第一幕ー⑦
数回目を数える僕らの脚本会議の場は、いつもの屋上だったり喫茶店だったりしていた。でもだんだん外にいるだけで苦痛を感じるくらい寒くなり、毎回喫茶店で長話をするのもなとは思っていた。お金かかるし。
だからって、駅集合で電車に乗らないとは想定外だった。どこに連れて行かれるかとそわそわしていると、案内されたのは大きめの一軒家。
え、マジ? 嘘でしょ?
表札には『大森』と書かれている。ここに来るまでむくれていて、一切の説明はなかった。こんなイベント聞いてないって!
『どうぞ』
と、言われても。躊躇していると彼女はすっと扉の奥へ引っ込む。この子にとっては我が家でも、僕にとってはサンクチュアリぞ。高校生男子にとって女の子の家はハードルが高すぎる。
しかもこのあとリビングでお話ししてご家族にご挨拶か、彼女の部屋で二人きりの二択でしょう? 将棋だったら即投了。野球なら五回18点差コールドだって。
いやしかし。
僕を外側から眺めている人々は僕のことをクール系男子だと認識しているはずだし、感情が暴れ回るような事態は僕も嫌いだ。冷静にスマートな立ち回りが求められる場面で、動揺してたら格好が悪い。
いやあ女子の部屋なんて慣れっこですけどね、はい。くらいの顔をしているべきだ。
「おじゃまします」
「あ、雲雀おかえり」
格好良く振る舞おうと思ったのに、突如地下から登ってきた半裸の女性がすべてを台無しにした。あらゆる部分が剥き出しなので見てはいけないと大森さんの方へ視線をやると、威嚇するミーアキャットみたいな顔をしていた。
「おや、誠司かと思ったら違うね。お友達もこんにちは」
Tシャツ一枚太もも丸見えさんは気にした様子もなく僕にも挨拶する。
「こんにちは。彼女と同じクラスで演劇部の西城紡といいます」
「聞いてるかどうかわからないけど、大森瑠璃です。この子の姉ですよろしくね」
姉の存在は聞いたことがなかった。シャツがくたびれているせいで肩が片方見えてしまっているこの方は以後、瑠璃さんと呼称する。
「遊びに来てくれたんだ、ありがとね。この子友達いないからさあ、仲良くしてやってね」
「意外ですね。学校では演劇部の中心になって精力的に活動していて、周りも友人に囲まれていますけど」
「ほーそりゃいい。まあ誠司以外とつるむようになったんなら成長だね」
「僕は彼女の演技を観て演劇部に入ろうと思ったんです。いつも刺激をもらっていて、脚本作りのモチベーションになっています」
「役者じゃないんだ。脚本を、この子に、ねぇ」
世間話ついでにフォローしておくつもりだった。でも対面していると、この人の目つきはなんだかこちらを落ち着かなくさせる。
「もしかして聞いてるのかな? この子の声のこと」
「ええと……はい、教えてもらいました」
「へぇ……」
僕を値踏みするかのような。すごく美人さんなのだけれど、それよりも怖さとか底知れなさが印象として残る。
「雲雀、つむつむのこと大事になさいね」
途中で入ったパズルゲーみたいな名詞は僕のあだ名のつもりだろうか。
「あ、ちょっ……!」
ここまで会話を聞いていた大森さんは、いきなり×棒を掲げて僕を部屋へ誘導する。
「ごゆっくりね~」
瑠璃さんの暢気な声が響く。
果たして連れて来られたのは、彼女の部屋なのだろう。女の子の私室にファンタジー要素を求めていたわけではないけれど、想像以上に殺風景だ。
飾り物もぬいぐるみもポスターもない。地下スペースがあるくらいだから部屋自体は相当広いのだけれど、物がない分余白が目立つ。最低限生活するためのねぐら、といった印象を受ける。
『座って』
どこに? クッションとかないんだけど。テーブルもなく壁際の勉強机か……あとはベッドしかないんですけどぉ?
