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#015 水曜日の天使

 芝公園を過ぎ、一ノ橋ジャンクションの右カーブに進入する。

 環状線を走る僕らは、間もなく飯倉のトンネルに差しかかるところだった。

 そしてそのトンネルを抜ければ谷町。ちょうど環状線をぐるっと一周したことになるのだが……。

 あれほど饒舌だったスピーカーからの「声」も今ではすっかり止んでしまっている。思わず電源を確認したくなるほどに静かになっていた。

 僕はミラーを窺った。

 松井は何とかついてきているようだった。

 彼もようやくスピードに馴染んできたってところか……まあ僕に言わせれば馴染むもナニもないスピードだったのだが。


 ココに来るまで、樫井の言う"クラウン"には遭遇していない。

 竹橋ジャンクションで合流してきたクルマの中に、僕らが目当てとしていたクラウンはなかった。

 そして僕の個人的な目当てであるTZRも……。


 ま、当然だな――。

 僕は小さく鼻で笑った。

 初めて・・・きた首都高速でいきなり遭えるなんて、そんなに物事が上手く運ぶわけがない。

 毎日ソコにいるとか待ち合わせたというならともかく、しかも移動している者同士が出会うという偶然――。

 それを期待するにはこの環状線は広すぎた。

 ま、何度か来てれば、そのうち遭うこともあるのだろうけど……。


//――もうすぐ谷町だけど、どうするよ――//

//――もう一周でいいんじゃない? それと、もう少しペースを上げてこーよ――//

//――了~解――//


 目の前を行くトレノのテールが僅かに遠くなった。

 前方を走る祐二たちのスピードが上がったようだ。

 僕はミラーで松井の姿を確認すると、一瞬ハザードを点灯させてからアクセルを強めに踏み込んだ。

 いままで等間隔で走っていた車列が、俄に乱れ始めていた。

 先頭の樫井は首都高を走り慣れているようで、僕の位置からは視認できないくらい先の方に行ってしまった。祐二も一緒のようで、やっぱり僕の視界からいなくなっていた。

 しかし伊藤は走り慣れているとは言えないみたいだった。GT-Fourの中途半端なブレーキングと余裕のなさが、僕の位置からでも十分すぎるほど確認できる。彼の真後ろを走る富井も、随分走りにくそうにしている。

 そして松井……。

 ミラーの中に彼のクラウンは確認できなかった。

 僕はため息を吐いた。

 まったく……眼を離すたびにあの野郎は――。

 僕は左手でマイクを掴むと「松井が来てない」とひと言だけ呟いた。


//――あの~アイスマンさん。ニック(ネーム)で呼んでよ、頼むから――//

//――そうですよ、誰に傍受きかれてるかわからないんですから――//


 帰ってきたのは、やんわりと僕を窘めるフレーズだけで、肝心の松井からの応答はなかった。

 まさか無線が届かないほど遠くにいってしまった……てことはないのだろうけど。


「でも、なんでグースなんだよ? 縁起悪いだろ」

 僕は左手に握ったマイクに向かって言った。

 別に松井を心配しているわけではない。あいつがどうなろうと僕が知ったことではない。

 だけど、さすがに連んで走ってて死なれた日には寝付きが悪くなる――。


//――え、なんの話! なにが縁起悪いの――//


 ワンテンポ遅れて飛び込んできたのは松井の声……。

 つうか聞こえてたのかよ、あの野郎。聞こえてるならとっとと返事しろよな……。


//――グースさ~ん、まったく気にしなくていいですよ。アイスマンさん、今日は気が立ってるみたいですから――//

 祐二の声だった。


//――そうですよ。グースさんは自分のペースでいいですからね――//

 今度は樫井の声……。

 そう言えばさっきから無線の応答に参加しているのは樫井と祐二だけだった。

 少なくとも、富井と伊藤は一度も声を発していない。

 運転に必死な伊藤はともかく、富井って奴は意外と恥ずかしがり屋なのかもしれない……酒が入るとあんなに喋るくせに。


 谷町ジャンクションを通過し、二周目に突入した。

 渋谷方面から合流してきた川崎ナンバーのGX81チェイサーが、ウインカーを灯しながら威嚇するように僕の前に割り込んできた。

 まるで挑発しているようなその態度に軽くムカついたが、おそらく彼とは目指してるモノが違うんだと考えたら、不思議と冷静でいられた。

 その後も霞ヶ関、千代田と続くトンネルでもずっと"つかず離れず"の距離を保っていたチェイサーだったが、北の丸トンネルの手前で左にウインカーを出すと、そのまま代官町方面に走り去った。

 そしてトンネルを抜けると今日二回目の竹橋ジャンクション。

 しかし、やっぱりクラウンと遭うことはできなかった。そしてTZRとも。


//――今日は遭えないカンジですかね。マーベリックさん、どうします――//

//――取りあえず、適当に停まれるところはないですかね――//

//――じゃあ、いったんドコかで下りちゃいますか――//

//――了解です。マーリンさんにお任せしますよ――//

//――了~解。ここからルートを少し変えますよ――//


 ルートを変える……?

