第二幕ー⑧
プロの現場ならいざしらず、僕らは天然の雨をきちんと利用しないといけない。GW中にもかかわらず、機材を傘とシートで守りながら決死の撮影を続けていた。
「何してんだよ。風邪引くぞ」
「先輩だって、こんなときでも走ってるじゃないですか」
「こなかったらどうすんだよ」
「来てくれたんだから、来てよかったんですよ」
いつものように。ただこれだけの繋がりを切らすまいと、少女はアウスタリアスを差し入れする。
大樹が守ってくれてはいたが、全身がどっぷり濡れていた。いつでも中断できるように支度しておかないと。
「いつも感謝はしている。けど……」
僕の立っている側からは、帷ちゃんが歪んでいくさまがよく見える。感情移入しすぎているのか、なんと痛ましい……。
「俺は、多分、お前が俺に求めているような気持ちは……持てない」
「あっ、ぇ……」
「見えないんだ、競技以外。好意を持つことでその足かせになるのが怖い」
雨がいっそう強くなる。声は拾えているだろうか。
「せんぱ……」
「だから、もう……尽くしてくれなくていいから」
キャップを捻り、控えめに一口。
「もらっておく。ありがとう」
何度も見たカントクの退場シーン。地面はぬかるんでいるのに、いつもより足取りは力強く。細かなところですら心情を描くのに使えるんだ、勉強になる。
見送って、くずおれる帷ちゃん。ここで一旦シーンストップだ。
違和感に気づいたのは、いくらか間があってから。
オッケーの声がかかってもいっこうに立ち上がろうとしない。入れ込みすぎたのか思ったが、そうじゃない。
駆け寄ると、彼女は呼気荒く、尋常じゃない様子だ。手をおでこに。熱はある。意識もかろうじて残しているが、目は虚ろで話しかけてもはいしか返ってこない。どうしたらいい。保健室に運ばなきゃ。
「ひばり!!」
バスタオルを持ってる彼女を呼びつけ、水滴を拭わせる。僕が抱きかかえて運んで……持ち上がらない、こんなに細身の女の子一人。自分の非力を呪った。ああ、こんなことならみんなと一緒に基礎トレしておけば
「どけ」
カントクが戻ってくる。ひょいとお姫様だっこをして全力で駆けだした。雲雀はそれに併走し傘をかけてやる。
「……僕たちも行きましょう」
残ったスタッフに事情を説明し、僕らも校内を目指す。泥濘んだ地面を蹴り上げながら進む。
保健室前の廊下でカントクと誠司先輩が待っていた。
「帷ちゃんは!?」
「もともとあんまり身体強くねーんだよな、あいつ」
「祝日だから保険医いなくてさ、雲雀が面倒見てる。少し落ち着いたみたいだよ」
どうして気がつけなかったのか。サポートとして付いていながら何の役にも立たない。
「奇しくも脚本通りになったな」
先輩に拒絶されながらも、雨の中で待ち続けた後輩は、熱を出して倒れてしまう。ベッドに寝かされた彼女を先輩が介抱するシナリオになっている。
少なからず責任を感じていた。雨のシーンなど選ばずとも話は組めた。自分が書いた脚本のせいで少女を追い詰めてしまったのだ。
やがて、雲雀が姿を見せる。
「ね、帷ちゃんは? 大丈夫そうなの」
『解熱剤が効いてきたみたい 楽になってきたって』
一先ず安心する。大事にはなってないみたい。
『だからね』
『カメラ回してくれって言ってた』
「な……に、言って」
『今ならいい画が撮れそうです』
『だってさ』
耳の不具合を真っ先に疑った。そんなことしている場合なのか? 小康状態とはいえさらに無理を重ねるのか?
