第二幕ー⑤
方針が決まれば準備は加速する。あっという間に最初の撮影日がやってくる。
「いいのよ。緊張するなんて当たり前なんだから。初めてづくしの現場、楽しんできなさいな」
みゆき先輩が帷ちゃんにメイクを施しながら話し相手になってあげている。演劇部を志し高校に入ってからまだ一月程度。ようやく学校自体に慣れてくる頃合いだろうに、いきなりカメラが入るんだもんな。編集や撮り直しがきくとは言え、緊張は避けられないだろう。
映研の機材も準備も思ったより本格的だ。部費をやりくりして、ずっと上の代から少しずつ買い足して来たんだそうな。
クランクインを祝して、幕開けはお互いの部員が勢揃いで見守っている。
「仕上がってるね」
「たりめーだ」
カントクの周囲は空気が帯電してるみたいだ。受けた仕事に対する責任もあるだろうし、芝居をすることで経験値を得ようと一切の緩みなく整っている。
「胴着もサマになってるし、経験者みたい」
想像通り、胴着と畳の似合う男だった。スキンヘッドのせいもあるが、何より目つきの鋭さだ。まるで道を究めた達人のような佇まい。
「ガキの頃色々やらされたからな。柔道も空手も、スポーツも芸術も、色んな選択肢をかじったから、多少の心得はあるよ」
わーお英才教育ぅ。なのに演劇を、しかも裏方を選んだということは、よほどの想いがあったに違いない。
「やっぱり君で正解だったね。頼んだよ、アツシくん」
普段僕らが頼りにしているカントクではない。一演者としてこの場に立っている。
「……べたべたなホン書きやがってよ」
結論としては、王道をゆくことになるだろう。部活熱心な男。それを支えてあげたいが邪魔になりたくない女。しかし汗と青春、よりも涙にクローズアップしたストーリー。
伝えられない後輩、帷ちゃんの切なさ。でも捨て去ることのできない一途な想いを描く。 これから作るのはせいぜい数分の映像作品。だが準備、撮影、編集には膨大な労力がかかる。意識しないだけで、当たり前に目にする普段のCMだってそうなんだろう。
一発勝負の舞台こそ僕らの戦場ではあるけど、これはこれで別のおもしろさがある。短い尺の中で展開を読み取れるようにシーンを繋いでいかなければならない。
「それでは映研・演劇部合同のアウスタリアスイメージビデオ撮影を始めます」
この巡り合わせが、少女になにかをもたらすのか。雲雀と同じように、帷ちゃんも役に目一杯の想いを乗せて。
ボールドが鳴り、一気に場が静寂に包まれる。
「……先輩」
作中で何度も呟くこととなる、憧れの呼び方で物語は幕を開けた。
挌技場で鍛錬する男を、美化委員として清掃点検しにきた女が見つけるシーン。
汗を散らしながら基本形の蹴りを繰り出すカントクの寄り絵。入り口に佇んだ帷ちゃん視点での絵も同時に撮影する。
「すごい……」
ギャラリーは映り込まないよう、入り口側に固まって眺めている。蹴りの軌道の美しさに息を呑む。
「綺麗だ」
ぽつりと呟いた彼女の表情アップ。心を奪われたことを赤らんだ頬で表現する。
未経験の少女だが、ずっとこの場面を待ちわびていたに違いない。
カントクが相手なら、この子は、きっと他の誰よりも。
たっぷり間を置き、真柴さんからオッケーサインが。演者だけでなく、周りも一気にため込んだ息を吐く。
誰もが最初の緊張を乗り越え弛緩してる中、カントクは早速映像を見返している。納得いってなさそうだ。何というこだわりと熱意だろう。
「紡、ちょっとこっち」
「はい」
「ここでの帷の内心はどういう想定だ?」
「誰よりも早く朝練している姿を見て畏敬の念とまだ本人は気づいてないほのかな恋心が」
「だったら顔のアップだけじゃなくて別カットも欲しいな。完璧に惚れたわけじゃないんだろ、高めの蹴りの瞬間びくって肩を震わせたり、覗き見に対する罪悪感なんかも織り交ぜて行くべきじゃないか。追加で撮ろう」
「君は主演じゃないのかよ。しきりもやるんかい」
「お前が、こういう指示を出すの! 脚本書き終わったら演出もしてもらうんだからな。お前の脳内ストーリーを具現化するんだよ演劇はっ」
「ぐえ」
返す言葉もない正論パンチだけれど、これ、映研主体のドラマ作りなんだが……。
「……わかった、やってみる。さらに提案ですが、編集時に画面が水でぼやけていく演出どうです? 開幕の合図になるしアウスタリアス的にもアドでは」
帷ちゃんには悪いが、僕は失敗できないメインクエストを抱えている。だからこちらに全力投球はしないしできないと思っていた。
でも、カントクの必死さにあてられたのか、僕自身も燃えてきていた。
映像制作、これは三人称神の視点が使える。つまり、小説の領分であり、僕の得意分野だ。
帷ちゃんの魅力を、カントクの格好良さを、すべて切り取る。
カントクに叱責されてから、僕は今回のカット割りを一から見返していた。いつもは弁当のところをわざわざパンにして昼食をこなしながら、シーン毎の感情の表し方について考える。
これが結構楽しくて、ついつい画面に夢中になってしまう。その視界になんとか映ろうと先ほどから雲雀が妙な動きをしているが無視する。本当に用があればパソコンを閉じるはずだ。
ティロンと解答ボタンが鳴る。仕方なしに意識を向けるが言葉は記されていない。ただの構ってちゃんかよ。
再び画面に目を落とすとメッセージをたった今受信した。差出人は……おや、珍しい相手。
「ごめん雲雀。呼び出し」
『女の子?』
「……気になる?」
『うん』
へー気になるんだ。僕が女子に呼び出されてたら落ち着かなくなったりするんか?
