第三幕ー②
「……君は、怖いもの知らずなんだなあ」
帰り道、誠司先輩は公園に僕を誘った。地獄のような空気を生み出してしまったけど、主役の瑠璃さんがかき消してくれてどうにか楽しい会に纏まった、はずである。
「そう見えます? やっちゃったかなぁって後悔してますよ」
「やってやったぜ、の間違いじゃないのか?」
別に、ナイト気取りで彼女を庇い立てたわけではない。あらゆる事象は結末への布石に過ぎない。偶然が生んだこの時間さえ有益になるようにしてみせる。
「デリケートな心の問題ですから。軽々と触れるべきではないかと」
「なら言わなくてもよかったろ」
「なんか哀しくなっちゃって、家族の集まりなのに自分を出せない姿を見てるとね。学校では喋れないなりに楽しそうに過ごしてるから余計に」
「そりゃそーだが……」
誠司先輩はブランコに尻を落とした。隣で漕ぐのは違う気がして、周囲と区切る安全柵に腰掛ける。
「もう何年も声を出せてないんでしょ? はっきり言って、異常ですよ。当人が明るいからみな一大事であるのに気づけないんだ」
周囲の問題に置き換えているが、結局は雲雀の心の問題でしかない。こじれた糸を解くには、彼に彼女と向き合ってもらうしか、ない。
だから聴いていて欲しい、雲雀の内に秘めた想いを。声に乗せたときそうだと気づけるように、もっと意識してもらわないと。
「紡なら、あの子の声も引き出せる。それは多分君が、特別だからなんだよ。きっかけになってやれないかな?」
あーやっぱりその程度の認識。
「違いますよ。僕が雲雀と出会ったときには、もう彼女は声を出せませんでした。よって僕は無関係なんですよ、もともとね」
この恋愛劇の主人公は誰なのか、いい加減気づいてくれ。
「確かに今に限って言えば、僕だけが雲雀を歌わせられるかもしれない。でも、ああなった原因は過去にある。心当たりとかないんですか?」
「…………理由はわからない、けど、時期は、二年と、半年くらい前、かな」
「ふむ、瑠璃さんが売れ始めた頃ですかね」
「冬だったと思う。風邪と、流行病と……マスクするのが当たり前だったろ。喉のケアだって言い出して、いつの間にかって感じか」
当人には決定的瞬間でも、相手にとってはそうじゃない。誠司先輩にとっては瑠璃さんがすべてで、周りを気に懸ける余裕なんてなかったはずだ。
「実はね、雲雀が言ってたんですよ。あのとき支えることができなかったって」
ビクッと彼の身体が震える。
「おや、何か心当たりがありますか?」
瑠璃さんの話と雲雀の反応でおおよそ答えは読めている。あとは彼に知覚してもらうだけ。
「誠司さん、僕は彼女の声を取り戻したい。そしてその鍵は、おそらくあなたと瑠璃さんが握っているんです」
ブランコが揺れる。ゆらゆらと、規則性もなく。あちこちにぶれながら、時折砂を巻き上げながら。
「紡は、雲雀のことが……」
触れさせない、そこは急所なのだ。誰にも見せてやるもんか。
だから、祈るような気持ちで、命がけのカウンターをかました。
「その言葉、そのままあなたに返します。惹かれているんでしょう? 瑠璃さんでなく雲雀に」
単なる鎌かけじゃない。ずっと見てきたんだ、三人のことを。
『卒業間際のクリスマスだったと思う。その場であたしは、別れを言い渡した』
『天才だなんてもてはやされるけど、余裕なんてないの。特に歌はさ、あらゆるジャンルで色んな評価のされ方があって、世界的にローカルなこの国の言語で、てっぺん獲ろうなんてまあ無理でしょ』
『だから燃えるんだ。挑んでみたいって思った。誠司には、酷いことしちゃったよ』
二人は恋人関係で、誠司さんは心のすべてを向けていた。でもあの人は空からさらに高みを見ていた。
突き落とされた誠司さんは、立ち上がるための脚を壊した。這々の体で地上をさまよい、想い人とよく似た女性と仮初めの愛を育む。舞台の上での疑似恋愛は、彼の悲しみを少しずつ解いていった。
誠実な人だ。そして、雲雀と瑠璃さんは近すぎた。想い破れて次は妹に、なんて真似きっとできない。
ずっとそばにいて、想いを向けられて、あんなにあんなに素敵な女の子を、好きにならないはずがないだろう。
「だって、そうじゃなかったら、もう瑠璃さんの居ない演劇部に固執する意味なんてないでしょう」
