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第三幕ー④

 冬に閉ざされた村があった。夏は短く冬がほぼ大半を占める、寒さという一要素だけで人が暮らすには過酷すぎる場所だった。一年を通した平均気温は氷点下を大きく下回る。飲み水も凍ってしまう、果実も実らない、一面の白い世界で、二人はかがり火を灯すように生を繋いでいる。


「おはよう。今日は少しだけ暖かいよ」


 屈託のない笑みでイレーナはミハイルに語りかける。よその土地の人が聞いたならきっと悪い冗談だと感じるだろう。彼は不機嫌そうに雪を蹴り上げた。


「馬鹿言うな。水掘りに行くぞ」

「釣れるといいねっ」


 湖に円形の穴を空け、そこから魚を掬い上げるのだ。もたもたしていては空けた部分もすぐに氷に閉ざされてしまう。この実りの少ない氷結した土地では、食料と燃料の確保は容易じゃない。


「……全然泳いでないな」

「上手くいかないねえ」

「なんで楽しそうなんだよお前は?」

「こういう日があるからこそ、ご馳走の日が嬉しくなるじゃない」

「食わないと死ぬんだぞ」

「きっと命を頂きすぎたんだよ、お魚さんありがとう。今日は、別のご飯にしよう」


 冬の中でも明るさを失わない彼女と、ここじゃないどこかを夢見る彼。仲間と身を寄せ合って暖を取る彼女と、太陽へ熱を寄越せと睨みかける彼。


 二人は違っていた。

 生き方が、魂の形が。

 だけど一番近くにいた。




「うへぇあ」


 帷ちゃんが思わず画面から目を背ける。思い出してしまってどうもダメみたい。


 映研が編集中のイメージビデオが、とりあえず形になったということで僕、カントク、帷ちゃんで確認しに彼らの部室までやってきた。シーンを区切って順番に貼り付け、大まかな流れを作った物だ。素人目には上出来だと思うし、ここから音響周りをいじったり、編集で背景効果などを加えていくそうだからもっと良くなるだろう。


 ただ、台詞の差し替えもまだだったため例のシーンはそのまま映し出されてしまった。


「三好さん、あとでここの台詞差分ください」

「はいぃ……」


 さて、公開告白をされたアツシくんではあるが、まったく動じていない。そして、不思議とダメ出しをするつもりもないようだ。素材を集めるときはあんなに意見してたのに、カメラワークや編集はあくまで映研の領分だとしているのだろうか。