機能美と言えば聞こえはいいが、およそ人を招待する部屋ではない。
『そっか なにもなかったね 今日は床でごめん』
神田先輩とか来ないのだろうか。幼なじみという話だし、家も近いんだろうし。
お互いベッドを背もたれにして腰掛ける。
『さっきの お姉ちゃん』
聞いたよそれは。
『だらしないけど とってもすごい人なんです』
「へえ」
『なんか反応うすい?』
別に家まで招かれたら、家族がいても不思議はなかろう。
「いや、姉がいたくらいで驚かないし。びっくりするほど美人ではあるけど」
誰もが目を惹かれてしまうような女性だ。芸能人ですと言われても、やっぱりそうなんだくらいにしか感じないだろう。
大森さんも、本人に自覚はなさそうではあるがすごくかわいらしい顔立ちをしてるんだけどね! 長い前髪がどうしても地味な印象になるからわかりづらいけどね。
『お姉ちゃん ruriって名前で活動してるの』
「あの若者から絶大な支持を受けつつ、でもその素顔は一切メディアに出てこない新進気鋭のネット発シンガーソングライター。『天使が授けた歌声』ことruriがあの人だって言うのかい」
今は知らない人の方が少ないほど有名なアーティストじゃないか。
『詳しいね そうその本物』
そりゃ多少音楽を聴いていればどうしたって耳に入ってくるだろう。食わず嫌いはしない質だから、流行り物は一通り履修するようにしている。この世のものとは思えないくらい透き通った声、というのが感想だった。
「へぇ、あんなに若かったんだね」
『うん』
「そういえば佐倉さんも聴いてたっけ。すごい人気だよね」
およそあの人の趣味に合うとは思えないのだけれど。綺麗に聴かせるような歌に唾を吐くような人だ。それを本人に言ったら「浅いね」と返されそうな気もするが。
大森さんは黙ってしまう。会わせたくなかったのかな、呼びつけたくせに暗い顔色をしている。
早く本題に戻ろう。
「でさ、どうだった。僕が仕込んどいた脚本」
彼女のおめめがまんまるになって僕を覗いている。
「なに……? 文句あったんじゃないの」
『文句あったの思い出した』
僕の右腕をぽかぽか殴る。スキンシップの域をでない攻撃。これが学内ならともかく、彼女の自室であることを考慮すれば、描写したとき『いちゃいちゃする二人』と形容されるのでは。
『どうして相談もなしに』
「面白そうだったから」
実際、僕の溜飲は下がった。素敵なリアクションをいくつも貰ったから。
『何回も会議したのに』
「ぼろくそだったね。今後は僕主導で進めた方がいいかもね」
『あんなキャラクター私じゃない』
「自分の魅力って、自分じゃ気がつかないものだからねぇ」
彼女の提案する自分像はお姫様色が強すぎて、好意的に見ている僕ですら胸焼けするときがある。
『私 あんなに腹黒くない』
いやあ、天然物なんじゃないかと僕は疑っていますよ。何度ズルいと思わされたことか。
「でも、どんな手段でも想いを伝えたいって部分は君と重なるでしょ」
脚本の主人公は、何度失敗してやり直したとしても、中心には一途な想いがあって。そのまっすぐさは、彼女とリンクするはずだ。
『構想があるなら最初から言ってよ』
彼女が納得したのかどうかはわからないが、部としての方針は決まってしまったのだ。
「次はそうするよ。ごめんね」
『私も 怒ったりできる立場じゃないね』
『紡くんにお願いしてるのに』
『ごめんなさい』
こちらが素直に謝ると、相手も萎れてしまう。
「ないがしろにするつもりはないから、信じて欲しい。大森さんの声も取り入れつつ、纏めるのは僕に任せてくれれば」
まだ一作品も書き上げたことないのにな。ずいぶんデカイ口をききやがる。
でも、彼女と過ごした数ヶ月は信頼を勝ち取るには充分だったようだ。大口も叩いてみせよう。
「だから……」
「雲雀、お茶飲む~?」
扉を蹴破って瑠璃さんが侵入してくる。トレイの上にティーカップを載せているからもてなしてくれる気なのだろうが、登場の仕方がワイルドすぎる。
『今脚本会議中』
必死に×棒で追い払おうとするが、瑠璃さんは気にする様子もなく。
「そっか机もないんだこの部屋。不便だね~」
ぶつくさ言いながら一度部屋をでて、どこかからローテーブルとクッションを持ってくる。
「あんたさ、友達呼ぶのはいいけどもっとちゃんとしな」
瑠璃さんを前にしているとずっと拗ねたような顔をしている。学校では見ることのない表情だ。
「そんなお構いなく。僕は気にしないので」
「いやいや、本当ならこの子が自分で出すべきなのよ。そうだよね、雲雀。あなたが招待したんでしょ?」
正論かもしれんが、ヤクザキックで扉を開けた人のいうことではないと思う。
