第一幕ー②
「いいか! 脚本ってのはキャスト、スタッフに全員に配る劇の設計図だ。てめえ一人で書いてるオナニー小説とはまったく別物だってことをまずは理解しろ」
入部から数日経ち、未経験の僕はとにかく挨拶回りもかねて色んな作業場に顔を出すことにしている。そして今日はカントク直々の脚本指導のお時間だ。
彼は言葉が厳しい。同学年の僕だけではなく、先輩相手にもびしびし指摘をいれる。部に入ってからせいぜい半年そこらだろうに。3年生よりすでに偉そうなのだ。
そう、その3年生だが初秋のこの時期まで残っている部員は稀らしい。カントク曰く。
『演劇部の全国大会って年度を跨ぐんだよな。10月に県大会が始まって、年明けの関東、そして全国は夏だ。だからそこまで進んでない高校の3年は春の発表会で引退しちゃったりすんのよ』
むろん文化祭を引退舞台にする人もいて、受験との兼ね合いになるそう。秋までやろうと部に残ったガチ勢の3年生さえカントクの言うことを素直に聞くんだから恐ろしい。
「基本はわかりやすく、的確に。過度な心理描写や比喩はカット。細かすぎる指定は役者の演技を殺す。んなもん小説でやっておけ」
彼が槍玉にあげているのは僕が入部時に持ち込んだ小説だ。あれは別に役者に演じて貰うつもりで書いてないし。こういうの書けますよって提出した言わば名刺代わりの作品であって胸焼けするとか自慰行為みたいとか揶揄されたところでこちらになんらダメージはないことをここに記しておく。
「そして脚本とは、主に三つの要素で構成される。何かわかるか?」
カントクの声を遮るように、ティロンと軽やかな音が響く。
『柱、ト書き、セリフの三つです!』
どうして稽古中の彼女が僕と一緒に脚本講座を受けているのか。しかもタブレットの文章読み上げ機能を使って解答までしてしまった。
「俺は紡に聞いたんだよっ。雲雀、遊んでないで稽古に戻りな!」
詰め寄るカントクを無視して、大森さんは○棒で正解をアピールしてくる。一点先取とでも言いたげに。
「こんなところで油売ってていいの?」
『せーくんが台詞飛ばして一人でやりたいっていうから』
「ならお前もホン読みしてろよ」
『私はとっくにインプット済みなのです』
彼女は一対多で喋るときはこの文章読み上げをよく使う。まくし立てたいカントクは彼女の音声入力を待つ度に焦れている。
『なので紡くんと交流を深めに来たのです』
それは無機質な合成音声でしかない。でも自分の名が呼ばれるたびに反応してしまう。みっともないと我ながら思う。
「聞くだけなら構わん。でも邪魔はするなよ」
『私 邪魔かな?』
不安げな上目遣い、潤んだ瞳、切なさを纏った表情、全部演技なのだろう。女優ってズルいなと思いました。
まさか×棒を突きつけるわけにもいかなくて。
「カントク、主演女優自ら意見をしてくれるようだ。ここはアドバイザーとして参加してもらおうよ」
「……あんまり雲雀を甘やかすなよ」
呆れたのか諦めたのか、カントクは渋々講義を再開する。
「柱書きはそのシーンの場所や時間帯を指定するためのものだ」
『学校・空き教室(夕方)』
『みたいな感じね』
「ト書きは登場人物の行動や状況を書くために使う。お前がカメラを持ったとして、のぞき込んだ今の映像を文字に変換する」
『紡、カントクに脚本の書き方を教わっている。』
『雲雀、ホワイトボードに例文を書いてみせる。みたいに』
「あとはセリフだな。繊細な筆致で気持ちの揺れ動きを描写しようと、それを表現するのは役者なんだ。小説と違って観客は地の文を読まない。そして、テレビドラマや映画のようにズーム視点もない遠いところから劇を眺めるんだ。心情を伝えるためにはセリフを上手に使いこなす必要がある」
他の媒体との違いを突きつけられたことで、演劇脚本の難しさがようやく身に染みてくる。文章自体は書き慣れているし少し工夫すれば書ける、とうぬぼれていた。
これは、僕が今まで触れてきた小説作品とはまったく別物なんだ。
「お前一人で作るわけじゃないからな。部員全員でどんな話にするか決めてもいいんだ。書いて終わりって訳でもない。脚本ができたら、役者は稽古を。道具部隊は大忙しだ。演出プランを決めたら音響、照明の力で役者を輝かせる。これがオリジナルで、劇を作るってことなんだよ」
胸の奥からじんわりと何かが溢れてくる。痺れと熱と、モチベーション。それらがない交ぜになった肉汁のような透明な液体が身体を満たしていく錯覚。
「期待してるぜ、紡」
『がんばって 紡くん』
二人して満面の笑みを向けてくるものだから、僕は視線を手元のノートに落とし、メモする振りでやり過ごした。
カントクの坊主頭に反射する夕陽が眩しすぎたせいだ。
『せーくん またおんなじところだよ』
「すまんすまん。長台詞苦手でなあ」
『ちゃんとして』
機械音声に叱られるのちょっと怖いな。稽古中でマスクは外しているのだからそのまま言えばいいのに、徹底している。
大森さん、神田先輩にはズバズバ指摘いれるんだよな。入部してみてわかったのだけど、彼女の演技レベルというのはやはり相当高いようだ。
