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禁断症状  作者: 瀬野砂月


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2/2

後編


 会社から二駅ほど離れた場所にあるカフェレストランは家族やカップル、仕事の帰りの女性たちで賑わっていた。


 心落ち着く音楽が流れ、所々に緑が置かれたナチュラルテイストの店内は居心地がいい。はずなのだが、女性と家族をメイン客にしている店内に男性二人だけの席は他になく、なんだか肩身が狭い。


 近くの席に座る女性たちがちらちらこちらを見ては言葉を交わしている。原因はわかっている。拓也(たくや)はげんなりしながら、目の前に座るモデル顔負けの男――晴翔(はるか)を見た。


「ん~、しあわせ……」


 ガトーショコラを頬張り、晴翔は吐息混じりの声を漏らした。


 赤みが増した頬、とろんととろけたブルーグレイの目、口の端についたクリームを舐めとる舌。


 周囲の者たちは晴翔の姿に小さく黄色い声を上げ顔を赤らめたり、魅入られたように見つめたりしていた。


 間近で見た拓也は昨晩の色事が脳裏をよぎり、身体を熱くする。


「お前なぁ……ちゃんとメシも食えよ」


 極力、晴翔を見ないように拓也は自身が頼んだチーズハンバーグにナイフをいれた。


「わかってますけど、今はチョコ補給が優先です」


 そう言って、晴翔はチョコレートケーキに手をのばす。その横には先程まで食べていたガトーショコラの皿とチョコレートパフェの器が空になっている。


「このチョコレート依存者め」

「……依存者って……。俺はただチョコレートが好きなだけです」


 口をすぼめるこどものような晴翔にどっと疲れが襲ってくる。


(ただ好きなだけであんな状態になるかよ……)


 拓也は数時間前のオフィスの出来事を思い出す。






 不成立になってしまった商談内容が収められたボイスレコーダーを聞き、腸が煮えくり返る思いだった。


 それは部長も同じだったのか、いつも浮かべている朗らかな笑みが消え、口元だけが弧を描いていた。


「これはこれは……。僕はこれから先方に連絡をいれるから、大崎くんは柳瀬くんのフォロー頼めるかな?」

「はい」


 いつもどおりの口調。しかし、纏う空気は冷たく目に鋭い光を宿す部長に背筋が寒くなる。


 拓也は早々に退出するが吉と一礼して部長室を出た。


(さて、どうするかな……)


 オフィスに戻りながら、晴翔をどう慰めたものかと考える。


 帰社した晴翔は周囲が気づくほどに落胆していた。普段なら、失敗してもキリッとしているのに珍しい。


(あとで食事に誘うとして……ん? なんだ?)


 オフィスに近づくにつれ、足元が冷え、身体が重くなる。気のせいではすまない感覚に戸惑いながら進み、オフィスの入口まで来て唖然とした。


(なんだ? あれ……。どうなってる?)


 何度か瞬いて、目を擦ってみても変わらない。


 黒い靄を纏い、高速で仕事をする人形のような晴翔。


 オフィスの片隅でひざ掛けを羽織り、三角座りで頭を抱えガタガタ震えている桜木。


 他の面々も顔色が悪く、作業している風でまったく仕事になっていないのが見てとれた。


(一体、何がっ……)




『あいつ、疲れてたり、ストレスが強くかかったりしたときにチョコ食べないとダメなんですよ~』




 晴翔の幼なじみの言葉が蘇る。


(いや、でも……)


 おかしい。


 間食が認められているから、晴翔はいつも机の引き出しの中にチョコレートをストックしていたはず……。


 拓也の背に嫌な汗が伝う。


(ま、まさか……なかったのか?)