「いや次回持ち越しでしょ、どう考えても」
「ちょっと雨被ってくるわ」
カントクは校舎の外へ駆け出す。一度拭った雨粒を再びその身に纏うため。
止める間もなかった。
「おかしいよ、みんなどうしてやる気なの? 快復を待ってからでもいいだろ」
言っちゃ悪いが大舞台でもなく、編集だってできる映像作品でそこまで追い込む必要はないはずだ。
「そんなに難しいのかよ。病気の演技ってのは」
『帷ちゃんはこれが初めてなんだよ』
『実際に苦しい状態を役にのせられたらって』
『たぶんそう考えてる』
きっと誰もが冷静じゃない。少女の熱意に当てられて、役者連中はその気になってしまっている。僕が止めなければならない。
「……今日やるべきじゃない。リスクをとる必要はない」
落ち着いた口調で、諭すように。
『紡くん』
『私が帷ちゃんと同じ状況なら やっぱり続けると思う』
『ここまで来るのに 力を尽くしてくれた人たちがいる』
『だから演じる人は よりよい芝居で応えたいんだよ』
脚本を書く人。演出をする人。音を拾う、カメラを回す、編集をする。沢山の人がこのフィルムには携わっている。
『それが役者の魂だから』
それは全て、演者を輝かせるためにしている。彼らは魂をかけて尽力に応えるという。
「格好つけやがって……」
舞台に上がらない者には、その言葉を否定することはできなかった。
『格好つけさせてよ 俳優なんだから』
「それで悪化したらどうするんだよ」
『そのときは みんなで看病しよう』
朗らかに笑う彼女。うなされながらも戦おうとしている少女。誰よりも真剣に準備をしている彼。役者たちの輝きに、幕を下ろしてしまうことはできなかった。
「……ちょっとでもダメそうなら先生呼ぶからな」
専門家の診断も待たずに無茶すべきではない。雨のシーンは終えたのでリスケしても間に合う。そもそもまともに台詞が吐ける容態なのか。中止を叫ぶ理由なんか枚挙にいとまがない。
『心配かけてごめんね』
『でも ダメなときでも あなたたちが支えてくれるからがんばれるの』
それでも止められない以上、どんな事態にも対応できるよう心構えをしておく。
『私もはやく あなたの詩が歌いたい』
かくして、撮影は始まった。
「先輩……ズルいです。見えないなら、スルーしてくださいよ」
「無理だろ。目の前でぶっ倒れてたら」
ベッドに横たわっている少女は、閉じそうになるまぶたに必死の抵抗をしていた。掠れ気味の声は演技ではあるまい。
「先輩の言うとおり、迷惑かけちゃったな。もうやめなきゃ……忘れなきゃ」
拒絶され、それでも何日も木の下で少女は待ち続けていた。足枷にはなりたくないのに、練習時間を奪ってしまっている。涙がぽろぽろと零れ出す。
受けいれてあげることはできないと切って捨てた彼も胸が痛むのだろうか。悲痛な面持ちでいる。
「練習に戻ってください。こんな不細工な顔、見られたくない……」
「元気になるまでここにいる」
「ほっといてくださいよぉ……」
「お前は俺に元気をくれた、だから今度は返す番だ」
アウスタリアスを帷ちゃんへ渡す。キャップを開いてやる優しさも見せる。
面食らった少女は、とりあえず一口、飲んだ。
「いつの間にかいるのが当たり前になってた。ここ数日はなんか調子がでなくて、それがお前に会えないからだってわかった」
「せんぱ……」
「ほんの少し会話するだけだったけど、楽しみにしていたことすら、理解してなかったんだ。酷いこと言ってすまない」
一貫して、不器用な男の役がよくできている。狙い通りになった。
「心に応えてあげることはやっぱり、できないと思う。競技が一番なのは絶対かわらない。でも、お前は足枷なんかじゃなかった。俺を支えてくれていた。気がつけなくて、ごめん」
帷ちゃんの顔が真っ赤に染まる。アウスタリアスを一気に飲み干し、ベッドにぶっ倒れた。
「おい、平気か」
「せんぱいズルい。これでもう……ぜったいあなたのこと忘れられない」
「ズルいって、今はこれ以上どうしようもなくて」
「次の恋に行けないじゃん。振るなら、きっぱり振ってくださいよ……」
「引退したら、ちゃんと気持ち整理して、言うから。だから……」
この物語が、どうか少女に勇気を授けますように。
「待っててくれ」
さあ、最後の一言まで来た。最悪のコンディションでよくぞここまで。
ありがとう、必死に演じてくれて。ボロボロになってもやり通してくれて。
「……アツシくん、好き」
「………………あっ」
意識が途切れる寸前のこと。用意されていた台詞を、帷ちゃんは間違えた。
