第二幕ー⑦
「悪いがこれは受け取れない。甘いものはあまり摂らないようにしてるんだ」
「ダメですっ、運動した分きちんと補給しないと! カロリーが足りなくなって筋肉を分解してしまいます」
キービジュアルとなる、校庭の端っこに鎮座した大樹に寄り添うように少女は待っていた。ランニングの折り返しとなる地点で、アウスタリアスを差し入れるために。
「はいこれっ。練習がんばってね先輩!」
接点を重ねるたびに距離は縮まって、徐々に自然な笑顔を見せるようになってきた後輩。対してどう扱っていいかわからず感情が迷子になる先輩。
「もらったもんだしな」
キャップを捻り、ぐい、っと。
「っし」
半分ほど残したボトルを抱え再び走り出す。
いいねえ、このもどかしい空気がたまらない。お互い気持ちを扱い損ねているような。
「オッケーです。今日はここまでにしましょうか」
初日こそ全員集合していたが、何度か日を跨ぐうち、主要メンバー以外の参加はまばらになっていた。
全部の人員を割くわけにはいかない。僕らには僕らの発表の場があって、それに向けて準備をしなければいけない。その一番槍たる脚本の僕は毎回こっちにも参加しているんだけど。
「帷ちゃん、センスあるよ。演技初めてとは思えないな」
「かあいいかあいいかあいい私にも差し入れしてぇ」
本日は先輩コンビも見学に来ていた。誠司先輩の言うとおり、帷ちゃんのこなれっぷりはとても素人とは思えない。まだ春先なのに少女のおでこに浮かぶ玉のような汗をみゆき先輩が拭う。
「ふぁー。何度やっても現場の空気感は慣れませんねー」
「良くやってると思うよ。僕じゃあ相手は務まらなかっただろうな」
「できないって決めつけはよくないよ。紡はすでに、自分の人生と言う役を演じているんだから」
「この世は一つの舞台。男も女もみな役者に過ぎない、と」
深掘りされても面倒なので、僕はお決まりの台詞に逃げた。
「それなんだっけシェイクスピアよね……」
みゆき先輩が記憶を手繰ろうとこめかみに指を差し込む。
「お気に召すまま、ですよ」
みなが自分の人生を演じている、それは確かにそうだろう。だが誰しもにスポットライトは当たらない。見せ場は訪れない人が大半なのだ。
「まだ四月なのにあっちいな」
画面上から走ってフェードアウトしたカントクが戻ってきた。
「喉渇いたアツシくんそれちょうだい」
「お前がくれたアウスタリアスだろうが」
「もしかして舞台上で告られたら本気にしちゃうタイプ? だから裏方やってるの?」
カントクは鬱陶しそうに帷ちゃんを睨み、先ほどのドリンクの残りを差し出す。
「……そういうのあるんですか役者って」
僕は誠司先輩に水を向ける。
「どーだろ。きっちり切り分ける人が大半だと思うけど……主演同士となれば一緒にいる時間も長いし、のめりこんじゃうタイプだとあるんじゃないかな」
「撮影がはけてそのまま付き合ったり、不倫関係になったり、色々ありますよゲスい話は。どろどろの世界だから」
俳優である父の素行にほとほと懲りたようである。いや、反面教師にしてるのか。
「私は一年のとき、稽古で誠司くんに告白されてどきどきしたなあ。あの頃はまだ、男の人もいいなって思えてたもん……」
みゆき先輩の過去に何があったかは触れないほうがいいんだろうな。
「物語の中でも、その先でも結ばれるなんて素敵だよね、おにーさん」
「役という仮面の下ですら愛してしまえるのは、運命の巡り合わせだと思うよ」
帷ちゃんのお母さんもまた、役者だったと聞いた。もしかしたらカントクのお父さんとの出会いも、そうだったのだろうか。
けれど現在、二人は離別している。元義理の兄妹はそれぞれどう捉えているんだろう。帷ちゃんはきっと、自分の状況を投影してるから肯定できる。けどカントクは、そうもいかないかもな。
「台詞を言うときに溢れてくる、相手役を想う気持ちの出所は果たしてペルソナか自らの心、か……」
空気が鋭くなってきているので緩和するためにポエムを投下した。気障ったらしいポーズを添えたため耐性のない帷ちゃんはどん引きしていた。
「……おにーさん、今の、奏ちゃんの前で出来ますか? 無理でしょう? 痛いキャラ作りしない方がいいですよ」
校庭の隅っこにいるからグラウンドのトラックまで見渡せる。遠く、豆粒みたいなサイズの妹さまが走っているのがギリギリ視認できる。
「奏は表向き悪態をつくけど、僕のこういう一面は嫌いじゃないよ。そもそもお兄ちゃん大好きっ子で……」
「かなでちゃぁあぁああああああん!!!!」
帷さまお声が大きゅうございます!
