第3章 足を引っ張る人
仕事が順調なときほど、周囲の遅れが目につく。
それは、仕方のないことだ。
全体を見れば、誰かが遅れれば誰かが調整しなければならない。
分かっている。
理解もしている。
それでも。
「ここ、まだ終わってないの?」
自分の口から出た声が、思ったより硬くて、少し驚いた。
声をかけた相手――前に会議で名前を出された同僚は、パソコンの画面から顔を上げて、小さく肩をすくめた。
「すみません。ちょっと想定外があって」
「……どれくらいかかりそう?」
彼は一瞬、言葉に詰まった。
その沈黙が、私の神経を逆撫でした。
どれくらい。
いつまで。
それを答えられない時点で、問題なのだ。
「今日中には、何とか」
「“何とか”じゃなくて、具体的に」
言ってから、少しだけ後悔した。
言い過ぎたかもしれない、と思った。
でも、訂正はしなかった。
私は今、この案件の進行管理を任されている。
曖昧なまま進めるほうが、無責任だ。
*
自席に戻っても、集中できなかった。
モニターに映る資料の数字よりも、さっきのやり取りが頭に残っている。
――想定外。
――事情があって。
そんな言葉を、前の私は簡単に受け入れていた。
それが人間だと思っていた。
でも今は違う。
想定外が起きることも含めて、仕事だ。
事情があるのは、全員同じだ。
そう考える自分が、正しいと思える。
だから、苛立ちも正当化できた。
*
午後の進捗確認で、案の定、遅れが報告された。
「申し訳ありません」
彼はそう言って、頭を下げた。
理由の説明が続く。
私は途中で、それを遮った。
「理由はいいです。今後どうリカバリーするかを教えてください」
会議室が、少し静かになった。
何人かがこちらを見る。
以前なら、そんな空気に耐えられなかった。
冷たい人間だと思われるのが、怖かった。
でも今は。
誰かが言わなければならない。
そう思える。
課長が、ちらりと私を見た。
その視線には、否定も肯定もなかった。
それが逆に、私を落ち着かせた。
*
会議のあと、佐藤が近づいてきた。
「さっきの、ちょっと厳しくなかった?」
「そうかな」
「前は、もう少しフォローしてた気がするけど」
私は返事に詰まった。
フォロー。
確かに、前の私はそうしていた。
でも今は、そんな余裕はない。
「全体のこと考えたら、ああ言うしかないでしょ」
「まあ……そうだけどさ」
佐藤はそれ以上何も言わなかった。
その沈黙が、少しだけ気になった。
*
帰り際、遅れていた同僚が声をかけてきた。
「さっきは、すみませんでした」
「……大丈夫?」
そう返しながら、私は自分の言葉が上滑りしているのを感じた。
大丈夫なわけがない。
遅れは事実だ。
彼は小さく笑って、「頑張ります」と言った。
その表情に、なぜか胸がざらついた。
――頑張る、か。
その言葉が、空虚に聞こえた。
頑張るかどうかではない。
結果が出るかどうかだ。
そう思った瞬間、自分の中に、はっきりした線が引かれるのを感じた。
できる人間。
できない人間。
私は、前者でいたい。
*
家に帰ってから、ふと、第一案を却下されたあの企画を思い出した。
理由は、はっきりしていた。
数字が足りなかった。
当時は悔しかった。
冷たい、とも思った。
でも今なら、分かる。
あれは正しい判断だった。
感情を挟まない、合理的な評価だ。
私はソファに座り、天井を見上げた。
――もし、今の私が、あの企画を評価する側だったら。
答えは、すぐに出た。
同じ結論を出す。
迷いなく。
そのことに、少しだけ安心して、
少しだけ、嫌な気持ちになった。
私はまだ、冷たい人間ではない。
そう信じている。
ただ、足を引っ張る人間に、甘くする余裕がなくなっただけだ。
それだけのはずだった。
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