第一幕ー⑤
「おつかれさま。話ってなんだろう?」
夕刻、劇を終えた僕たちは打ち上げをする前に終わり間際の文化祭をそれぞれ楽しもうと言うことに。そんな中で、彼女はわざわざ僕を呼び出した。
屋上庭園にいる人はまばらだ。みな階下の祭りに呑まれているのだろう。僕らは並んでベンチに腰掛ける。
『ごめんね 行きたい出し物とかあった?』
「別に。どこが何をやってるのかも知らないよ」
各団体、来場者を楽しませようと趣向を凝らしているはずだったが興味はなかった。演劇部の方にずっと時間を使っていたし、仮にあのときここで彼女に出会わなければ僕は、文化祭に参加していたかどうか。
『ちょっとだけ待ってね ごめんね』
対照的に彼女はここに来るまで結構な量の食料を買い込んでいた。小食の僕が無理をしても食べきれないくらいのボリュームをさっきから内蔵に送り込んでいる。
我慢しきれずホットドッグをもしゃもしゃ。舞台上でカロリーをすべて振り絞ったのだろう。僕は喉を詰まらせないようドリンクを持って待機する。
むせた。
「馬鹿。慌てて食べるから」
案の定である。キャップをひねって取り去り、そのまま渡すと豪快に天を仰ぎながら喉へ流し込んでいく。
「……平気?」
○棒。
『紡くん ありがとう』
ボードを持ったり、ドリンクを持ったり、意思表示アイテムを持ったり、食べ物を食べたりで忙しすぎる彼女の両手だ。
「パンくずついたまま」
ハンカチを取り出して、彼女の唇のそばを拭う。ずいぶん距離も近づいた、と思う。この程度が自然にできるようになったのも、先ほど断絶を味わったからだろう。
役としては格好つかない、舞台の下のふにゃっとした彼女の笑みが、僕は……。
『お待たせです』
食べ終わったのに、マスクはせずそのまま、らしい。
「いいえ」
『大切なお話です なので事前にメモに打ち込んであります』
「ほう」
『聞いてくれると嬉しいけれど このことがあなたの重荷になったりするのは嫌なので ダルかったら忘れてください』
「承知しました」
『ではこちらを』
彼女の言うとおり、操作一つで長文が画面に表示された。
目線を走らせて最初に飛び込んできた一文は、思わず顔を背けてしまいそうなほど重い言葉だった。
『まず初めに、気づいているかもしれませんが、私は日常生活で声が出せません』
『喉のケアという名目で逃げているけれど、現状、努力しても声は出てくれないのです。不思議と、劇の台詞や歌詞など「私の声」ではない部分での発声は確認されています』
『これはおそらく心因性の病気であり、私が喋ろうとしても喉が詰まって上手くいかないのです。これを知っているのは家族とせーくんぐらいで、部のみんなにも伝えていません。勘づいてはいるかもですが、明言はしていません』
何度も疑問に思ったことはある。ただ一言、ほんの数文字口にすれば済むような場面でも、彼女はかたくなにボードを使う。驚きこそないが、実際にそうだと言われてしまうと、心がざわついた。
『数年前からで、なんとなく原因はわかっているけれど、取り除くのは不可能に近いです。過ぎてしまったことなので』
『カウンセリングにも定期的に通っています。でも思わしくありません』
『まずこちらの都合で紡くんたちに不便を強いていることを謝らせてください』
『けど』
『そんな状態でもあなたには知って欲しかったんです。あなたと出会って、あなたが演劇部に入ってきてくれて、脚本が書きたいって聞いて、私は、勝手に舞い上がってしまいました』
『あなたが私の声を褒めてくれたとき、とっても、とっても嬉しかった。声は私にとってコンプレックスの塊みたいなものだったから』
『あなたが書くシナリオなら、劇の台詞としてなら、私は歌えるんじゃないかって。用意された役よりもっと私に近い姿で、舞台に立てるんじゃないかって、思った』
