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第一幕ー④

 文化祭を目前に稽古も大詰めになってきた。発表の場である体育館のステージを使って段取りを確認したりする。舞台監督の本領が発揮される。


「もう貼って平気? んじゃここバミっといて。みゆき先輩、そっちからだとどうです?雲雀の位置……もうちょい前で。あー机持って来れた。んじゃ置いてみて。バミっといて」


 バミる、とは舞台にビニールテープで立ち位置や機材を置く場所の印をつける、ことらしい。


 舞台全体を俯瞰して、演出のプランに沿うように指示を出していく。その仕事量の多さと言ったら凄まじい。実際に今行われている作業は仕上げに他ならず、何ヶ月も前から構想を練ってスケジュール管理をしているのだ。


 準備や稽古の遅延をさせず、公演日に完成させること。関わる人が多くなるほど、舞台監督の負担は大きくなるのだろう。


「すごいですねカントク」

「中学のころから、彼はずば抜けていたよ。普通顧問に任せてしまいそうな仕切りを全部自分でやって、裏方の長としてまったく妥協しない。先輩相手にもすげえ言うしね」

 相当詰められた経験があるんだろうか、神田先輩はやや苦い顔をしている。

「その上で演出も兼務してるからな、劇を作るプロになりたいんだと思う」


「ここ、のんびりやってると転換間に合わないからなぁ。踏ん張ってやってくれ。最悪紡に運ばせろ」

 僕は初めてだから今回は客席にいていいって話じゃなかったか?

「所詮学生の管理だから! 時間が押してくることくらい想定しとけよ! 常に余裕持っとけっ」


 体育館中にカントクの声が響く。他の部活も活動しているのに、物怖じとかしないんだろうか? 見学に来ている実行委員もプレッシャーを感じていることだろう。


「次、誠司先輩上がって! 雲雀は水飲んでこいっ」

「高校初舞台だからかなぁ、気合い入ってるわぁ。……んじゃ、行ってくる」


 先輩はこれから叱られる子供みたいに背中を丸めて歩いて行く。立ち替わり、彼女がやってきた。


「どう? 実際の体育館は」


 返事はない。本番じゃないから脇に筆談具は持っているのだけど。


 舞台が近づくほど、彼女が研ぎ澄まされていくのを感じていた。稽古の前後などは特に。

 ひとたび台詞を声に出したなら迫力は段違いだ。まさに役を憑依させたかのごとく、大森雲雀の面影を感じさせない演技をする。


 今も、過集中の状態から解脱している最中なのかもしれない。

 一言も綴ろうとしない。目線は身体の斜め下に固定されている。 


 話しかけない方がいいだろうか? 休憩中だしな。でも、わざわざ遠目で見ていた僕の横まできてるしな。よくわからんなぁ。


「夜通し車を走らせて、自分が闇夜に溶けていくのを感じる。ただ闇を、黒いようで白くもある空間を切り裂いて、気づけば自分の居場所も目的も忘れ去っていた。朝が怖くて、でも待ちきれないような焦燥感に苛まれながら、僕は何もかも忘れたかったのかもしれない」


 先輩が長台詞を決めた。台詞を覚えてからの彼はもう格好いいの一言で、ルックスも相まってとても魅力的な役者だと思う。実際女性人気も相当高いらしいし。


 安堵の息漏れが聞こえた。となりにいた彼女だ。

 先輩の演技が滞りなく進んで緊張が解けたのかもしれない。


 瞬間。


「あえっ」

 止める間もなかった。気づいた時には遅かった。僕の左手に所持していたはちみつれもんティーを大森さんはさらっと奪い、そのまま直に口をつけて。

 一、二、三、四口目まで。

「ちょちょちょ」


 慌てふためく僕をよそに、ボトルの七割程度を空けてしまった。ぷぁっと吐息が漏れる。マスクをしているのが常のため、あまりお目にかからない彼女の唇が濡れて光っている。


 ようやく気づいたのか、僕とボトルを交互に見比べる。照れくさそうに笑った。


『ごめん 今人格飛んでた』

 大森雲雀の人格がコックピットに入るまでの無意識下での出来事だったのか。

『いっぱい飲んじゃった』


 確かに僕は一口くらいしか飲んでなかったけど。いや別にどれだけ飲もうと別によくて、残りを戻されても困ってしまうわけで。

『買い直す?』

「気にしなくていいよ。なんなら全部飲んじゃっても」

 というか僕の飲みかけで嫌じゃなかったのだろうかこの子は。

『実は自分の分ある 同じの 飲みかけの』


 鞄から取り出したのは半分くらい残った同じ商品。なら間違えても仕方、ないよな?


『ごめんねぇ』

「あんまり深く入りすぎると、役から帰ってこられなくなるよ」


 彼女は嬉しそうに○棒を取り出した。

『そうなの! 幼稚園のお遊戯会でイグアナの役やったときも』

『向こう一週間くらいは四足歩行が抜けなかったのよ』

 幼稚園で娘がイグアナ役を配されたらクレームを入れる親も出てくるのではないか。

「それ、今もできるの?」

『こうだよ』


 彼女の瞳から光が消えた。ぎょろりと動く目玉はどこを見ているのか焦点は定まらず、およそ意思を感じさせない。口は半開きでわずかに舌が覗く。不規則な両の手のひらが僕の左腕をぱしぱし叩く。このまま伝って首まで登ってきそうなリアル感。今彼女の身体を動かしている魂は間違いなく人じゃない。

 こちらをからかってやろうとか、笑わせようとかではない。ただ言われたとおりイグアナを憑依させて人でなくなっただけなのだ。


「もういい、もういいから。わかったすごいよ」

 怖い怖い怖い。充分に力量は伝わった。

「ねえ聞こえてる? ねぇって、ストップだって」

 唇をぱかぱか、舌をちろちろ。言葉は通じていないのだろうか。


 このままでは帰って来られなくなるかもしれない。僕の憧れた女優、大森雲雀はイグアナ役が遺作になるのだ。受けいれられるかよ。


 身体のあちこちが触れあっているとか、顔の距離がめちゃくちゃ近いとかそんなことはどうでもいい。荒ぶるイグアナの魂よ、彼女に肉体を還してやっておくれ。


「なんとかなれー!」


 僕はしゃにむに鞄から解答ボタンをひったくった。彼女の目の前に掲げ、ボタンを押し込む。


 ティロン!