『紡くんモテるんだね』
「残念、相手は男だ。また後で」
連れて行ってもよかったのだが、わざわざ僕に直接連絡を入れるってことは、聞かれたくないのかもしれないから。
指定の屋上庭園へ。春先だけあってくつろいでる人も多い。
「……おう、悪いな急に」
「お疲れ様です。食事は終えたんでお気になさらず」
誠司先輩から声かけられるなんて滅多にないことだ。指示系統としてはカントク→僕だし。何の用だろうかと身構えてしまう。
ベンチに座った先輩の正面に立つ。
「あのさ、急で悪いんだけど……この前のやりとり、聞いてたよな」
「というと?」
「俺がいきなり君たちの教室に行って、雲雀との予定を断ったときの」
「覚えていますが」
「あのあと雲雀はなにか?」
「特に何も言ってませんでした。先輩が約束を反故にしたくらいの認識です」
「実はな、あの日、通院の予定があって」
通院。
「定期的なカウンセリングでさ、一人で行くとは言ってたけど、予約をキャンセルしてたみたいで」
急に予定を崩されて拗ねてる様子ではあったが。一人でできるもんと息巻いていたのに結局やめたんだ。
「それでリスケしたんだけど、また俺の用事が入っちまってな……」
がくりとうなだれる先輩。
「そもそも、通院に付き添いは必要なんですか?」
「カウンセリング自体は彼女が一人でこなすよ。先生も理解してくれてる。ただ、危ないだろ」
いざと言うとき、ぱっと声に出せない雲雀が一人でいるのが?
「事故にあったり、知らない人に絡まれたり、急に体調が悪くなったりするかもしれない」
あらまあ過保護なせーくんだこと。
「だから僕が代わりにそばにいてくれ、って言いたいんですか?」
こくりと頷く。勝手な話だ、僕の事情も考慮せず。
それほど心配なら自分の用事を排して隣にいればいい。第三者の僕を押しのけて、あんたがずっと見守ってやればいいだろうが。
「君は雲雀の現状を聞いてるんだろ?」
聞いているさ。あんたが知らない雲雀の本心まで事細かに聞かされてどうにかなっちまいそうなくらいにはな。
「ええまあ。でも、先輩が付き添うべきですよ。約束したんなら」
「申し訳ないと思ってる。でもいつも一緒にいる紡なら、雲雀も安心できるから」
「僕も忙しいんですがね。映研のフィルムも途中だし、文化祭のホンはまだプロットだし」
「どうしても外せないレッスンが入っちまってよ」
「…………なんのです?」
「ピアノの」
ほー演劇でも受験勉強でもアルバイトでもなくピアノのレッスンですか。もちろん劇で使う予定もないですし個人的な練習なんでしょうね。
自らが苛ついているのを知覚している。ちりちりと脳の回路が焦げていくような感覚。この人を否定することはできない。かつての想いを捨てきれないままなのは察している。なのに身体中が熱くなるのは、攻撃衝動が昂ぶっているのは、僕の醜い嫉妬心に違いない。
そこまで理解していながら、僕の口は嫌みを吐いた。
「瑠璃さんに少しでも追いつこうと?」
果たして言葉は彼に刺さった。意味を理解した先輩は、一気に目つきが尖っていく。
「……どこまで聞いてる?」
「何も。僕は部外者ですからね」
三人の恋愛劇に横入りする隙間などない。
「けど、これだけ深く関われば、なんとなくわかりますよ。誰がどこを向いているかくらい」
「…………」
彼は、彼女の圧倒的才能に食らいつこうとしているのだろう。一度は折れた道なのに、歯を食いしばりながら戦おうとしている。
「先輩は、瑠璃さんのことを……」
今でも、なお、想っているのだろうか。
「追いつけないことくらい、わかってるけど。諦めているはずなのに、鍵盤にしがみついてんだよ」
流れで言質を取ったのはアドだ。冷静になれいつもの僕であれ。これで随分やりやすくなったはず。
「……それほど入れ込んでるなら仕方ないです、今回は僕が引き受けましょう。でも、あんまりおろそかにすると雲雀が泣いちゃいますよ?」
「紡のことはすごく信頼してるみたいだから、俺が行かなくても大丈夫だよ」
「そんなことないです。この前もずーっと不機嫌でしたから。ちゃんとあなたが埋め合わせしてくださいよ」
少しずつ、種に水をやるように、意識づけを繰り返して。芽吹いて、いつか、花を咲かせるまで。