 そんなことがあるのか。


 しかも、今日に限って。


 拓也は乾いた笑みを零す。


(あぁ、これが“常闇の魔王”か……)


 溢れ出る異質な存在感は恐怖を煽る。こんなものに遭遇したら、誰だって逃げ出したくなる。


 一周回って落ち着いた拓也は解決策を探す。


(とりあえず、チョコか、チョコ味のものを与えて……)


オフィスにいる者に聞けば、一人くらいはチョコレートを持っているだろう。


 誰から聞くかと考えている最中、拓也はあることを思い出し、自席に向かった。


 置いていた自身の鞄を漁り、チョコバーを取り出す。


 偶然か、神の采配か。


朝立ち寄ったコンビニのくじで当たったものだった。


 拓也はチョコバーを片手に晴翔の席へ歩いていく。近づくにつれ、寒さが増し、身体が重くなっていく。


(ひっ……)


 なにかに身体を撫でられ、ぞっとする。


(っと、止まるな、このまま……)


 なんでもないふりをして、震える身体を叱咤し前へ進む。


「柳瀬」

「あ゙?」


 決死の思いでたどり着いた拓也が声をかけると、晴翔は吸いこまれそうなほど真っ暗で真っ黒な目を向けた。


 拓也は思わず晴翔の顔を片手で掴んでいた。恐怖に顔がひきつって声が固くなる。


「先輩に向かって、あ゙? ってなんだ?」


 場の空気が固まった。


 晴翔の次の行動が予測できず、拓也の背中に冷たい汗が流れる。


「……すみません」


 謝罪を聞き、ホッとした拓也は手を放した。表情がなく俯く晴翔は儚げで、抱きしめたい衝動を抑え、拓也は口を開く。


「ったく……商談がうまくいかなくてイラつくのはわかるけど、もう少し周りに気を配れ。お前が怖すぎてみんな仕事になんねぇよ」

「すみません」


 気づいたときにはしょんぼりしている晴翔の頭を撫でていた。


 本当は抱きしめて「お前は悪くない」と耳元で囁いて、どろどろに甘やかしたい。でも、職場でそんなことはできない。


「これやるから、少し休憩しろ。商談の件は部長が動いてくれてるから、心配しなくていい」

「はい、ありがとうございます」


 差し出したチョコバーを見て、晴翔の頬にほんの少し赤みが戻った。拓也は安堵し、再び晴翔の頭を撫で声をかけて、後ろ髪をひかれながら桜木の元へ向かった。


 相も変わらず、オフィスの片隅で桜木はガタガタ震えていた。


「桜木」


 名前を呼ぶと、ゆっくりとした動作で真っ青な顔を上げた。


「……しゅ、にん……」


 あっという間に涙がたまり、桜木は拓也に抱きついた。


「主任~、柳瀬が! なにかが身体を触って!」


 泣きながら要領を得ないことを言う桜木の背中を拓也はなだめるようにポンポン叩く。


(そうか、こいつも“あれ”を経験したのか……)


 桜木になにがあったか察した拓也だったが、今は仕事中。甘やかすわけにはいかない。


「もういい。わかった。コーヒー奢ってやるから仕事に戻れ」

「あ、奢ってくれるなら俺、抹茶ラテがいいでイッテ――――ッ!!」


 ケロッと言う桜木の頭を掴んで力をこめたのはご愛嬌だ。






「――――さん、拓也さん!」

「お、おう、なんだ?」


 晴翔に名前を呼ばれ拓也は現実に戻った。


「……あの」


 言いづらいのか晴翔は目を伏せる。


「ハーフサイズのパスタ頼むので、ガトーショコラも追加していいですか?」


 顔半分をメニューで隠し、上目遣いする晴翔はとてもかわいらしい。奢ってもらう相手にお伺いをたてるところも好感がもてる。なにより澄んだブルーグレイの目に、拓也は口元を緩めた。


「いいけど、食べ切れるか? メシも食えって言ったけど、無理はしなくていいぞ」

「大丈夫です。ちょっとしょっぱいもの食べたくなっちゃったんで。それにチョコレートは別腹です」


 胸を張る晴翔に拓也は苦笑した。


『チョコレートは別腹』


 その言葉にウソはない。


 以前、デートで行ったデザートビュッフェのチョコレートフェアで十種類以上デザートを食べ、さらに気に入ったものをおかわりしていた。


 食べ過ぎではと心配したが、晴翔は平然としていて、むしろ、目の前で見ていた拓也が胸焼けに苦しんだ。


「……まぁ、好きにしろ。俺も追加でデザート頼むからメニューくれ」


 にこにこしてメニューを差し出してくる晴翔はこどもっぽい。それでいて、ふとした瞬間に色気が漂う。拓也は晴翔から視線を離せなくなる。


(っ……)