『芝居も楽しかったから、女優でもよかったんだけどね。あたしの魂が歌う方を選んだのさ』
誠司さんに別れを告げ、瑠璃さんは演劇部を去り音楽の道を行くことになった。
それでも、高校に入っても、彼は演劇を辞めなかった。
「ピアノに全てを捧げるつもりなら、脇目も振らず追いかけていたなら、僕とあなたは出会ってもいなかったはずだ」
そうして彼の去った演劇部には、雲雀もいなかったかもしれなくて。
「…………ああ、かもな」
「今でも忘れられてないんでしょう。未練も後悔も沢山あるんでしょう。でも、あなたの心は雲雀に傾いてる」
きぃ、きぃ、とブランコが軋む音だけが、世界のすべてだった。
長い間の後、先輩は僕の方へ向き直る。
「全部君の言うとおりだったとして、それを指摘してなんになる? いい加減瑠璃のことは諦めろってか?」
「最初に言ったでしょう。僕の目的は、彼女の声を取り戻すことです」
「俺の内心をほじくり返すことが結果に繋がるっつーのか?」
ああ、部外者のくせに出過ぎた真似をしている。本当に申し訳ない。
「鍵がないからね。持っていたら自分で開けてますよ。僕の手持ちにないから、あなたは持っていませんかって問いかけてるんです」
「なんかの例えか? 全然わからんお前のことが」
僕が仮に彼女の心を伝えたとしても、すべてが台無しになるだけだ。僕にできるのは種まきと水やり、光が差すかは運次第。
「全てが終わったとき、僕の行動の意味もわかるはずですよ」
最初から手のひらの上ですよ感を出すことで謎めいた存在でいることに成功した。調子に乗ったからには、しっかりと締めくくらねばなるまい。
「かっこつけなら舞台の上でやれよ、ったく……」
頭をがしがし掻きながら、靴を片っぽブランコの勢いに乗せて、飛ばした。
「別にどっちが、とかじゃないよ。俺にとっては二人とも、大切な存在だから」
はい、そんな素敵なあなただから、彼女も惹かれたんだと思います。
「だから向き合ってみるよ、ちゃんと。雲雀の声のことも、瑠璃への気持ちのことも」
欲しかった欠片は全部手にした。あとはもう、どれだけ脚本とリンクさせられるか。
ここから先は、一人で進まなければらない。なんだかんだ理由をつけて、そばに居られる喜びを享受して、自分を慰めて。そんな無様な振る舞いはもう終わりにする。
心を凍らせることだ。
帰宅する頃にはすっかり夜のとばりが降りていて、先輩と長らく話をしていたからもう寝ているかもしれなくて。
繋がるかどうかは賭だった。混乱させてしまうことも承知の上だ。
意を決し、『通話』ボタンを押す。
ぷつり、と。
「……もしもし。今日はお招きいただきありがとう」
挨拶から入るも、当然、返事はない。
「夜分遅くにごめん。でも、すぐに伝えておきたかったんだ」
「さっき、家族のみんなの前で言ったこと、嘘じゃないから」
「絶対に君の声を取り戻す。それができると思ってる。だからさ……」
言葉にしておかないと、きっと甘えてしまう。頼られたら応えてしまいたくなるから。
「文化祭が終わるまで、あまり話しかけないで欲しいんだ。さっき誠司さんに言われたよ、君が僕を。僕が君を。好きになってるんじゃないかってね」
ひゅっと、息を呑む音が聞こえる。
「否定はしたよもちろん。でもさ、そう捉えられたままじゃ上手くいかないよ。仲良くしすぎたんだね」
「だから距離を置こうって話ね。さっきみたいにべたべたしてたらそりゃ勘違いされるって」
「脚本のことなら心配しなくていい。もうすぐに仕上がるから会議の必要はない」
「だから残りすべての時間を使って、誠司さんにアピールするんだ。劇だけで上手くいくと思ってはいないだろ? 一緒にいる時間を増やすんだよ」
相づちは打てない。間髪も入れない。
「最初に言ったろ? 大事なのは君の勇気だって。お膳立てはなるべくするから、そろそろ覚悟決めておいてね」
「さあ大詰めといきますか。文化祭までがんばろうね。おやすみ」
一気に言い切ってしまわなければ、覚悟が薄れそうだった。
文字で返信をしてくるかとしばらく待ってみても、それはなかった。納得してくれたのだろうか。
万が一にも勘ぐらせる隙を与えない。
役割に徹することだ。
僕は黒子で、裏方で、サポーターで、脇役で。
彼女の一番の理解者でありたい。
だから隣にいてあげることは、できないんだ。