何事かと振り返った人の中に、妹さまもいた。帷ちゃんを認めるとぶんぶん手を振ってくる。先の発言がリークされたら兄としての立場はなくなる。
「帷ちゃん帷ちゃん、どうか内密にお願いします……!」
「おにーさん焦りすぎ」
楽しそうにけらけら笑う。ちょっとした冗談じゃないかまったくもう。
「お前らまだまだ元気そうだな。部室戻って稽古するぞ」
「えーちょっと休もうよぉ。お茶しませんか先輩方!」
「そんなに疲れてないだろ。立ってただけだし」
「さっきの振り返りとかしたいもん。役者経験者に教えてもらいたいの」
三年の先輩達にもぐいぐい話しかけていく。もともと交流のなかった相手にもこれだもんな、僕なんかよりよほどコミュ力が高い。
「いいんじゃないかな。戻るにしても中途半端な時間だし」
「私は大賛成よ」
「…………あいつらサボってないか見てきます。紡、週末に一回書きかけのデータ回せ」
多数派の圧に負け、カントクは一人進路を違えた。
僕らは四人連れだって学食へ繰り出す。お昼休みだけでなく、放課後も解放されているここはカフェ感覚で利用する生徒も多い。帷ちゃんだけフードメニューを注文し席へ。
「本日の撮影もお疲れ様でした」
乾杯をするなり、帷ちゃんはみゆき先輩に自分の演技を評価してもらっている。デレデレの内心を押しとどめて、一役者としてどう見えたかを伝授していた。
「紡もやってみればいいのに」
誠司先輩がぼそっと呟く。もうええっちゅーねん。
「僕は柄じゃないんですよ。人前で喋ったりするの、苦手ですし」
「俺ももうすぐ卒業だ、カントクはもう役を引き受けないだろう。雲雀は来年、誰と組むんだ?」
「それこそ、雲雀の相手役をしたい人なんていくらでもいますよ」
別に男女揃った恋愛劇でなくていい。男装という手もある。
「あいつは多分、お前と舞台に立ちたいんじゃないかなって思うんだ」
「おにーさんと雲雀先輩、とっても仲良いですもんね。実はこっそり付き合ってるとか……」
この程度の揺さぶりでボロを出すほど甘い覚悟であるわけがなく。
「まさかそんなわけないって。そりゃ一緒にいる時間は長いけどさ」
「一年の子たちみんな噂してますけど」
「じゃあ違うって言っといてよ。僕は、誠司先輩の方が怪しいと思っちゃいますけど」
「べ、、別に俺は……ずっと共演してるし、幼なじみってだけだよ」
「でもお二人ならお似合いですよね! 舞台の上で美男美女って!」
ねー、つむもそ思う。みゆてゃも思うしょ?
「誠司くん、半端な気持ちなら雲雀ちゃんは渡せないから」
「で、どうなんです。ぶっちゃけ幼なじみ以上の感情ってないんですか?」
瑠璃さんのことにはあえて触れないまま、恋バナの波をサーフィンしつつ問いかける。
誠司先輩はうーんと唸りながら、自分でも整理のつかない言葉を並べるように。
「とても大切な存在では……ある。もちろん、大好きだよ。ただ、その言葉にはいくつも注釈がつくというか……」
但し書きにはきっと、瑠璃さん絡みの項目がいくつも記されているのだろう。自縄自縛気味にも見える。
そりゃ、姉がダメなら妹へ、とは行きづらいだろうが。
「大好きだって。いいなぁ……」
帷ちゃんがピュアピュアおめめで先輩を見つめる。
「素敵じゃないですか! 注釈なんてくそ食らえですよ。攻めあるのみです!」
事情を知らないが故に突き進めることもある。奥手になってる誠司先輩の問題だと早合点して応援を始める。
「好きになったら! なってしまったら! もう認めるしかないんです、負けを! 惚れた弱みを抱えながら戦ってくしかないんですよっ」
実体験に基づいた非常に説得力のある励ましだが声がでけえ。学食利用者が何事かとこちらに視線を寄越す。
「いや、雲雀が大切なのはそうなんだけど……俺自身、過去の恋に踏ん切りがつかないっていうかさ。ちゃんと向き合えないんだよ」
帷ちゃんの勢いに気圧されて本音っぽいのいただき。いい仕事するな一年生。
「二人の女の子の間でふらふらしてるってこと?」
「言い方悪いな。ふらふらしたくないから悩んでるんだ……って、これ以上は雲雀に失礼だろ、他に好きな人いるかもしれんし」
おいおいおい僕を見るんじゃネーヨ。脚本に書いてやろうか、お? 相手の気持ちもくみ取れない野暮天って書いてやろうか?
「雲雀先輩も二人の間で揺れているかもしれませんね!」
帷ちゃんは僕らを交互に見渡す。そうだったらストーリーとして面白みが増すのだけれどね。
道の先には深い亀裂だけがある。避けたくとも逃げたくとも、真っ直ぐ進んでいくことが義務づけられている。
負けを認め、痛みを抱えながら、僕は自分が呑まれるのを今か今かと待ちわびて歩く。