言葉を喪った彼女に助力できるなら、僕は協力してあげたい。憧れで入部まで決めた僕だ、頼ってくれて嬉しくないはずがない。
だけど……。
『また自信を取り戻して』
『私自身の声として』
『私は彼に、想いを伝えたい』
突きつけられてしまうと、やはり、きついね。
『神田誠司に好きだって、私という役で伝えたい』
一本のライン。線引きを踏み越えなかったおかげで僕は、まだまともでいられる。
さっきの舞台で思い知らされたから、動揺せずにいられた。覚悟してたし、薄々気づいてたし、苦しくなどないってば。
アブねー。神回避。
『そのために紡くんに、手伝ってほしいの』
『私に、声をください』
『ありのままの女の子の役を、書いて欲しいの』
いいね。要はこの天才シナリオライターにラブレターを代筆しろってことでしょ? さながら二人を結ぶキューピッド的な? 弓と矢だけこっち持ちで? あとはひばりんが当ててこいって話ね。
『おはなしは以上です お返事はすぐじゃなくても』
手を握るなよ、馬鹿。顔が近えし。こんな場面、好きな人に見られたら勘違いされるぞ。
「やるよ」
『ほんと?』
「元々そのつもりで入部したんだし。君の意向を脚本に盛り込む形で、いいのかな」
『ごめん』
謝るなよ。
「謝るなよ」
びくっと身体の震えが伝わる。内心がそのまま漏れ出たせいで声が低すぎた。NGだっての。
咳払いでリセットする。
「謝ることないよ。僕が君を輝かせる、最高のシナリオを書く。それで共演者のハートを射止めてくればいいさ」
『あの 気持ちは伝えたいんだけど』
『射止めるのは 無理かも』
「ずいぶん弱腰なんだね」
『とてもとても高い壁がいるのです』
壁に挑んでやるって気概よりは、諦めに近いものを感じる。
「そんなもん壊しちゃえばいいんじゃない。舞台上の君ならできるよ」
『その壁は 舞台の上でなくて はるか高みにいるのです』
「じゃあ下からバレないようにくぐり抜けていくのはどうか」
わずかな息漏れ。笑おうとしたのかもしれない。
『その方が現実的だね』
「協力はするけどさ、僕が言葉を用意したとしても、一番重要なのは君の勇気なんだから。今から挫けてちゃダメだよ」
『耳が痛いです』
『でも そうだよね いつまでも喋れない弱い女の子じゃだめだよね』
『がんばってみる ありがとう』
鈍感な主人公が意識してしまうような恋の歌を、僕はこの子に贈ろう。そうすることが多分、僕の心の決着にも繋がるはずだ。
「そろそろ降りようか。後夜祭始まってるし、キャンプファイヤーしてる」
『私と踊る?』
あーあーだから距離感なんとかしろよな。もしかして計算尽くでやってる? だとしたら自分の道化っぷりがいやになるんだが。
「来年の文化祭のステージで君が振られたら、彼の代わりに踊ってあげるよ」
タイムリミットはそこだ。彼が引退するまでの一年。書ける作品は稽古を考えると一つか二つ。
『わかった ちゃんと慰めてね 玉砕しても』
泣いて隙だらけのところをそのまま……なんて外道な思惑はありませんよ。
「そうだ、報酬だけ先払いでいいかな?」
『おいくらですか』
「飴ちゃんちょうだい。今」
彼女はポケットから鷲掴んだ飴ちゃんを六個、手のひらに広げて見せた。大切に食べよう。挫けそうなときに、今この瞬間の決意を思い出せるように。
景気づけにまず一個、口に放り込む。残り五つだ。
やろう。やるしか、ない。
それしかこの子のそばにいる術がないなら。
『自分の分なくなっちゃった』
「…………はい」
ああやっぱり締まらない。脇役だから格好つかない。僕は一つ封を切って、彼女の唇に押し込んだ。
二人で飴玉をころころしながら、屋上をあとにする。
いつもよりずっと美味しく感じて、自分が大きく削られていたのだと自覚する。
嘘みたいな甘さだけが、ささくれだった心を癒やしてくれた。