 僕は反射的にマイクを握っていた。

「――ココから"護国寺"って遠いのか?」


//――遠くないけど通りすぎちまったよ――//

//――竹橋を池袋方面に行けばスグだったんスけどね――//


 返ってきたのはツレナイ言葉だった。

「じゃ、いいや――」

 僕は短くそう言った。


 樫井を先頭にした車列は、箱崎から9号深川線に入り、そこから湾岸方面に抜けた。

 湾岸線を大井で出ると、埠頭に近い公園にクルマを乗り入れた。

 この場所では首都高に走りに来た奴らがよく屯してるらしく、首都高をホーム・・・にしている樫井もココには何度か来ていると言った。

 僕は思いきって樫井に尋ねてみた。彼なら何かを知っているかもしれない。

 しかし――

「見たことないな。少なくとも首都高ではね」

 樫井はきっぱりと言い切った。

 やっぱりな……。

 わかりきっていたことだったから特別な驚きはなかった。

 ただ、心のどこかで僅かではあったが落胆している自分に気付き、寧ろソッチの方に驚いていた。


「――で、どーすんのよ、ココから」

 樫井はそう言うと煙草をくわえて火を付けた。

「そうだな……つうか今何時よ?」

「もうすぐ二時半だ」

 祐二の言葉に富井が反応した。

「二時半か……なんだか中途半端な時間――」

 そのとき地鳴りのような轟音が響いてきた。

 低い排気音を引き連れて駐車場に姿を見せたのはZ32――。赤いフェアレディーZだった。

 まっすぐコチラに向かってきたZが僕らの目の前に停まった。同時に助手席の窓が下がり男が顔を出した。

「あれ……カッシーニ?!」

 男は僕らに向かって意味の判らないことを言った。

「ん……あ、どうもッス」

 それに応えたのは樫井だった。

 カッシーニ=樫井……てことらしい。

 助手席の男と樫井は顔見知りのようだった。


「なにしてんのさ、こんなトコで」

 男が言った。

「いや、首都高に走りに来たんスよ、堤さんに遭えないかと思って」

「堤に……なんでよ?」

「いや、コイツらが"クラウンが見たい"って言うもんですから」

 樫井が僕らの方をアゴでしゃくった。


 Zの二人組は、僕らよりもだいぶ年齢が上に見えた。

 運転席の男は吉井と言った。眼鏡をかけていて神経質そうなちょっと太った男だった。

 助手席の男は熊沢。

 吉井とは対照的に、不健康に見えるくらいに痩せている。

 一見するとやばそうな感じだが、左の頬にある大きなホクロが、彼の持つ危険な雰囲気を少しだけ緩和しているようにも見えた。


「じゃ、みんなで走りに来たってわけか」

 Zから下りた熊沢は、一列に並んだ僕らのクルマを目を細めて眺めていた。

「みんな若えのに気合いの入ったクルマに乗って……」

 熊沢が急に口ごもった。

 ムリもなかった。彼の視線の先、僕らの位置から一番遠いところには松井のクラウンがあった。

 やっぱり素ノーマルのクラウンには違和感を禁じ得ないのだろう。

「ん……これは誰の?」

 熊沢が指さしたのは僕のクルマだった。

 僕は何も応えなかったが、祐二が僕を指さし「コイツのです」と笑顔で言った。

「ほー。ズイブン渋いクルマに乗ってるじゃないの」

 ちょっとカギ貸してみ――。

 彼はそう言うと僕からキーを奪い、AA63の運転席に乗り込んだ。そしてエンジンをかけ、アクセルを軽く吹かした。

「エンジンには手を入れてないんだ?」

 熊沢の言葉に僕は頷いた。

「なるほどな……」

 そう言ってエンジンを掛けたまま運転席から下りると、彼は腕を組んだまましばらく僕のクルマを眺めていた。時折、頬のホクロの辺りを撫でながら。

「このクルマ……おれにしばらく預けてみない? 絶対にいいモンに仕上げてやるけど」

 熊沢は僕に向き直り、笑顔でそう言った。

「あ、熊沢さんは木場でチューニングショップをやってるんだ」

 樫井が補足するように口を挟んだ。

 しかし僕は首を横に振った。

 僕のAA63は既にノーマルの状態とはかけ離れたものになっているが、エンジンにだけは手を着けていない……というよりいじるつもりもなかった。

 エンジンに手を入れるならこのクルマである必要がないし、もうAA63ではなくなってしまうような気がしていた。そこは僕にとっては絶対に譲れないコダワリでもあった。


「……ま、いいや」

 熊沢は笑った。

「気が変わったら言ってくれや。採算度外視でやってやるから」

 彼はそう言ったが、その真意が僕にはよくわからなかった。

 ただ、そこに敵意は存在していないと言うことだけは感じ取ることができた。


「そういや、最近は水曜日みたいだぞ」

 熊沢は樫井を振り返り言った。

「水曜日すか……何がです?」樫井は首を傾げた。

「堤だよ。週末はカッコばかりの奴らが多くて走りにくいつってな。それに――」

「それに……?」

「水曜日にならアレにも遭えるかもしれない」

 熊沢は大きく息を吐き出すように言った。

「アレ……ですか?」

 樫井はそう言ってまた首を傾げた。

 彼らのやり取りを眺めながら、僕は二人に気付かれないようにため息をついた。

 どうでもいいが、コイツらの話は回りくどい……。

「いったい誰に遭えるんですか?!」

 聞き耳を立てていた僕だったが、思わず口を挟んでいた。

 驚いたような目で僕に向き直った熊沢だったが、やがて焦らすように口元を弛めると「天使だよ」と呟いた。

「……天使?」

「ああ。環状線を走り回ってれば、運が良ければ遭えるだろ」

 ま、おまえらには絶対に掴まえられないだろうけどな――。

 そう言った熊沢の顔には、僕を挑発するような笑みがこびり付いていた。


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