#012 Get your kicks on Route20
「――ではご注文を繰り返しますネ」
……ネ?
僕は店員の顔を窺った。
ハンディターミナルを携えた若い女の店員は、にこやかな表情で僕の方を窺っている。
おそらく八王子あたりの大学に通う学生ってところなんだろうけど……
ま、それが彼女流の接客ってことか――。
僕は心の中で首を傾げたが、彼女はそんなことに気付いたような素振りもなく、安っぽい笑みを顔にこびり付かせたままメニューを下げていった。
甲州街道沿いのファミレスは今日も空いていた。
店内には疎らに客がいたが、四人がけのテーブルに一人若しくは二人だけ。しかもコーヒー一杯で何時間でも粘れそうなメンツばかりに見える。
ココが閉店してしまう日も意外と近いのかもしれないな――。
僕は頭の中で「ココがなくなってしまった後の休憩場所」を探し始めていた。
「――お待たせしました」
さっきの彼女がテーブルにやってきた。
彼女は、アメリカンクラブハウスサンドとフライドポテト、そしてブレンドコーヒーをぎこちない仕草でテーブルに並べた。
危なっかしいその手つきを眺めながら、僕は彼女の顔をそっと窺った。
彼女は愛嬌のある顔をしていた。それなりに言い寄ってくる男もいるんだろうと思える程度の。
そして、やや緊張した面持ちだった。
たかがサンドウィッチとポテトとコーヒーを置くだけでそんなに緊張するものなのかと不思議な気持ちでいたが、すべてをテーブルに並べ終えたとたん、彼女は重荷から解放されたような安堵の表情を浮かべた。
「ご注文の品は以上ですか?」
彼女はにっこり笑った。
その笑顔に釣られるように僕の口元も弛んだ。
きっと彼女にはもっと向いている仕事が他にあるのだろう、と僕は思う。
また一人になったテーブルで、僕はアメリカンクラブハウスサンドにかぶりついた。
続いてコーヒーにたっぷりのミルクを注ぎ、かき混ぜることなくそれに口を付けた。
コーヒーはいつもより酸味が強かった。ドリップしてからだいぶ時間が経ってるのかもしれない。
僕はふと壁に掛かった時計が目に入った。
時計の針は、まだぎりぎりで日付が変わっていないことを示していた。
いつものように大垂水に走りに来た僕だったが、今日は早めに退けてきた……というより引き上げざるを得なかった。
つい一時間くらい前、他県ナンバーの180SXが、なかがみ屋の下のコーナーでガードレールに刺さった。
ギャラリーコーナーでいいカッコしようとしてオーバースピードで突っ込んで、慌ててカウンターを当てたところでオツリをもらった……まあ、だいたいそんなところだろう。
幸い怪我人はなかったようだが、180SXは自走不能になったらしく、間もなくレッカー屋と警察がやってきた。
本当に迷惑な話だった。
峠とは言っても公道だから走る権利は誰にでもある。
サーキットってワケじゃないから特別なライセンスも必要ない。
しかし"攻める"気で来てるなら、自分の腕くらいは把握しておく必要があると思う。
一般車もいるし、場合によっては大惨事になる可能性だってあるんだから――。
僕は窓の外を眺めていた。
真夜中の甲州街道を流れるクルマのヘッドライトを、僕は落ち着かない気持ちで眺めていた。
冷めかけたフライドポテトを摘みながら思った。
なんだか学校を早退したみたいな気分だな、と。
束縛から逃れられたような解放感と、せっかく"できた時間"を有効に使わなければ、というジリジリとした焦燥感に煽られ……だからと言って何かをする気にはマッタクならなかったのだが。
やがて、ファミレスの駐車場に一台の単車が入ってきた。
暗闇に向けていた僕の視線と単車のライトが交錯し、僕は微かに目を細めた。
単車は僕の目の前を右から左へと横切り、僕の視界から姿を消した。
白い車体に赤いライン。
そのバイクには見覚えがあった。大垂水でよく見かけるVFRだった。
フルフェイスのメットを片手に店内に姿を見せたVFRの男は、一瞬「女」かと思うくらいに華奢な少年だった。
彼は僕と目が合うと真っ直ぐこちらに向かって歩いてきた。穏やかで、どこか妖しげな笑みを浮かべながら。
「相席、いいですか?」
テーブルにやってきた彼は、僕を見下ろしそう言った。
僕は何も答えず、客も疎らな店内を見渡した。当然「拒否」の意味で、だ。
しかし彼はそんなことを気にする素振りもなく、柔らかな笑みを浮かべて僕の向かいに腰を下ろした。
「よく会いますけど、話をするのって初めてですよね」
彼はそう言って口元を弛めた。
黒い皮パンに赤いスイングトップという出で立ちは、大垂水で見かける彼そのものだった。
「……」
何かを言おうとして口を噤んだ。