「はぁ……はぁ……」

 大森・イグアナ・雲雀は音に面食らって動きを止める。

 どうやら上手くいったようだ。再び彼女が操縦権を手にするのを待つ。

『とまあこのように 夢中になってしまうときがあるんですね』


 イグアナ中の記憶はあったのかだけ質問したかったが、ないと答えられたら立ち直れそうになかったので胸の奥にしまっておく。

 いやあ焦った。これから彼女に芝居を頼むときには慎重にならないと。

 喉が無性に乾く。手に持っていたドリンクを一気に飲み干す。

 あかん。

「……っべ」


『私の残り 飲む?』


 僕が意識しすぎで格好悪いかもしれない。高校生にもなって、この程度のことで。

 でも、女の子側が気にしてくれ、とも思うんだよ。






  新しい環境、出来事に振り回されているうちに、あっと言う間に文化祭本番を迎える。舞台袖に集まって、部員全員で円陣を組んで士気を高めている。ここまで残ってくれた数名の最上級生も気合い充分。


 輪に入りはしたけど、同調するわけにはいかないな。僕は素人で、真っ当とは言いがたい理由で入部を決めた身で、みんなの積み重ねてきた努力のほんの僅かしか知らない。


「あー結構客はいってますね。こりゃミスれないなぁ、ま、やるしかないか」

 佐倉さんはへらへら笑っていて本番前とは思えない。その強心臓ぶりは見習いたいものだ。


「みんな~落ち着いてね。言い方はあれだけど、県発表会のリハーサルだと思って。乗り越えてこう」

 唐辺先輩の声は本当に周囲を落ち着かせる。大丈夫、という心強い言葉がみなの胸に刻まれるようだ。


「下の世代が入部してから、中心はずっとお前らなんだ。誠司、雲雀、頼むぞ。最高の舞台にしよう」

 最上級生の阿方先輩は、主演の二人に託すような言葉を残す。


「お世話になりました、先輩方。全部出し切ろう、みんな!」

 神田新部長の号令一下、皆が持ち場に散っていく。その中で二人、僕の方へと集まってくる。


「観てていいけど、漫然と過ごすなよ。全神経集中してな」

 舞台には上がらないのに、カントクの放つ圧は戦に向かう侍のようだ。

 肩に置かれた手のひらの熱さたるや。期待もプレッシャーも同じくらい、重い。


『次はあなたの詩 聞かせてね』

 舞台用におめかしした大森さんが、僕だけに見えるようにボードをこっそり掲げた。これから演じる役ではなくて、次――僕が脚本を書く予定の物語。


『私に言葉をください』


 卑怯だ。反則だ。こんな笑顔と信頼を向けられたら、応えてあげたくなるに決まっている。

「うん、がんばってみるから。まず目の前の舞台を楽しんで」


 頼もしげに頷いてくれる。この瞬間、僕らは通じ合った気がしたんだ。

 胸のうちがふわふわして、すごく満たされた気分で客席についたのに。仲間だとみんなが認めてくれたから浮かれていたのだろうか。


 いざ幕が上がると、彼我を隔てる一本のラインが浮き彫りになる。


 舞台上とそれ以外。館内はその二つに分かたれている。きらびやかなライトに照らされ歌い踊るように役を演じる主役と、それを眺めるだけの僕ら観客に。


 残酷なまでに突きつけられる。


 自分が「あちら側」でないことを


 主役達の中でも突き抜けた彼女――大森雲雀の隣に並ぶことなど、この先も到底、できはしないのだと。


 パートナー役の神田先輩は彼女の魅力をしっかり受け止めて、より高みへ導くように演技のテンションを上げていく。長年培ってきた二人の絆と信頼が、いかんなく本番で発揮されている。


 研鑽された芝居の隙間に、ぽっと出の素人が入る余地などない。


 わかってたはずだ、最初から。だから脚本担当を志した。


 自分が書いた台詞を彼女が歌う。それだけでよかったはずだ。


 なのに身の丈に合わない夢など見るから、こうして心が軋むのだ。期待は失望を倍増しにした。予防線を張り損ねたせいで、胸がじくじく痛みやがる。


「……きれいだ」


 磨き上げ、この日のために温め続けたとっておき。なんて美しい響きだ。どうしてこんなに感情を乗せられる? この声が僕の行く末を決定づけてしまった。


 知る前には戻れない。忘れられるはずがない。

 舞台を降りた彼女のそばにいられる今を、なかったことに、できない。


 ならせめて記憶に焼きつける。役を宿らせたときの彼女の美しさを。魅力を。精錬された宝石みたいな声と、感情を揺すぶる身振り手振りを。


 改めて思い定める。

 隣に立てないならせめて、僕の書いたシナリオで輝く彼女を見ていたい。誰も見たことない一番素敵な大森雲雀を描いてやる。


 それが脇役にできる、精一杯の自己主張だ。

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