最終章 同じ尺度
その連絡は、業務連絡として届いた。
件名も、
文面も、
短い。
「近況のご報告です」
*
切った相手だった。
名前を見て、
指が一瞬だけ止まる。
それでも、
開いた。
*
内容は、驚くほど普通だった。
異動先の話。
新しい業務。
覚えることが多いという愚痴。
最後に、
こう書いてあった。
「今は、少し楽です」
*
それだけ。
責めも、
皮肉も、
感情もない。
*
私は、画面を見たまま動けなくなる。
楽。
その言葉が、
胸の奥で反響する。
*
私は、
あの人を切った。
正しい判断だった。
結果も出た。
周囲も納得している。
残った人たちは、
確かに楽になった。
*
そして――
切られた本人も、
楽になっている。
*
完璧だった。
誰も損をしていない。
*
それなのに。
私は、
返信を書けなかった。
*
「よかったです」
それを書くだけでいい。
事実だし、
嘘でもない。
*
でも、
その言葉は、
喉の奥で止まった。
*
もし、
あの時。
私が、
もっと早く、
もっと簡単に切られていたら。
私は、
どうなっていただろう。
*
たぶん、
同じことを書いていた。
「今は、少し楽です」
*
それは、
敗北でも、
救済でもない。
ただの、
配置換えだ。
*
私は、
ようやく気づく。
嫌っていたのは、
あの人じゃない。
その尺度だった。
人を、
速さと結果で並べる、
その基準。
*
でも。
私は今、
その尺度の中で、
一番うまく立っている。
*
立ててしまっている。
*
だから、
もう、
抜けられない。
*
私は、
返信欄を閉じる。
送らない。
送る言葉が、
ないからじゃない。
*
どんな言葉も、同じ尺度の中でしか出てこない
と、分かってしまったからだ。
*
デスクの周りは、
静かだ。
誰も困っていない。
誰も声を上げていない。
*
私は、
今日も判断を下す。
迷いはない。
嫌われてもいい。
正しさは、
ここにある。
*
――そう信じられるように、
なってしまった。
*
それが、
私が一番、
嫌っていた生き方だ。
*
でも今、
私は、
その尺度の中で、
呼吸している。
*
息苦しさを、
感じないほどに。
この物語は、
「間違った人」を描きたかったわけではありません。
正しい判断を、正しい速度で、
正しい理由で重ねた先に、
それでも残る違和感を書きました。
もし途中で、
主人公を少しでも「理解できてしまった」なら、
それがこの物語の終点です。
ありがとうございました。
感想をいただけるとありがたいです。