巧くこの場を立ち回るべき言葉が出てきそうもなかった。
仕方なくコーヒーカップに顔をうずめ、さして興味がないというようなふりをして彼を窺った。
年齢はおそらく僕より若い。たぶん高校生くらいか。
やや長めの赤い髪の毛と中性的な整った顔立ち。
いつもはシルバーのフルフェイスを被っているから素顔を見たことはなかったが、美形という形容がこれほどしっくりくる奴はあまりいないような気がする――。
僕はカップに視線を戻し、そしてコーヒーの酸味を耳の下あたりに感じながら思いを巡らせた。
ギリギリまで車体を倒して、アグレッシブにコーナーを攻めているあのVFRと、いま僕の目の前にいる優男……。
とても同一人物だとは思えない。
この二つのイメージが僕の中で重なる気配はまるでなかった。
「緑山最速のTZR――」
彼の言葉に思わず僕は顔を上げた。
「北条聖志……さんですよね。大垂水以外でも見かけたことはあるんですよ、実は」
僕は何も応えなかった。黙ったままで彼の顔を窺った。
彼は微笑していた。
その涼しげな眼差しが、どういうわけか僕の背筋を固くさせていた。
僕は緊張を悟られることのないよう、鷹揚な仕草で冷め切ったフライドポテトを口に放り込むと、イスに凭れるように背筋を伸ばした。
「で……なにか?」
僕は努めて冷静に尋ねた。
「いえ。クルマが停まってるのが見えたので、ちょこっと挨拶でも、と――」
彼は淀みなくそう言ったが、それが嘘だというのは明らかだった。
AA63を停めた位置は甲州街道からは見えないはずだった。看板と植え込みに遮られ、街道からは死角になっていることを僕は知っていた。
おそらく彼は僕がココにいることを予め知っていて、それで会いに来た……。
理由はわからない。だがその理由にそれほど興味がなかった。
「――ご注文はお決まりですか?」
テーブルにはさっきの店員がやってきた。
彼女は相変わらずハンディターミナルを大事そうに両手に携えていた。
いまでは主流になったハンディターミナルだったが、父の店では「品がない」との理由で導入をしていない。父とは何かと意見がぶつかることの多い僕だったが、それについては同感だった。
「これなんですか?」
VFRの彼は食べかけの皿を指さした。
「……アメリカンクラブハウスサンドとフライドポテト。それとコーヒー」
僕は目を逸らしたまま早口で呟いた。
「じゃあ、おれも同じモノで」
彼はテーブルを指さしたまま、店員の顔を窺った。
彼女はさっきと全く同じ表情とルーチンで注文の品を確認し、メニューを下げていった。
ロボットみたいだな……僕はふとそう思った。
「……あれ、嫌いなんですよね」
彼は店員の後ろ姿に視線を向けると、左の掌を右の人差し指で叩くような仕草をした。
「なんだか品がないっていうか味気ないっていうか……あ。すみません、まだ名前も言ってなかったですよね――」
彼は急に畏まったようにイスに座り直し、背筋を伸ばした。
彼は神藤泰昭と名乗った。
高校一年生で、都内の私立高校に通っていると言った。
その学校は僕もよく知る高校……いや、知らない人の方が少ないくらいに有名な学校だった。
文武両道を掲げる、政財界の大物の子息が通う高校。そんなイメージが少なくとも僕の中にはあった。
僕は徐にコーヒーカップに手を伸ばした。
カップを引き寄せながら、僕は神藤を窺った。
髪の毛の色だけはどうにも理解ができなかったが、確かに育ちが良さそうに見えなくはない。
育ちに関してだけを言えば、僕も十分いい方だと自覚しているが、彼の場合はもっと根本が違うような気がした。彼の持つ雰囲気は、僕の知る範囲の「おぼっちゃんたち」とは明らかに違っていた。
きっと良家に生まれた優良な苗が、あらゆるストレスから守られながら大事に育てられた……ま、きっとそんなところ――
「北条さんのTZRは速かったですよね」
不意に神藤が呟いた。
「当時の緑山最速でしたよね」
「当時……?」
神藤の言葉に僕は目を細めた。
悪意のない言葉だったのだろうが、そんなことを考える間もなくまるで脊髄反射するように訊き返していた。
「あ。へんな意味じゃないですよ」
神藤は僕の表情から何かを察したように小さく笑った。そして「でも……いまの最速はおれですから」と遠慮のない笑顔で言った。
変わった奴――、僕は思った。
初対面、しかも年上の人間に対して臆するところがないのは高校生らしいのかもしれないが、それがまるで腹が立たない。
そしてこの妙に落ち着いた雰囲気――。
彼の表情や滑らかな立ち居振る舞いには、人を惹き付ける何かがあるように思えた。
僕はもう一度彼の顔を窺う……
