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第三幕ー①

「ようこそいらっしゃいました~」

 チャイムを押すと即座に扉が開く、まるで待ち構えていたかのよう。上機嫌の瑠璃さんが出迎えてくれた。

「お招きいただきありがとうございます」


 不思議な気分だ。三月の雲雀が主役の会には呼ばれず、(家族だけでケーキを囲んだらしい)瑠璃さんの番では半ば強引に参加が決定づけられていた。


「ジャムセッションやってんの地下。おもろいよはよきて」


 もうすっかり慣れてしまった大森家の中には結構な人数が集まっていた。親戚一同と仕事の関係者だろうか業界人っぽい大人たち。あちこちで会話の花が咲く中、地下では。


 足を踏み入れた瞬間聞き覚えのあるシャウトが脳まで響いた。


 やべえ、え、ちょ待って。あちらにいらっしゃいますは『サザン黒酢』のボーカルリヒト氏ではあるまいか? 瑠璃さんと繋がりあったん? 

 練習スタジオ顔負けの設備を誇る地下室は若者で溢れかえっていた。もしやこの中の大半がミュージシャンってこと……?


 ちょ待って、え、いいの僕こんなところにお呼ばれして。


「……んや、誰そちらの」

 入り口付近でギターのチューニングをしていた黒衣の男性が瑠璃さんに尋ねる。

「妹のカレシー」

 隅っこで体育座りしていた雲雀が×棒をかざして抗議する。

「……候補のつむつむ。作詞家」

「脚本家です」


 思わず訂正してしまったが作詞作曲で飯を食っているプロを前にして物語る専門家だなんて恐れ多い~。はしゃぎすぎだよつむつむ~。


 口々に軽い挨拶を受けて、みな自分の楽器に視線を落とす。唯一の約束事のようにリズムキープをしながら思い思いに遊ぶように奏でていく。


「みんなお仕事関係なんですか?」

「というより、友達。おめでと言いに来てくれて、そのまま音で遊んでる。うちの地下室出来がいいから」


 改めて、すごい人なんだろう。僕なんかが気軽に話していい相手ではないんだ本来。


「瑠璃さん、呼んでくれてありがとうございます。いま僕、耳が幸せです」

「やっぱりつむつむはruriよりアングラなロックの方が好みなのね」

「あなたの曲も好きですよ。一通り聴きましたし」

「その言い方は刺さってない人だ。人気が不動のものになったら、もっと色んなのやるから期待して待ってなさい」


 根本的に肌が合わなければ数曲で辞めてしまうから、一通り聴けたというのは僕の中で大分評価が高い文言なのだが。まあ芯にぶっささった曲を見つけられなかったのも事実。


「んじゃ、ちっと歌ってくるかなぁ。……誠司! ピアノちょーだい」


 周りは肩の力を抜いて軽やかに演奏している。しかし指名された先輩は鬼気迫った表情で鍵盤の前に座った。


「知ってる人はご一緒に」


 最初は瑠璃さんの歌声にみな聴き入っていたのに、ワンコーラス終わる頃には各々フレーズを差し込んでくる。その中で、誠司先輩は粘り強く存在を主張した。職業音楽家に囲まれながら、瑠璃さんの伴奏として勤め上げた。凄まじい集中力。


 まだ僕は現場にライブなどを聴きに行ったことがない。人と一体になって盛り上がる空気感に親しめなくて、家で映像を一人観ていれば充分楽しめたから。


 そう考えていた自分が井の中にいたことに気づく。生演奏、イイ……! 耳だけでなくもう色んなところがキモチヨク、さっきから小刻みな震えが止まらない。


 とまあ瑠璃さんオンステージが何曲か続いた頃に、雲雀が僕の隣ににじり寄って来る。言葉を交わさずとも伝わってしまう、二人連れだって彼女の部屋に避難した。


『ごめんね お楽しみの最中』

「人の多いところ苦手だから、助かった」 


 全員でセッションする流れで求められたら、楽器の弾けない僕は歌うしかなかったからあの辺が引き際だろう。どうせ雲雀も言わないだけで人並み以上に演奏できるんだろうし(彼女はハイスペックなのにダイヤの姉と比べて自分は石ころだと思い込んでいる節があります)。