 目が合った晴翔に微笑まれ、拓也は開いていたメニューの影に隠れた。心臓がバクバクと早鐘を打つ。


「拓也さん、なに頼むか決まりました?」


 人の気も知らず、そわそわと従業員を呼ぶベルに晴翔は手をのばしていた。拓也は息を吐いてメニューを閉じる。


「あぁ、昔ながらのプリンとブレンドコーヒーにするわ」


 こくりと頷き、晴翔はベルのボタンを押した。


 やってきた従業員に注文して、料理がくる間は何気ないことを話す。


 いつもと変わらない物静かで柔らかい雰囲気の晴翔に心底安心する。




『拓也さんも命が大事ならチョコか、チョコ味のもの持ってたほうがいいです』




 酒の席で“常闇の魔王”と呼ばれるきっかけになった話を聞いたとき。晴翔の幼なじみが軽い調子から急に真顔になって言ったが、そのときはさらりと流していた。


 今日、目の前で“魔王”と化した晴翔を見て、あのときの自分を殴りたくなった。


 別に命が惜しいとか、周囲が仕事にならなくて困るとかではなく、ただただ拓也は晴翔のあんな暗くて冷たい人間味を失った姿を見たくなかった。


(対策考えないとな……)


 たとえ、“魔王”化を回避できずとも、被害は最低限にできるように。


 拓也はガトーショコラを食べて、しあわせそうにしている晴翔を守ると心に刻みこんだ。





「拓也さん、ごちそうさまでした」

「おう。この後、どうする? 俺んちくるか?」


 店を出て駅へ向かう道すがら尋ねると、晴翔は俯いた。


「……今日はやめときます」

「そうか。じゃあ、俺がお前んち行くわ」

「え?」


 弾かれたように晴翔は顔を上げる。


 拓也の力強い目と晴翔の悲しみを秘めた目が合う。


 拓也は晴翔の手をとった。


「どうしてもイヤっていうならこのまま帰る。でも、今日はお前をひとりにしたくない」


 晴翔の瞳が揺れた。


 拓也は晴翔の手をひいて、人通りの少ない通りに入る。人目につきにくい建物の影で足を止め、晴翔と向き直る。


「晴翔、今日はお前を甘やかしたい。愚痴りたければ聞いてやる。話したくないなら、それでもいい。ただそばにいさせてくれ」


 自分より小さい身体を抱きしめ、拓也は耳元で告げる。晴翔は伝わってくる拓也の優しさと温かさにこみ上げてくる涙をぐっと堪えた。拓也の大きな背中に腕を回し、額を肩に擦りつける。


「話、聞いてほしいです……。拓也さんのうちでいっぱい甘やかしてほしい」

「ん」


 拓也は晴翔の形のいい頭を撫でる。滑らかな黒髪から覗く耳が赤く染まっていた。頭を撫でていた手を滑らせ耳に触れると、くすぐったさに晴翔は身を捩る。


「っ拓也さん」


 肩から顔を上げた目を潤ませ頬を赤くした晴翔の桜色の唇を奪う。


 一度では足りず、角度を変え、二度三度。


 最初は身を強張らせていた晴翔もしだいに受け入れ、最後には拓也に身を委ねていた。


「はっ……外なのに……」


 息を上げ、さらに頬と耳を染めた晴翔は拓也から身体を離し、口元を隠した。拓也は何事もなかったように手を差し出す。


「晴翔、帰ろう」


 晴翔は拓也の手をじっと見つめた後、おずおずと手を握った。拓也は晴翔の手をしっかりと握り歩き出す。ワンテンポ遅れて晴翔も歩き出し、拓也に導かれるまま人のいない道を二人肩を並べて駅へ向かった。




 後日、オフィスにサブスクを使った置き菓子(チョコ類多め)が導入され、部署内の人間は皆、歓喜した。







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