すると、祐二は徐にステレオの電源を入れた。
スピーカーから流れてきたのは、Kenny-Logginsの声……祐二が「マーベリック」に変わる瞬間を見たような気がした。
鼻歌を口ずさみながら軽快に本線へと合流した祐二は、左手でマイクを掴み「いま、渋谷から乗った」というようなコトを樫井宛てに言った。
//――マ……リックさん……です――//
ノイズ混じりの声は樫井からの応答だった。
//――ガガガッ……現在……通過し……ですが……ガガッ……天使……ないですね……//
「ナニ言ってるか、ゼンゼンわかんねえな」
祐二は苦笑いした。
確かに樫井の声はほとんど聞き取れない。
だが、彼がまだ天使に遭遇していないということだけは間違いがないようだった。
僕は助手席のシートにもたれて足を組んだ。
最後に他人の車の助手席に乗ったのはいつだったっけ――。
ふとそんなことを考えた。
もっぱら運転することが多い僕が他人の、しかも助手席に乗るというのは極めて稀なことだったのだが……。
真夜中の首都高は空いていた。玉川通りとはうって変わってガラガラだった。
つい三十分ほど前に「水曜日」になったばかりの首都高速三号渋谷線――。
クルマの影も疎らでとくにさっきからトラックを見かけていない。熊沢が言っていた「水曜日は市場が休みだから」という言葉を思い出し、なんとなく納得したように独り頷いてみた。
やがて谷町JCTが近付いてきた。
祐二はミラーで後ろを確認すると、左手に握ったマイクを口元に寄せた。
「取りあえず、バイパーさんはココでお別れですね。おれらは右巻きしますんで――」
祐二はそう言うと、ウインカーを出して右車線に移った。
それに連動するように、後ろを走っていたセリカGT-Fourが僕らの横に並んできた。
伊藤は無線での応答はせず、窓越しに親指を立ててニヤリと笑うと、加速しながら池袋方面へと走り去った。
「なんだか危なっかしいな……」
祐二が呟いた。
確かに――。
祐二の台詞は、たったいま僕が感じたモノとまったく同じだった。
谷町の急カーブを抜け、都心環状線に右から合流する。
本線上も交通量は少なく、合流を妨げるものはなにもなかった。
祐二のトレノは、右車線を加速しながら内回りで芝公園方面に向かっていた。
「はいよ」
祐二は不意にそう言うと、僕に向かってマイクを差しだしてきた。
僕は仕方なくソレを受け取ると、マイクに向かって「環状線に入った」と端的に伝えた……しかし誰からの応答もなかった。
やがて看板が見えてきた。一ノ橋JCTだった。
祐二はウインカーを出すと左車線に移った。しかし一ノ橋から合流してくるクルマは一台もなかった。
助手席の僕は外を眺めていた。
さっきからビルとビルの間に、東京タワーが見え隠れしている。
別に東京タワーに特別な思い入れはないが、四角いビルが建ち並ぶ都会の風景のなかで、赤く光る三角の鉄塔はなんともいえない味があるように思えた。
そういえば以前、一弥君たちと東京タワーに行ったことがあった。
あれは僕がまだ高校二年の頃だった。僕と一弥君と祐未さん、そして当時僕が付き合ってたひとの四人で。
確かあのときも僕は助手席だった。
一弥君と祐未さんが後ろの座席でいちゃついてたのが妙に記憶に残っていて――
//――ガガッ……マーベリックさん、環状……乗ってま……ガガッ――//
樫井の声だった。
相変わらずノイズにまみれていたが、言いたいことは何となく理解ができた。
「乗ってるよ、いま芝公園を過ぎたあたり」
僕はマイクを握り、だいたいの位置を告げた。
芝公園の出口を過ぎ、まもなく浜崎橋JCTを通過するはずだった。
僕は窓の外に顔を向けると、祐二に気付かれないように小さくアクビをした。
眠いわけではなかった。ただ、助手席は退屈だった。
スピーカーからは"Hot Summer Night"が流れてきたが、それをココで口ずさむ気分にはちょっと慣れなかった。
やがて汐留を過ぎ、なだらかな直線に入った。
出入り口の多さと車線に架かる橋桁で、直線とは言っても見通しはよくない。しかし僕がイメージしていた首都高の景色はまさにこれだったような気がした。
京橋を過ぎて最後の橋をくぐると、江戸橋JCTが近付いていた。
祐二は左車線に移ると、車線の右いっぱいの位置から一気に減速した。
スキール音をまき散らして流れ始めたテールは、弧を描きながら左急コーナーをスムーズに滑り抜けた。
「……やるじゃん」
僕は思わず呟いた。
「まあな。ちょっと手に汗掻いたけど」
祐二は戯けたようにそう言うと、ジーンズの腿に左掌を擦りつけた。
僕には意外に思えた。
彼のドリフトを助手席から見たのは初めてだったが、オーバーでもアンダーでもない綺麗なドリフトだった。