 クッションもローテーブルもセットしたのに、なんとなくベッドを背もたれにして、二人してため息を吐く。


『お姉ちゃんの歌 やっぱり好きだなあ』

「なら少し休んだら戻ろうか?」

『いい 羨ましくなっちゃう』


 雲雀の欲しい物はすべて、瑠璃さんが生まれながらにして持っていたんだろう。憧れの一言で片付けられる心境ではないはずだ。


 言葉を尽くして彼女自身を肯定したとしても閉じた錠は開かない。僕は鍵を持っていない。それがたまらなく悔しい。


「瑠璃さんはもちろんすごいけど、雲雀には雲雀の舞台があるじゃない」

 この子は僕らの主演女優様なのだ。代えのきかない、何よりも大切な。こんなことで自信喪失されては困る。


「打ちのめされてる場合じゃないからね」

『わかってるけど』


 このあとパーティーがあるってのに。きっと雲雀も、才能とか恋愛とか嫉妬とか抜きにして普通の姉妹でいたいだろうに。


 誠司先輩が。


 全身全霊をかけて演奏していた。諦めきれずにしがみついている、と彼は言った。並の努力ではあれほど上手くなれまい。きっといつか、瑠璃さんの横で支えていきたいと思って磨き上げてきたのだろう。


『ちょっとだけ甘えさせて』


 僕の肩を枕にするように頭を乗せてきた。僕はVAR班と連携を取り彼女の挙動を細かく分析しながらカードを提出すべきか確認を取っていた。


 悪質ではない。からかいでもない。良い匂いがする。可愛いは正義。ちくしょう、ノーファールかよ。


 隙だらけなんだよ。僕のような紳士でなかったら有無を言わさずベッドに押し倒しているところだ。心を踏みにじるような妄想が脳裡をよぎる。もし僕が力尽くで彼女を制し、事を運ぼうとしたなら。両手が使えない雲雀は、どうやって拒絶するのだろう? 泣きわめくことも助けを求めることもできないのだろうか。それとも、追い詰められれば――


 死ね。死ね。地獄に落ちろ。 


 自らの性根の醜さに反吐がでる。


 早く離れてくれよ。君が身体を預けている男は、信頼に値するような奴じゃないんだよ。


「三十分100円だから」


 こくりとうなずく。従量課金制にすれば追い払えると思ったのに。

 自己嫌悪ばかりが胸の奥から沸いてくる。心臓はもう早鐘をうってくれない。


 どれほどそうしていただろうか、追加料金が発生する前だったと思う。

 ノックも声かけもなくいきなり、部屋のドアが開き人影が潜り込んでくる。


 ぐらつく足取りで二歩、三歩、そして雲雀に覆い被さった。僕は驚いて飛び退き、彼女はそれを受け止め支えた。


「……ごめ、うごけね」


 使い果たした様子の誠司先輩だった。どろどろに汗をかき目も開けていられず、なんとかここまでたどり着いたという印象。


『申し訳ないとは思うよ。彼が求めるような感情を最後まであたしは持てなかった』

『これからあたしは遙か高みを目指して飛んでいくわけだよ。荷物を抱えて落ちたらだれも幸せにならない』

『もちろん誠司のことは好きだけど、あたしは恋愛感情を詩を作る上でひとつのパーツとしてしか捉えられなかった。だからごめんねでお別れしたの』


 僕に語ったことを、瑠璃さんは直接伝えたのだという。そんな終わり方をしたせいで、彼は自らも飛び立つ術を模索したのだ。


 そして太陽に近づきすぎてロウの翼が溶けたのだろう。


「ああ、いてえな。ちくしょう……」


 意識も朦朧としているのだろうか。自分が支えられていることもわかってないかも。

 雲雀はもう僕など見ていない。ハンカチで汗を拭ったり背中をさすったりしている。それでいい。

 二人の距離が近づくならば、それで。




「大森瑠璃生誕祭にご参加いただきどうもありがとー!!」


 昼間いた大多数は本当に軽く祝いに来ただけのようで、食卓を囲むのは10人ちょっとまで減っていた。僕と誠司先輩以外はみな血縁だ。紡くん場違いじゃね?

