第5章 教える立場
辞令は、あっさりと出た。
「次の案件、あなたにサブリーダーを任せたい」
課長の声は、いつも通り抑揚がない。
特別なことを言っている自覚も、たぶんない。
それでも私は、一瞬、言葉を失った。
「……私、ですか」
「他に適任がいない」
それだけだった。
評価された、という実感はなかった。
ただ、選ばれた。
それだけで十分だった。
「分かりました」
答えた声は、思ったより落ち着いていた。
胸の奥では、何かが静かに膨らんでいたけれど。
*
指導対象は、三人だった。
新人が二人。
そして、社歴はあるが成果が安定しない社員が一人。
資料に目を落とした瞬間、私は小さく息を吐いた。
――また、か。
名前を見ただけで、進捗が遅れがちなのを思い出す。
悪い人ではない。
ただ、仕事が遅い。
以前の私なら、「大丈夫かな」と心配していたはずだ。
でも今は、違う。
遅れれば、全体に影響が出る。
それだけの話だ。
*
最初の面談は、形式的なものだった。
「今回の案件は、スピードが重要です」
「はい」
「分からないことは、早めに聞いてください」
「分かりました」
返事はいい。
いつも通りだ。
私は説明を進めながら、相手の表情を観察していた。
理解しているか。
ついてきているか。
――遅れそうだな。
そんな予感が、早くも頭をよぎる。
「ここまでで、質問は?」
「……いえ、大丈夫です」
本当に大丈夫な人は、そう言わない。
そのことを、私はもう知っている。
*
一週間後、予感は現実になった。
提出物が、遅れている。
連絡は来ていない。
私はチャットを開き、短いメッセージを送った。
「進捗どうですか?」
返事は、少ししてから返ってきた。
「すみません、少し詰まっていて」
少し。
その言葉が、やけに引っかかる。
「どこで詰まってます?」
「全体の構成が、まだ」
私は画面を見つめたまま、ため息をこらえた。
構成。
それは、一番最初に固める部分だ。
「締切、覚えていますよね」
「はい、もちろんです」
――覚えているだけでは、足りない。
指が自然と動いていた。
「では、今日中に構成案だけでも出してください」
「……分かりました」
既読がつく。
それで終わりだ。
*
夜になっても、提出はなかった。
私は資料を閉じ、椅子にもたれた。
怒りというより、疲労に近い感覚だった。
どうして、こうなる。
どうして、当たり前のことができない。
ふと、昔の自分の姿が頭に浮かぶ。
企画を却下され、何も言えなかった自分。
――でも、今は違う。
私は判断する側だ。
進める責任がある。
*
翌朝、私は彼を呼び出した。
会議室には、二人だけ。
「遅れています」
「すみません」
「理由を聞いてもいいですか」
彼は言葉を探すように視線を落とした。
「どうしても、詰めきれなくて」
「……時間は、十分ありましたよね」
言ってから、自分の声がひどく平坦なことに気づく。
感情は挟まない。
それが正しい。
「今回は、サポートを減らします」
「え……?」
彼が顔を上げる。
「まずは、自力で形にしてください」
「それは……」
私は首を振った。
「全員をフォローする余裕はありません」
「……分かりました」
その返事は、小さかった。
*
面談を終えて、会議室を出るとき、ガラスに映った自分の顔を見た。
驚くほど、落ち着いていた。
冷たいとも、残酷とも思わない。
必要な判断をしただけだ。
――これが、仕事だ。
以前、嫌っていたはずの言葉が、
今はすんなり胸に収まる。
私はデスクに戻り、新しい進行表を開いた。
遅れる人間を基準に、計画は立てられない。
できる人間で回す。
それが、最短で、最善だ。
そう考えながら、私はキーボードを打ち続けた。
自分が、どこまで来てしまったのか――
まだ、振り返るつもりもなく。
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