長い間があったのち、彼女はこくりと頷く。
『そうだね』
『ごめん紡くん ありがとうお姉ちゃん』
「わかったんならよろしい。さ、美味しい茶葉が手に入ったから楽しみますか」
『わかったけど それはともかく お姉ちゃん邪魔』
「ま、酷いわ邪険にして。お姉ちゃんもつむつむとお茶したいのに」
『演劇部のお話なの』
『それにお姉ちゃん 作曲中でしょ』
「あのね、四六時中譜面と向き合ってたら気が狂っちゃうでしょ。ただでさえ引きこもり気味なんだから。息抜きしようかってときに新しい出会いがあったら、そりゃ遊びに来るわよ」
もしかしたら地下から上がってきたのは、防音室でも備えているのだろうか? すごいな大森家。
『私も紡くんも忙しい』
お茶くらいならと思うが、よっぽど姉と絡むのが苦手なんだろうか。
「厳しいねえ。あんたが友達連れてくるのなんて初めてなんだから、どんな人か気になってたのに」
どうやら僕は彼女の中でそれなりの地位にいるらしい。気を許してもらってるのだろう。一方で、神田先輩は「その枠」で扱わないくらい気軽に出入りしているのだろうね。
「つむつむ、今度時間あるときにお姉さんともお話ししてよ」
「もちろんです。お茶を淹れていただいてありがとうございます」
「しゃーねえ、一人で飲むか。雲雀ぃ、今度からはおもてなしもするのよ」
『わかりました』
本当に追い払ってしまった。扉が閉ざされると、ふぅーっと深い息を吐いている。
「……苦手なの、瑠璃さんのこと」
『すごい人だから 大好きだけど 遠くにいってほしい気持ちもある』
「複雑だね」
『そうなの なんでもできちゃうから 昔から』
彼女は瑠璃さんとの昔話を語ってくれた。
幼少期から大森瑠璃の才能はずば抜けていたらしい。運動勉学芸術何をやらせても同世代には敵がいなかったのだと。そんな姉に憧れを抱きつつ、成長するほど比べられることが怖くてたまらなくなったと。
姉の興味はあちらこちらに移り変わり、一緒にはじめた物事でもさっさと極めて次に行ってしまう。ピアノ、バレエ、絵画などは圧倒的に優劣がついてしまうので嫌だったそうだ。
その中で、芝居だけは違った。姉とは明確に違う役がある。ヒロインは瑠璃さんかもしれないが、脇役で台詞は少ないかもしれないが、大森雲雀の居場所が確かに劇の中に感じられたのだと言う。
そこから大森さんは芝居にのめり込むようになったそうだ。
そして瑠璃さんは、歌手という自らの才能が最も輝く道を進み始めた。
『だからいっそ 見えないくらいの高みまで昇ってくれたら』
『もっと仲良くできると思う』
以前彼女は高い壁がいると言った。それは自らの恋心が成就するためには乗り越えなければいけない壁であるらしい。
つまり、その壁とは神田部長の思い人で……それが実の姉であるとしたら。
誰もかれも、叶わない恋に苦しんでいるのかもしれない。
星を掴もうと駆け出す男。呼び止めたくとも声も出せない女。
そしてそれを遠目で覗き込む、無粋なお邪魔虫。
「上ばかり見上げていると疲れちゃうよ」
『物心ついてからずっとこうだから 肩こりが酷くて』
「たまには足元をしっかり見て、目の前のすべきことに集中してみるとかさ。何にもないと思ってた道路の脇にも、綺麗なたんぽぽが咲いてるかもしれない」
『紡くんは詩人だね』
僕が中学二年のときに書きためたポエムノートから一部抜粋したのだが、案外ウケがいいようだった。
「ロマンチストじゃなきゃ脚本なんてやってないんだよな」
『楽しみにしてるね あなたの作品』
「大森さんの魅力を活かせるようがんばります」
びしぃ! っと人差し指が眼前に突きつけられた。危ねえ、なにごと。
『なんで』
『会ったばかりのお姉ちゃんは瑠璃さんで』
『私は未だに大森さんなんでしょうか?』
なんでって、そりゃ……僕にとっては大森さんとは彼女のことで、いきなり現れた第二の大森さんと区別するために瑠璃さんと呼んだに過ぎず。いや……そういうことじゃないのだろう。
怖いんだよな、名前で呼んだらさ。一定の距離を置いておかないと、僕はまた勘違いをしてしまいそうで。
名前ぐらい、なんてことないだろ。意識しすぎなんだよな、ダサいな。
「それは失礼。こういうの、変えるタイミング難しいから」
喉がカラカラに渇く。ほんの短い台詞でも、僕にとっては……宝物みたいな響きなんだ。おいそれと口には出せないほど。
「雲雀……さん?」
彼女はノンノンと気取った所作で人差し指を振った。参ったな、妹以外に呼び捨てなんてしたことないんだけれど。
「……雲雀。これでいい?」
ようやく、○棒とともにいつもの彼女の笑みを浮かべてくれた。