 病み上がりみたいにぼーっとしたままの先輩と、にこにこしているが祝いの場で筆談をしにくい雲雀に挟まれて、僕は会話を担当することになった。


「おめでとう瑠璃さん。成人されますますのご活躍をお祈り申し上げます」

「君みたいなやつもちゃーんとファンにしてやるからな見とけよぉ」


 宴会が始まってからずっと上機嫌だった。18歳と言うことで大人の仲間入りだと強調していた。彼女のグラスには次々と泡立つ液体が注がれる。


「はいこれプレゼント。気に入ってくれればいいですが」

「えー可愛いじゃん。あたしこういうの世話できないタイプだけどがんばるわ」

「枯らさないでくださいよ」


 小さな鉢に入った観葉植物を贈った。微妙な距離感のプレゼント選びってむずいよね、特に自分の収入でなんでも買えちゃうような人にはさ。


「君がくれたサボテンはいつのまにか萎びて たまにでも水をくれたから わたしは咲いていられたんだって」

 急に詩的なことを呟いたかと思うと急いでスマホにメモしていた。枯らすなって言ってんじゃん。

「降りてきたんですかフレーズ」

「おう、感謝感謝。とげとげとげ……」 


 主役なのにそのままぶつぶつとトランス状態に入ってしまった。家族は慣れっこなのか無視している。


「紡くんは、シナリオを書くお仕事なんでしょう?」

 雲雀のお母さん相手も最初は緊張していたが、何度もお話しさせていただいて打ち解けてきていた。


「そんな……お仕事だなんて。ただ部活でやっているだけですから」

「瑠璃ね、躓くのはいつも作詞なんだって。たまにで良いから遊んであげてね」


 お望みなら見せてやろうか、闇に葬られし禁断の詩集『いつか好きな人ができたなら』の封印を解くときだ。これは中1のときに観たドラマの影響で僕の心の恋愛ボルテージが最高潮まで高まった勢いで書き上げた未来の恋人に向けたラブソング集である。中2の時点で見返して恥ずかしさを覚えたほどなので今振り返ればどれほどの羞恥が襲い来るか予測できない特級呪物なのだ。


「はは、それじゃあ作詞もしてみようかな。瑠璃さん印税くださいね」

 テーブルの下でがしっと手を握られた。こんなの冗談だって、心配すんなよ。


「これからも仲良くしてあげてね、姉妹共々よろしく」


 素敵なご両親なのだ。ただのクラスメイトでしかない僕にも、こんなににこやかに接してくれる。愛情を持って二人を育ててきたのだとわかる。


 だからこそ、この家に欠けてしまったものが余計に目に付くのだ。欠落は、いつしか当たり前になり、慣れを生み出した。


 このままで良いはずがないのに。



「任せてください。必ず雲雀の声を取り戻してみせますから」



 時が止まり、場に存在するすべての眼が僕を捉えていた。意味をはかりかねている者、こわばった顔でいる者、部外者に対する嫌悪を隠そうとしない者、全員を見渡す。


「……ね、雲雀。文化祭の劇がんばろうね」


 無邪気な若造を演じながら、今度はこちらから雲雀の手をぎゅっと握った。


「できれば観にきてください、彼女が文化祭で僕の詩を歌うところ」


 沈黙が部屋を満たす中で、瑠璃さんの瞳がぎらぎらに光り僕を捉えていた。

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