「お疲れ、追加のシーン撮影は必要なさそうだな」

「…………関根くんもありがとう、協力していただいて」


 まだ正面から話すにはこわばりが取れないようだ。


「俺は不本意だったんだがね、良い経験になったよ。受賞したら賞金は山分け、比率は半々な」

「…………う、うん。もちろんです」


 演劇部側もかなりの工数を取られたけど、そもそも彼らが持ち込んだ話なのだから半々はないんじゃないか。しかし映研に言い返す勇気はなさそうだ。


「お前も、初めてにしてはよくやったよ」

 カントクがぐりぐり帷ちゃんの頭を撫でる。

「……はい、がんばりましたから」


 照れ隠しに振りほどいてみせるかと思ったが、少女は抵抗せず受けいれている。そこに兄妹の歴史を感じてしまうのは穿ち過ぎだろうか。

 用は済んだとばかりにカントクは退室し、帷ちゃんはマイクに向かって色んな声音の先輩を吹き込んでいた。本人は帰ったのに段々照れ始めている。かわいいなあ。


「おにーさん、待っててくれてありがとです」


 すぐに部室に戻る気にもなれず、ドリンクを買って屋上へ。少しのサボりぐらい許されるだろう。


「いえいえ」

「これで終わりですかぁー。あっという間でしたねえ」

「お疲れ様、いい芝居だったよ」

「ハマり役だったから。ちょっとは意識してくれるといいんだけど」


「硬派だからねえ。時間、かかるかもねえ」

「宙ぶらりんが一番つらくないですか? そばにいられればなんて慰めにもならないんです。行くときには行く。砕けたら次の恋を探す。初恋が正解なんてことないですからね」


「良いこと言うねとばりん」

「可能性に縋りたい気持ちと、いっそきっぱり切り捨てて欲しいって気持ちがあって。多分どっちもしんどいんだけど、後悔がない方を選びたいなって」


 ツインテールが風にたなびく。少女がぎこちなく笑う。


「……って、おにーさんが書いた役を演じてて、思ったんです。今までの関係が壊れちゃうとしても、ちゃんと気持ちは伝えなきゃって」


 僕が台詞に込めた想いは、少女の心境にいくらかの影響を与えたようだ。


「だからあなたも……後悔、しないでくださいね」


 帷ちゃんの手が、僕の手に重なる。台詞を通じて、態度を通じて察されてしまったのだろうか。労るような優しい表情で僕を見る。


 まあそれも今更だ。もう他者の介在する余地はない、脚本に変更点はない。


「後悔なんてない。初めから一本の道があり、それをなぞっているだけだからね」


「わたしはおにーさんのこと大好きですからね」


 励ましてくれてるんだろうな。僕が途中で頽れても、きっと味方でいてくれるんだろうな。


「それなら玉砕したら僕と付き合おうか」

「いいですよ。二人で慰め合いましょう」


 渾身のギャグだったのに、真正面から打ち返されてどうしていいかわからなくなったので、仮面を被ることで誤魔化しにかかる。。


「……やめようぜ、縁起でもねーよ。帷、お前は好きな人と幸せになりな」

 少女は彼の前でよく見せる、いたずらっぽい笑みで。指をしっかりと絡めてきて。

「照れてるの?」

「馬鹿言うんじゃねーよ」

 誰が泣くところもみたくない。叶うのなら、みな、笑って過ごしていけますように。







 雨ばかりの6月を通り過ぎ、いよいよ夏がやってくる。季節を逆行するような新作『凍らない水』の脚本が完成し、発表に向けて全部員が動き出す。


「どうして1年生なのに、帷は村のおばあちゃん役なんですか!」

 2年の雲雀が村娘だからなあ。端役しか用意できないのは心苦しい。


「あら、それなら年増のわたしと代わりましょうか?」

「そそそそういうつもりで言ったのでは……」

 みゆき先輩は今回出演なしで裏方に回るのだという。後輩達に経験を積ませてあげたいとのことだった。


「雪を踏むじょりじょり音ばっかだな仕事ナッシーン」

 雰囲気作りのためBGMは控えめにする予定。なるべく音は少ない方が、役者の呼吸を感じてもらえると考えて。


「動きのない脚本ねぇ。設定が物珍しいから画が保ってるだけだねこれ」


 佐倉さんにはあまり気に入ってもらえなかったようだ。前作はよかったよと言ってもらえただけに心苦しい。

 舞台を私物化している自覚があるから、なおさら。


「あらすじで言えばそうなるけど、過酷な環境へ立ち向かう勇気や選択の難しさ、そして愛の形を感じてもらえれば」

「小難しいのわかんないから。深く読んでもらいたければ、まずは興味持ってもらうとっかかりを作らないと。高校生相手なんだから特にね、平坦な話だとみんな寝ちまうよ」

「うぐっ」


 言い返せないほど核心を突かれてしまう。

「まあ、こういうのが紡の芸風なんでしょ本来の。小説を見た感じさ」

「アクションとかコメディとか苦手なんです」

「だから一回くらいは、多めに見るけど。あたしはこれ好きじゃないかなー」

「次は期待に沿えるよう、がんばります」


 次の機会があるかどうかは、わからないけど。


「あああああっちい、これ、今着なくてもいいだろっ」

「本番ではこれを着た上で凍えてもらいますから。慣れてくださいよ」

 カントクがいつものように鞭を入れている。


 皆が持ち寄った冬服をパンパンに着込んで稽古は行われている。残暑の中で舞台の二人は凍えながら死にゆこうとしているわけだよ、残酷だとは思うが、リアリティを追求するなら汗などかいてほしくない。


 雲雀は流石に表情には出さないが、誠司先輩はきつそうだ。申し訳ない。


「水垢離とかしますか。現地では、外気が寒すぎるあまり2℃程度の温泉が貴重であるとか」


 舞台のモチーフになった場所では、日本にいたなら想像もつかない事象の連続である。


「なんでお前もスパルタ側なんよ……」

「きつい環境を強いているのはわかりますが。だからこそ、ちょっと暑いくらいの観客席から眺めたら、特別な景色になるんじゃないかと」


 本当にあそこは地続きの空間なのか、そう認識させたらもうけもんだ。真夏の海でロングコートを着ていたら興味をもってしまうだろう?


「……紡、恨むぞ君のこと」

 暑いのに寒がる、痛いのに強がる、なるほど、正反対の気持ちを演じるというのは難しいものだ。ラストシーンを強行した帷ちゃんを責められないな。


 泣きたいのに、笑う。


「冬の話ですからね、よろしくお願いしますよっ」

 本当に、失敗などしないでくれよ、と願う。

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