僕はいままで心のどこかで「祐二の走りは格好だけ」と思っていた。
だけどその見方を変える必要があるかも……僕は少しだけ彼を見直した。
「……ん?」
神田橋を過ぎた辺りで、祐二が何かに気付いた。
僕は視線を前方に延ばす――。
ソコには特徴的な丸いテールランプが浮かんでいた。
「おいおい、あれってもしかして――」
「ああ。ケンメリだな」
僕は静かな声で応えた。
祐二が言うまでもなくそれはケンメリに間違いなかった。
貸して――。
祐二は僕の手からマイクを奪うと、口元に近づけた。
「こちらマーベリックなんですけどね……天使、発見しちゃいましたよ! ドゾ」
//――マ、マジですか?! 本物ですか?! 天使の絵はありますか?!――//
間を置かずに返ってきた樫井の声――。
天使なんていやしない、そう言っていた彼だったが、その声は紛れもなく興奮していた。
目の前に姿を現したスカイラインGT-R。
首都高を悠然と流すシルバーのケンメリ――。
外観的な特徴といえば、やや低めの車高と両サイドから覗く径の大きなマフラー、それに極太のタイヤ。
そして……リヤガラスに描かれた天使の絵、くらいのものだった。
僕は助手席の窓を少しだけ下ろした。
雑多なノイズに紛れて、特徴的とも言える吸気音が聞こえる……はっきりとしたことは言えないが、ソレックスが入っているのは嘘ではないみたいだ。
「見つけたぞ、天使――」
祐二は興奮気味に呟いた。
そして一気に加速すると、天使の背後にピタリと張り付く。ふと、絵の天使と目があったような気がした。
「OK――。ロックオン――」
祐二は口元に不敵な笑みを浮かべた。
しかし――
「おい……ロックオンしたんじゃないのか?」
「え? いや、え……あれ?」
あれ……じゃねえだろ、まったく――。
僕はため息を吐いた。
折角見つけた天使……急加速した天使の後ろ姿はみるみる遠くなっていった。
無愛想な天使は、一瞬にして僕らを置き去りにしてやがて視界から消えてしまった――。
天使にまったく相手にされなかった祐二。
彼はすっかり項垂れていた。その走りにもキレがなくなってしまって……。
僕らは既に一般道に下りていた。
樫井から連絡があり、このあいだの公園で落ち合うことになった。
駐車場には三台の車があった。
樫井のトレノ、伊藤のGT-Four、そしてガンメタのクラウンだった。
祐二はクラウンの隣に横付けすると、大きなため息をひとつ吐いてからドアを開けた。
「いやあ~天使ってマジで速えーのな」
あれは絶対イカレてんな――。
祐二は誰に訊かれたワケでもないのに、そう言って笑った。
それが却って彼のショックぶりを表しているように僕には見えた。
「そうか。今日は内回りだったか――」
不意に樫井の隣にいた男が呟いた。
男は眉間に皺を寄せ、何か思いを巡らせているような表情をしている。
「あ、この人がこのあいだ言ってたクラウンの――」
「堤……康雄、といいます」
男は樫井の言葉を遮って低い声でそう言った。
僕は黙ったまま、堤と名乗る背の高い男を窺った。
痩せてるというより窶れた感じがするのは、色白で眼の下の隈が目立つからかもしれない。
年齢は僕らより上。おそらくもう三十代か、もしくはそれ以上か――。
ん……?
ふと、堤の右手に嵌まっている時計に目が留まった。
黄色い文字盤の時計はブライトリングだった。
しかもおそらく"エマージェンシー"。
以前、買おうと思って断念した事があるから見覚えがあった。びっくりするほど高額なものではなかったが、僕には買えなかった。
僕はもう一度、堤の顔を窺った。
この時計を所有できる彼の職業って……それがどうにも気になったが、正解に辿り着くには情報の絶対数が足りないみたいだった。
「そういえば、今日はいないのか、カリーナの小僧は」
堤は僕らを見渡しそう言った。
同時に祐二たちが一斉に僕の方を指さし「コイツです」と言った。
祐二たちに促されるまま、僕は堤の前に歩み出た。
「おお、君か――」堤は笑った。
「熊沢に聞いたよ。なかなか"いい乗り方"をしてるそうだな」
はあ……。
僕は否定とも肯定とも言えない曖昧なため息を吐いた。
僕の乗り方……熊沢は走っている僕を見ていないはずだった。
「今日は……?」
堤は笑みを浮かべたまま、ステアリングを握る仕草をした。
僕はもう一度ため息を吐くと、先日の出来事をできるだけ端的に話した。しかし樫井は僕の説明に納得がいかなかったらしく、ずいぶんと長い補足を加えた。
樫井の長い長い話を聞き終えると、堤はひと言「それは災難だったな」と呟いた。
その台詞は僕にとって「それ以上でもそれ以下でもない」、一番しっくりくる慰めのように思えた。




