プロローグ
東名高速道路上り・港北パーキング――。
午前零時を過ぎ、一般車両の姿は極端に少なくなった。
それと入れ替わるように大型のトラックがパーキングを占拠し始めている。
スチール製の車止めに腰を預けた僕は、自販機で買ったばかりの珈琲を片手に、焦点のぼやけた眼でパーキングを眺めていた。
それにしても――。
さっきからトラックに紛れてたまに入ってくる一般車は、ミニバンと呼ばれる車ばかりだった。
あの頃あんなに走ってた僕の仲間たち……彼らはどこに行ってしまったのだろうと首を傾げたくなる。
僕は珈琲を喉に流し込みながら、すっかり見かけなくなくなった仲間たちの安否に思いを馳せると、シャツの胸ポケットから煙草を取り出し、くわえて火をつけた。
軽い偏頭痛を覚えながらも、肺いっぱいに吸い込んだ煙を吐き出す。
白い煙は真っ直ぐに上空に上がり、散り散りになって消えた。
エンジンが掛かりっぱなしのスープラの黒いボディの上をパーキングを出入りするクルマのテールランプが流れていく。
僕の愛車は昭和最後の年に500台限定で生産されたクルマだったが、現在ではあまり見かけることもなくなった。差詰め絶滅危惧種といったところなんだろう。
パーキングの水銀灯に照らされたスープラは、さっきから僕を急かすように低い排気音を響かせている。
僕は空になった珈琲の缶をゴミ箱に投げ入れると、宥めるようにフロントフェンダーを軽く撫でた。
「そろそろ、行こうか……」
運転席に体を滑り込ませ、レカロのシートにカラダを沈めると、アクセルを軽く煽った。
ハンチング気味だったアイドリングもいまは安定している。
僕はいったんバックすると、ギヤを一速に入れ、ステアリングを右に切りながらアクセルを踏み込んだ。
LSDを利かせたスープラは、僅かに後輪を滑らせながらゆっくりと走り出した。
サイドミラーで後方を確認しながらシフトチェンジし、本線に合流すると、更にアクセルを踏み込んで加速し、一番右の車線に移動した。
東名高速道路は空いていた。
時折目の前に現れる障害物のようなトラックを避けながら、僕は乱暴にアクセルを踏み込んだ。
東京料金所を通過し、首都高速へ向かう連絡道路に入ると更にスピードを上げた。
目の前には緩い右カーブが続いている。
普段は直線にしか見えないこの道も、メーターを振り切るこのスピードでは視界が狭まり、重力が僕を車体ごと外にはじき飛ばそうとしてくる。
やがて環八方面との分岐が現れ、車線が減少した。
左を走っていたワゴン車がウインカーを点けずに右車線に寄ってきた。
僕は加速してワゴン車をかわすと一気に減速して、目の前に接近したアルミバンを左から抜き去った。
その刹那、車体が僅かにバタついたが、アクセルとステアリングをコントロールして立て直すと、程なく現れた首都高の料金所を通過した。
首都高速に入ると、パーソナル無線の電源を入れた。
左手の指が無意識にボタンを操作して群番をセットすると、無線機の液晶に五桁の数字が表示された。
僕は無線機から伸びたハンドマイクを手に取った。
「チェック――」
僕はマイクを握り呼びかけた。
声がひび割れていた。マイクを持つ手が小刻みに震えている。
もう一度マイクに呼びかけたが、スピーカーから漏れてくるのは耳障りなノイズだけで、応答はなにもなかった。
僕は諦めてマイクを助手席に放り投げ、シートベルトを外し、グローブボックスに手を伸ばし、古びたシガーケースを取り出した。
三月八日。
今日が水曜日じゃないのは少し残念だったが、雨が降っていないのは幸いだった。
雨は僕の気分を少しだけ落とす。
心の奥に棲む臆病なもう一人の自分を呼び起こす――。
谷町JCTが目の前に現れた。
僕は右車線を加速し、大きな弧を描くジャンクションの右カーブを軽快に駆け抜けた。
そして左から合流してくるトラックをアクセルを踏み込んでかわすと、スピードをあげながら一番左の車線に移動した。
環状線に入り、僕の気分は昂揚していた。アクセルを踏む右足にも自然に力がこもった。
僕は今日、水曜日の天使に会いに行く。
終点のない環状線――。
この道のどこかで、きっと彼女は僕が来るのを待っている。
ビルとビルの間を縫うように延びるこの道に誘われ、僕はアクセルペダルを強く踏み込んだ。
視界が更に狭まり、同時に背中を得体の知れない何かが駆け抜けていく――。
その刹那、僕は懐かしい感覚に包まれた。
あの頃の自分に少しだけ戻れたような気がして心が震えた。
生き急いでいたあの頃……僕が一番僕らしかったあの季節に。