部員達からも尊敬されているし、僕は知らないけど中学での実績もあるらしい。メイン級の役回りは確実、だそうだ。
「いまの台詞が決まってたら直後にこのSEを入れる感じね。タイミングが重要だから」
ただ役者の姿を見ていただけではない。本日の裏方講習、音響の時間だ。
「指定された通りに鳴らさないと、雰囲気ぶちこわしちゃうこともあるから集中してね」
そう語るのは同じく1年生の佐倉千尋さん。並んでタブレットの前に座りサンプラーアプリの説明をしてくれている。
「だからその都度その都度せちゅめいを」
ブブー。
神田先輩は先ほどミスったところを意識するあまり別のところで舌を嚙んだ。すかさず佐倉さんはSEで煽る。大森さんも「×棒」を取り出した。
「すみません……」
神田先輩はすみっこに退避し台本と睨めっこし始めた。パートナーはやれやれと首を振り、僕らの方へやってくる。
『せーくん 覚えるまでが長いのよね』
「お疲れさま」
『疲れるほど練習できてない』
いつもの飴ちゃんを口に放り込むと、さっさとマスクしてしまう。
「やめちゃうならあたし、素材探しに戻るけど」
首から提げたトレードマークのヘッドフォンを掴む。いつも耳を塞いで端末と睨めっこしているせいで近寄りがたい雰囲気があった。
「僕はどうしたらいいだろうか?」
「こういう作業だって覚えてくれればいいんじゃない? 次の文化祭では見学しててもらうだけだし。あ、あんたが書き始めるときには舞台設定と劇の雰囲気だけ早めに共有してくれると助かる」
ここでも当然だが脚本ありきで話が進む。演出と相談して効果音やBGMの雰囲気を選定して、音響担当は指定に見合った素材をディグっていく。
佐倉さん、マイペースな人だな。外界の雑音をシャットアウトして先週発表されたruriの新譜を聴き始めている。SE探しじゃないのかよ。
大森さんと顔をつきあわす。邪魔されたくなさそうだったのでその場を離れることにした。
中身を知らないお道具箱CとFに二人で腰掛ける。ぬっと突き出された飴ちゃん。前に貰ったのは表面がでろでろに溶けていて包装紙に張りついていた。それでも食べたけど、まあ甘ったるかった。
「いただきます」
こういうときさっとお返しができるように、僕も何か常備していればいいんだけど。今日のはきちんと形を保っている。夏の盛りに外で稽古してたから仕方ないよな、熱を孕んでいても。
『演劇部はどうですか?』
「何もかもが新鮮で楽しいよ。高校に入学したときにはこんな生活、想像もしてなかった」
『聞きにくいことを聞くけれどー』
目線は正面に、ボードだけ僕の方に向けてくる。
『私がきっかけだったり するのかな?』
それしかないよな。文化祭で観て憧れた、とかならまだ理屈として成り立つかもしれないけど。
「うん。君のあの演技をみてから、だね」
現在進行中の稽古をみるに、シェイクスピアをやるわけではないらしい。だからあのとき彼女がロザリンドを演じていたのはただの気分だったのだろう。
その偶然が、僕をここに引き込んでしまった。
「ただの稽古だったとしても、衝撃を受けたよ」
『そんな風には見えなかったけど』
よかった。僕のポーカーフェイスは、階段を下るまでは作動していたらしい。
「あの時だってちゃんと褒めたでしょ。受け取ってくれなかったのは君だよ」
顔が完全にそっぽを向いてしまう。声色からの判断もできない相手、感情が読み取れない。
「僕の綴った言葉を、あの綺麗な声で歌って欲しい。そう思ったんだ」
口に出してから気づいたけれど、僕これキモくないか? クラスメイト兼部活仲間程度の距離感で吐いていい言葉じゃなくないか?
『そんなに私の声好き?』
まあいい、表現が過剰なくらいが冗談として受け取ってもらいやすい。
「一撃で演劇部員になってしまうくらいには」
「雲雀ちゃん顔まっかよ~」
僕の窺えない向こう側から彼女を覗き込んだのは、2年の唐辺みゆき先輩。主に演出とキャストを担当している。うん、おおよそ部員の名前と役割は一致してきたぞ。
いつも笑顔の絶えない人だ。今もにこにこしながら大森さんのマスクを外そうとしている。
「照れちゃってるのね。かわいいなぁ」
片手で唐辺先輩に抵抗しながら解答ボタンを連打している。助けろという合図のつもりか。
「先輩、彼女嫌がってるんじゃないですか」
「紡くんにみられるのが恥ずかしいのよきっと」
どうやら本当に顔を赤らめて照れているらしい。舞台女優としての声なんて、今まで散々褒められてきただろうに。
「あんまりからかっちゃダメよ~。意外と初心なんだから」
「からかったつもりはないんですけど。本心ですから」
あ、逃げた。○棒置きっ放しにして。
「紡くんって大人しそうで結構遊んでる人? 女の子泣かせちゃダメだからね?」
「遊んでないし泣かせてません」
告白されてもこちらにその気はないと断るくらいの優しさは持ち合わせている。
「……要警戒、かなあ」
唐辺先輩は、何故か僕と神田先輩を交互に見比べていた。




