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同じ尺度で  作者: 普通
9/13

第9章 迷わなくなった

 その相談は、雑談みたいに始まった。


 「ちょっといいですか」


 声をかけてきたのは、後輩の田中だった。

 手には資料が一枚だけ。


 私は画面から目を離さず、

 「どうした?」と答えた。


 「この人なんですけど……」


 名前を見て、すぐ分かった。

 最近、ミスが続いている。


 大きな問題ではない。

 でも、細かい遅れが積み重なっている。


 私は、資料に視線を落とす。


     *


 前なら、ここで考えていた。


 本人の性格。

 環境。

 前任者との引き継ぎ。

 少し様子を見るべきかどうか。


 でも、今回は違った。


 頭の中で、

 進行表と数字だけが並ぶ。


 「今、どこで詰まってる?」


 「確認が遅くて……」

 「誰の確認?」

 「全体です」


 それで十分だった。


     *


 「外そうか」


 言葉は、自然に出た。


 田中が、一瞬だけ目を瞬かせる。


 「え、でも……」

 「代わり、用意できる」

 「はい……」


 それ以上、説明は要らなかった。


 私は、スケジュールを開き、

 該当箇所をクリックする。


 名前を消して、

 別の名前を入れる。


 たった、それだけ。


     *


 作業は、驚くほど滑らかに進んだ。


 確認は一回。

 修正も最小限。


 誰も文句を言わない。

 誰も不満そうな顔をしない。


 私は、

 「ああ、こういうことか」

 と、妙に納得していた。


 これは、感情の問題じゃない。


 配置の問題だ。


     *


 昼休み、田中が言った。


 「判断、早いですね」

 「そう?」


 自分では、意識していなかった。


 「前は、もう少し悩んでた気がします」

 「……結果が出てるから」


 それだけ答えた。


 田中は頷いた。

 納得した顔だった。


     *


 午後、例の本人から、

 短いメッセージが来た。


 「ご迷惑をおかけしました」

 「次は気をつけます」


 私は、既読をつけただけで、

 返信しなかった。


 何か言うべき言葉が、

 思い浮かばなかった。


 謝罪は、もう終わっている。

 判断も、もう終わっている。


     *


 定時前、課長に呼ばれた。


 「対応、早かったね」

 「はい」

 「助かったよ」


 それだけだった。


 評価は簡単で、

 理由も聞かれない。


 私は、

 「よかったです」

 とだけ答えた。


     *


 帰り道、ふと思う。


 今回は、

 胸が痛まなかった。


 迷いも、

 後悔も、

 確認のための自問もなかった。


 正しいかどうかを、

 考えなかった。


 考える前に、

 手が動いていた。


     *


 電車の窓に映る自分は、

 前と変わらない顔をしている。


 冷たいわけでも、

 得意げでもない。


 ただ、慣れている。


 ――これでいい。


 そう言い切れない気持ちは、

 確かに残っている。


 でも、それを

 判断に含める必要はない。


 私は、そう理解してしまった。


     *


 家に着いて、

 シャワーを浴びながら思う。


 もし次も、同じ状況が来たら。


 たぶん、

 もっと早く決める。


 もっと簡単に。


 それを、

 自分でも止められない気がした。


 水音の中で、

 その感覚だけが、

 はっきりと残っていた。



ありがとうございました。

感想をいただけるとありがたいです。

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