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第三幕ー⑥

 限界まで疲れ切っているはずなのに、心は脳に休息を許さない。眠りが訪れたのも束の間、僕の想像力は暴走し、断片から当時の映像を勝手に結び始める。


 三年前のクリスマス。彼女の家では盛大にパーティ-が行われていた。


『誠司の気持ちは嬉しいよ。だから付き合うことにしたし、実際楽しかった。良い時間をありがとう』


 明るく楽しい夜になるはずだった。そこで決定的にこじれてしまった。

 晴れやかに区切りをつけようとする瑠璃さんと、ぐしゃぐしゃになった顔で俯いている誠司さん。恋人として隣で過ごした二人は、終わりを間際にあまりにかけ離れた場所にいた。


『でも、目標ができちゃったからさ。そこへたどり着くには、ちょっと時間が惜しいのよ。ごめんね』


 同じ重さの感情は背負えないのだと遠ざける。恋人として、パートナーとして、二人きりの時間を彼に割くことができないと。


 音楽の世界で羽ばたいていくため、瑠璃さんは初めて持ち物を捨てたのかもしれない。


『邪魔なんてしない。俺にとっても、瑠璃がやりたいことで成功するのが喜びになる。それでも……ダメなのか?』


『上手く伝えられないな。背負うことで強くなる人もいる。恋愛の経験値はとても甘美なものだったし、そばにいた時間は大切なままだ。すべてを切り捨ててしまってはきっと成功しないだろうさ。だけどね、それを踏まえた上で、甘えを捨てたかったんだよ』


『そぎ落として、何でもできてしまうあたしを音楽だけに研ぎ澄まして、どれだけ鋭くなるのか。知りたくないかい? あたしは知りたい』


『自分の限界に挑んでいくのに、恋心は持って行けないよ』


『だから、この先は共に行けない。ありがとう、付き合ってくれて』



 瑠璃さんは部屋をあとにする。あとにするまで、先輩は耐えていたんだと思う。

 彼女には決して見せるまいとした涙が一気にあふれ出す。崩れ落ちる。どうしようもなく好きなままなのに、隣にはいられないと悟ってしまった。


 それがどれほどつらい感情なのか僕にはわかる。


 そして雲雀にもわかってしまったのだ。


 長い離席の様子を見に来た雲雀は、一人うずくまる先輩を前にして、状況を理解し、決断を迫られた。


 今しかつけいる隙はないのだ。


 お姉ちゃんは天才なんだから仕方がないと慰めて、諦めさせて、寂しくなったら抱きしめてあげる。それで奪ってしまえる。


 どんな形であれ、好きな人と添い遂げるチャンスを逃すものか。今まで欲しい物は全部お姉ちゃんが手にしてきた。おこぼれだろうとおさがりだろうと構うまい。姉が切り捨てた「パートナー」という存在を手に入れ、抜け駆けて幸せになるときだ。


 さあいけ、傷ついた彼を優しく抱きしめ、言うのだ。


『私がお姉ちゃんの代わりになる』


 その言葉を口にしてもしなくても、雲雀は壊れていただろうと思う。


 歪な形での接着はいつか剥がれ落ちるだろう。雲雀が雲雀として繋がらなければ意味がない。だからいずれにせよ、こうなる運命だったのだ。


『     』


 姉より遙かに劣った声で、何を伝えられるというのか。そもそも代わりなど務まるのだろうか、あの神がかった存在を彼の中から消すことができる? 今まで負け続けてきたのだ。姉に心奪われた人を自分なんかがどうこうできるわけがない。正攻法の「好き」では絶対に届かない、どころか、彼に余計な重荷を背負わせるのでは。言えない。言えない。こんなに想っているのに、何も、凍りつく、喉が冷たくなって、出ない、わたし。


 そうしてヒロインは声を失った。主人公はただ、遙か遠くに行ってしまった憧れの背中ばかりを見ている。


『紡くん』


 僕はどうしたって雲雀の側から見てしまう。どうして届かない、なんで気づいてやれない、こんなに、こんなに彼女は素敵なのに。けれど僕がそうして雲雀だけを見つめているように、他から寄せられた好意に無頓着であるように、片想いとはそうなのだ。月が満ちる瞬間を待ちわびて、期待し続ける。万が一にも見逃せないから、周りのことなど気にしていられない。


『紡くん』


 おかしい。聞こえるはずのない雲雀の声が聞こえる。未だ聞いたことのない、僕自身の名を呼ぶ声が聞こえる。はは、夢にまで見るなんて、救いようのねえ奴。彼女が声を取り戻した暁には、僕の名前なんて呼ぶもんか。ずっとせーくん、せーくんって――