彼は不思議な目のいろをしていた。その表情からは何を考えているのか窺い知ることができない。
微笑を浮かべている。なのにソコには一切の感情が窺えない……。
不意に背中に冷たいモノを感じ、彼から目を逸らそうとした。しかし、僕は彼の眼から逃れることができずにいた。
「――お待たせしました」
店員の声に神藤の目が反応する。同時に僕は呪縛から解放された。
彼女は先ほどと同じようにやや緊張した面もちだったが、皿を並べる手つきはさっきよりマシになっているような気がした。
「ご注文の品は以上ですか?」
「はい。以上ですよ」
神藤は店員を窺い口元を弛めた。
店員は先ほどまでとは少し違う笑みをその顔に浮かべると、そそくさとメニューを下げていった。
「実は……仲間になってくれる人を捜してるんですよ」
神藤は店員が立ち去るのを待ってからそう呟いた。
「仲間……」
「ええ――」
彼は後ろを向き、赤いスイングトップの背中を親指でさした。
背中には「HONMOKU」と「REUNION」の文字があった。
「ちょっと個性的な奴ばっかりなんですけど――」
「悪いけど、誰かと連むのは嫌いなんだ」
僕は彼の言葉に割り込み、なんの愛想もない言葉をぶつけた。
しかし彼は表情を変えることもなかった。
寧ろ僕の言葉を予想していたかのように、柔らかい笑みを浮かべたまま頷いていた。
「多分そうなんだろうと思って、はじめは声を掛けづらかったんですけど……最近、クルマにステッカーが貼ってあるのを見つけたんで、意外とそうでもないのかな、と」
あのステッカー……「九蓮宝燈」が早速「災い」を運んできたような気がして背筋が震えた。
「あれには事情があって……でも仲間を捜してるなら他にもいるんじゃないか」
「他……ですか?」
ああ――。
僕の頭に浮かんだのは一人だけしかいなかった。
「NSの奴とか」
「NS……ああ、あの人ですか」
神藤もすぐにわかったみたいだった。
大垂水でたまに見かけるNSR。
どんな奴なのかは知らないが、神藤と同じかそれ以上に過激な走りをする奴だ。
「でも、あの人は他にたくさん仲間がいるみたいですよ」
神藤は声を潜めた。
その仕草に芝居がかったモノを感じた。
「あんまりトモダチにはなりたくない種類の仲間みたいですけど、ね」
彼の言い方でだいたいどんな人たちなのかは想像がついた。
峠に集まる奴らにはいろいろなタイプがいる。
チームを組んで走りに来てる奴や、単独同士で自然に仲良くなる奴ら。
そして誰とも交わらないタイプ……僕と神藤そしてNSRの奴はこれに当たるのだろう。尤も僕の場合ははじめから独りだったと言うわけではなかったが。
「本当に考えておいてもらえないですか? 掛け持ちでもウチは構わないんで。それに答えは急ぎませんから」
神藤の口調は穏やかなもので「強要する」という感じではなかったが、なぜか断りにくいような不思議な声の響きがあった。
僕は取りあえずという感じで小さく頷いた。彼とはそれほど顔を合わせる機会もないだろうから、ココで強硬な態度で断るコトもないような気がしたし。
そっと時計に目をやると、午前一時を回っていた。
そろそろ行くか――。
僕は大垂水に行ってみようと思った。もう事故の処理は終わっている頃だろうし。
仮にまだ事故処理の途中だったら、宮ヶ瀬を抜けてヤビツか、久しぶりに田島あたりを流してみてもいいかもしれない。
どちらにしても、ココで座ったまま朝を迎えるつもりはなかった。
「――じゃ、おれ、そろそろ行きますね」
不意に神藤が言った。
機先を制するように呟いた彼は「これからバイトがあるんで」と悪戯っぽく微笑んだ。
たぶんそれが嘘だということはわかったが、それには特に触れなかった。
「とにかく今日は会えてよかったです」
神藤は軽く頭を下げるような仕草をした。
「"大垂水の子鬼"さんがどんな人か興味があったので」
「……。コオニ……?」
「はい。鬼神といつも一緒にいる子鬼。みんなそう呼んでますけど……知らなかったんですか」
僕は首を傾げながら頷いた。
一弥くんが"鬼神"と呼ばれていたのは当然知っていた。
しかし、僕にそんな格好悪い"通り名"があったとは知らなかった。
誰が付けたのかは知らないが、正直もう少しまともな名前を付けてくれたらいいのにと思うのだが……。
「あ。そういえば、このあいだTZR見ましたよ」
神藤の言葉に僕は顔を上げた。
「北条さんのTZRというか、元北条さんのTZR、ですけどね」
神藤は意味ありげに口元を弛めた。
僕のTZRを見た――?
「見間違い……だろ、きっと」
僕は言った。
「いえいえ、北条さんのTZRをおれが見間違うワケないですよ」
神藤は自信たっぷりにそう言った。