最後にとんでもない爆弾を落として、満足げに眠りについてしまった。
「………………あー意識が朦朧としてたんだね。音声差し替えますか」
「ったく、締まらないやつだよ」
本人はおそらく気づいていないだろう。なんとかフォローしておかないと。
カントクに動揺は見られない。洞察鋭い彼のことだ、気持ちを察していたとしても不思議はないが。
「とりあえず、無事に終わって良かったです。お疲れさまでした」
少女の母親に連絡はつかなかった。どうやらカレンダー関係なく仕事をしているらしいので、僕の父に救援を要請し車を回してもらうことに。
保健室で迎えを待つ間、僕が残って帷ちゃんを看ていることに。今は規則正しい寝息を立てていて楽になってきているようだ。
「すごいよ、君は本当に」
憧れを追い続けて、努力して隣に並んで、告白までしてしまうなんて。なんて眩しいのだろう。一度も舞台に上がろうとせず、裏でこそこそ策略を巡らす自分のなんと惨めなことか。
僕には玉砕する勇気もなかった。初めから線引きし、違う世界の住人だと決めつけてしまった。
選んでしまったからにはやり直せない。ノートをめくっても時は戻らない。
あの日屋上で依頼を断っていたら。冬の寒さを利用して抱きしめていたら。叶わない恋なんか諦めちまえ、僕がずっとそばにいてやるって言えたなら。
亡き者にした無数の選択肢がいまさら後悔となって襲い来る。
「おにーさん……?」
いつの間にか少女は再起動し、ぼんやりした目で僕を見ている。
「具合はどう? 平気かな?」
「ちょっと頭痛いかも……? んんぅ、起きたばっかでわかんない」
「とりあえずお疲れ様。無理せず寝ててもいいよ」
「だいじょぶ……喉かわいた」
撮影でお世話になってすっかり馴染みとなったドリンクを飲ませる。
すこし落ち着いたみたいだ。
「ねぇ、最後のシーン、覚えてる?」
「へぁ、なんかダメでした? 力を振り絞ったつもりです」
隠してもいずれバレることだしな。事情を知ってる僕が教えてやるべきだろうと、先ほどの映像を見せてみる。
「…………あああああああ!!!!」
該当のシーンは、何度見返しても、先輩と呼ぶべきところをアツシくんに置き換えていた。
そこから数分のもがきようと言ったらそれこそビデオに収めてしまいたいくらいで。うねうねぐねぐね身体をよじりながら高熱の我が身が犯したフライングを許せずに、でもちょっとだけ期待していた。
「おおおおおあああつしくんはなんて?」
「最後にミスってんじゃねえよ的なことを」
「ノーダメージ! 帷渾身の一撃刺さらず!」
がばっと布団を被って繭になる。
「意識させるくらいはできたんじゃないかなあ」
「気休めです。終わった、帷の初恋は終わったんです……」
「なら勢いそのまま本番いってみては? どうせ終わったと言うなら」
「むり! おにーさん無責任だよっ」
隙間からぴょこっと顔だけ出して抗議する。とりあえず元気になったみたいでよかった。
「ごめんごめん、まだ始まったばかりだからさ。大丈夫だよ」
カントクは恋愛感情に意識など向けないだろう。すこしの光が差した脚本と違って、現実の彼はもっとシビアだ。
難儀な相手に惚れたもんだ。片恋ってままならないのよね。
「たはぁー、最後に大ポカだなんて、なにやってんだろ……」
「仕方ない、きっと、気持ちが溢れちゃったんだよ」
「うぅー……」
頭を振ってべちべちツインテールをぶつけてくる。結わいたままだったな雨で濡れたのに。解いてやると少女は一気に脱力した。
「過ぎたことは取り返せない、なら、少しでも有効活用すべきかな」
「その意気だよ。応援してるから」
「……ありがと、おにーさん」
にへらと少女が笑う。勢いよく扉が開け放たれる。
「紡、あの白くて大きい車。そうだろ?」
「僕が残るからよかったのに。待っててくれたんだ」
先ほどの会話が聞かれていないか、内心ドキドキしていたけれど平静を装う。
「お前じゃ帷運べねえじゃん」
そういえば校庭でお姫様だっこされていたことを伝え忘れていた。
「いいよ自分で歩けるから――ひぃあああっ。持ち上げないでよ!」
「ちょうど雨もあがったな」
「うぁ、ちょっと、降ろしてって。せめておんぶにして! 眩しいのよっ、ハゲに反射した夕陽が目を焼く!!」
騒ぎながら暴れながら帷ちゃんは搬送されていった。
二人の距離感は変わらなかったかもしれない。物語はまだ始まってもいない。でも、少女の心の強さに僕は魅せられ、勇気をもらった。
飴ちゃんを一つ、口の中へ。
アウスタリアスも飲んでおく。
今度は僕が、彼女に勇気を渡す番だ。