 肌に纏わる蒸し暑さと、猛烈な不快感で目が覚めた。やたらと広い空間に僕はいる。自室ではないことはわかる。夢の映像が強烈に残りすぎて、今の自分が定まらない。


 ズキズキと痛む頭の中で正しい記憶をロードする。夏休みの……合宿中で。運動部が遠征の隙を狙って泊まり込みで、体育館を使って稽古していて……。


 闇夜に、ぼうっと、見慣れたタブレットの明かりが。


『うなされてた』


 なるほど、どうやら僕は一人もがいていたところを雲雀に起こされたようだ。周囲を見渡すと他の部員達は寝息を立てている。みなハードな作業と練習で疲れ切っているようだ。


「……ごめんうるさくして」

『大丈夫?』


 彼女の手が労るように僕に触れた途端、目を覚まさせた主因が一気呵成に襲いかかってくる。慌てて両手で出口を塞ぐ。夜の体育館は音が響きすぎるから、慎重に、しかし迅速にトイレへ。


 みっともなくうずくまり吐き散らす僕の背を、雲雀はずっと撫でてくれた。触らないでくれよ。優しくするなよ。これ以上僕を、惨めにしないでくれよ。


 一度戦うと決めたのだから、最後まで弱いところを見せてはいけなかった。強い姿を繕っていなければ、僕はここまで来られなかった。脇役のせめてもの見せ場すら、上手に演じることができない。


 台無しにしたかもしれない。


 口をゆすいで顔を洗って、彼女と向き合う。あれから――突き放したときからずっとぎこちないやりとりばかりで、こんな優しい笑みを見たのはいつ以来だろうか。


『お散歩にいきませんか?』


 どうせみな寝ているのだ、構わないだろうと僕は提案にのった。

 散歩と言っても校舎は施錠されているし校庭をぶらつく他ない。少女と先輩を繋ぎ止めたあの大樹の元に自然と脚が向く。


 今度は雲雀が、樹皮に背を預ける。ここ数週間の振る舞いが嘘であったかのように、さっきからずっと穏やかな様子でいる。


『なんかどきどきするね 秘密のお散歩』

 えっちな言い方するのやめてください。


「風が気持ちいいけれど、あまり長居しない方がいいな。明日も朝から練習だしさ」


『ごめんね お話したかったから』

「どういったご用件で?」

『謝らなきゃいけないことがたくさん』

「ほんとにね。事前の打ち合わせ通り動いてくれなきゃ困る」


 僕がみなの前で遠ざけたことで、誠司さんと雲雀は常に一緒にいるようになった。その分僕には陰口がたくさん届いたわけだが……。


 一番胸を抉ったのは「振られたからって演技指導で八つ当たりしてるんじゃない?」って言われたことだ。絶対に許せない。まだ振られてませーん。


『それは あなたも同罪』

『自分勝手に脚本出した』

「あれは結果、上手くいったからいいのだ」


 二人してくすくす笑いあう。ああ、やっぱりどうしたって僕は、この子が好きだなあ。


『ごめんなさい』

『頼ってばっかりで』

『負担ばかりかけて』

『私ががんばらなきゃいけないことなのに』

「謝罪はそろそろ聞き飽きたね。あと一ヶ月、結果を出してくれればいいよ」


『あの約束はまだ有効ですか?』

「どれのこと?」

『玉砕したら慰めてくれるってやつ』


 挑む前から失敗したときの保険をかけるな、全力で立ち向かえ。


「但し当日僕に恋人がいない場合に限る」

『好きな人いるの?』


 この様子じゃ、本当にわかってないんだろうな。


「いるけど、無理め。君と一緒だよ」

『片恋仲間だ』

「先に卒業してくれよ、頼むから」


 うんうん頷く。そしたら僕も、あとに続くからさ。


『見て 月』

 指さした先には、言うだけあって見事なまん丸が夜空をくり抜いている。


「僕らはみんな半分だけの気持ちを抱えて、もう半分の形がぴったりはまる人を探して歩いてゆくんだね」

『なにそれ』

「満月の詩」

 出典:西城 紡 『いつか好きな人ができたなら』


『紡くんのそういうところ好きだな』

「我がことながらキモいなって自戒する夜がありますが」

『私は好きだよ 月下の詩人』

「やべえかっけーそれ。今後名乗っていくかも」


『月 綺麗だね』

「そうだね。とても綺麗だ」

『あの』

『お願いなんだけど』


 こんなロマンティックな夜に頼み事なんて、なんでも許してしまいそう。


『次の一言のあとに もう一度 綺麗だって言ってください』

「……うん?」



 不自然な言い回しに疑問を抱くも、束の間。

 風が吹いた。葉擦れのさざめきが周囲を覆った。

 月はまるでスポットライトをあてるように雲雀を照らして。

 過去の暗い影など感じさせない、100点満点の笑みを浮かべる。

 そして彼女は。

 抱えていたタブレットを降ろした。



「紡くん、ありがとう。いつも私を支えてくれて」



 指定されたルールなど忘れて、呟く。

「きれいだ……」

 きらきらした音の粒が、夢にまで見た連なり方で、磨き上げた声となって、僕に何もかもを与え、そして奪っていった。

 ここまでシナリオ通りに事を運んできたはずだった。でも彼女から生まれた声はあまりに筋道から外れていて。

 忘れたくなくて。ずっと刻みつけたくてもう一度と願うも、呆然としているうちに彼女はいなくなってしまっていて。

 もしかしたらすべてが僕の妄想の続きで、確認のために自らの頬をつねってみてもやっぱり痛かったのだけれど。

 本当に、夢のような時間だった。

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