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第二幕ー①

「紡、紡、あんた何やってるの。早くいらっしゃいよ」


 興奮気味の母に呼びつけられる。普段ほとんど家にいない仕事ジャンキーの両親だけれど、僕らのイベント事には必ず休みを合わせてくれる。朝から妹さまを囲んで大騒ぎである。


「奏、よく似合っているよ」

 サクラが咲いた。

 妹と帷ちゃんは無事、常和高校に合格した。

 入学式の前に、玄関先での記念撮影大会をしている。


「……そうかなぁ」

 妹さまは首をかしげている。納得いってなさそうだ。


 髪を切ったせいだろうな。

 引退してからは伸ばしっぱなしにしていたのに、高校入学を機にばっさりいってしまった。曰く「空気抵抗が増すでしょ」と。


 高校でも短距離を続けるつもりらしい。奏は短髪であるほどボーイッシュな印象になってしまうため、可愛らしい制服との齟齬を感じているのだろう。


「お兄ちゃん並んで!」


 カメラマンと化した両親が僕らを画角に収めたがる。今日は式典だけで授業はないのにこのためだけに制服を着るよう指示されていた。


「合格おめでとう」

「兄さんの指導のたまものです」

「いや、君の努力が実を結んだんだよ」 


 二人とも塾にも行かずによくぞ成し遂げた。確かに家庭教師としてかなり手を貸したけど、それでも県でトップクラスの公立だ。素直に称賛したい。


「おは……っ!」


 もう一人の主役がフェードインした。


 門扉の向こうにツインテールがぴょんと覗いた。挨拶しようとして、一家団欒の時間を邪魔すまいとしたのか慌てて隠れてしまう。


「帷ちゃん、おはよう」

 声をかけると、観念したのか姿を見せる。妹さまと同じ制服に身を包んだ少女は照れくさそうな笑みを浮かべる。


「こっちきて。撮ろうよ兄さん抜きで」

「おはようです。いいのかな、わたしが入って……」


 親友の登場に両親は大歓喜。帷ちゃんのことは我が子も同然に思っているようで、顔を合わせたらなにかと世話を焼きたがるのだ。


「いいよ~。そ、そ、ンゥかぁいい!! その表情イイ! 次は手を握ってみよっかぁ!」


 父は会社では立派な役職で、辣腕を振るっているらしいのだがこの有様ではとても信じられない。愛が重すぎて奏からは距離を置かれているのが哀愁を誘う。


 不思議だ。これほど感情豊かな両親から僕ら無表情ブラザーズが生まれたのだから。


「こう、ですか?」

 帷ちゃんは父の指定に素直に従っている。奏の片腕を抱き込んで仲良しポーズ。形而上の百合の花が咲き乱れる。


「照れた姿がキュートだね!」

 暴走気味の父を囮にフェードアウトする。

 集合写真には映ったし文句はないだろう。自室に戻りまた原稿と向き合わなければならない。


 妹たちへの指導も終え、自由な時間は沢山あったはずなのに、春休み中はろくに筆が進まなかった。


 夏休みまでにできれば間に合う、とカントクは言うが、それは夏休みをほぼ返上して稽古と準備をする前提で。余裕があるに越したことはない。6月中には目処をつけたい。


 窓の外では家族の笑い声が響いている。努力の末に勝ち取った第一志望への進学だ、夢も期待も膨らむだろうよ。

 イヤホンを耳に差し込んだ。集中しなければ、明日からは僕も授業があるのだし。


 パソコンの前で唸っていても、1ページも進みやしない。そもそも題材も何も決まっていないのだから当然だ。思いついた設定や物語の断片をメモしてみるがそれも纏まりがなく。


 ぐちゃぐちゃの毛玉が脳内を占拠している。

 すっかり変わってしまったな、と思う。


 1年前までは、物事をうじうじ悩んだりしなかった。それは僕がシンプルな生き方をしていたからで、起伏のない人生を過ごし、それに満足していたからだ。


 モノクロだった日々は色づいてしまった、良くも悪くも。そのせいで頭を抱える羽目になっている。


「…………よし」


 こういうときは、行くしかない。用具の準備は常にしている。忙しくてベストシーズンの冬にほとんど通うことができなかったのは痛手だが、その分期待が高まっている。

 今夜はお祝いだと聞いている。両親には悪いが、準備は任せてしまおう。




「はっ……ぁ」


 久しぶりの来訪だというのに、ときの湯の水風呂はあの日と変わらぬ冷たさで僕を包んでくれる。極限まで熱した身体を浸し、口をあんぐりと開け体温を逃がす。


 水が揺らぐたび羽衣を優しく撫でて、このまま潜りたい欲求を必死に理性で押さえ込む。


 そうして身体の合図にしたがって、僕はとどめに頭頂から水を被って、外へ繰り出す。


 右隅の椅子が指定席だった。

 毛玉が解ける。僕は大いなる自然と同化し、地球を構成する一元素となる。風の声が聞こえる。光が無数に瞬いている。輪郭が溶けていく。


 空と僕の境界線が定まらない。


 視界が渦巻く。宇宙とは、世界の理とは、あらゆる難題の答えが僕の内にある。


 つまりサウナ+水風呂=宇宙なのだ。


 深みに陥る。鼓動が脈打ちトランスを助長する。

 この静かな世界で鳴っている、心臓のリズムと。

 小鳥。

 春を告げる鳥の、美しい歌声。

 木々を移りゆく葉擦れの音と、告天子の調べ。


「ぶふぅーっ……」

 大きく息を吐く。

 やはりサウナは午前中に限る。夜はうるさい学生が沢山いて、とても瞑想などできはしない。


 4セットも連続でやったらさすがに疲れてしまった。休憩室には見知った常連が何人か。

「おや紡くん。お疲れ」

「お疲れさまです古田さん」


 ときの湯は近隣住民に愛されているスーパー銭湯だ。古田さんは平日昼間なのにビールを掲げながら上機嫌でこちらへやってくる。

「久しぶりだね。開拓してたの?」

「妹が受験で忙しかったんですよ。今日は久しぶりにホームに来ようかなって」

「君、自分の受験のときは週3で来てたじゃん」

「あはは。自分でやる方が気が楽ですよ勉強は」

「常和の特進だもんなぁ。すごいよ、ほんと」


 お勉強ができてもね、うまくいかないことばかりですよ。

「肩の荷が下りたみたいでよかったよ。またちょくちょく来られるんだろ?」


 古田さんとは本当にキツいときにそばで支え合った仲だ。終わり間際の蒸気の爆発を受けて、苦しくて逃げ出しそうな熱気でも、その先に楽園があると信じて僕たちは戦ったのだ。


「息抜き程度になっちゃうかもです。部活に入ったので」

「いいね。ようやく学生気分になってきたんだ」 


 そう言われれば、そうなのかもしれない。

 以前よりサウナ-の知人には学生らしくないだの枯れているだの称されてきた。


「そんな感じ。今はやりたいことが見つかったんです」

「サウナなんてのはいくつになっても楽しめる趣味だから。今しかやれないことがんばりなよ」

「……はい」


 古田さんは自販機でドリンクをおごってくれる。遠慮してもいいからいいからと聞かないんだ。話し相手になってくれたから、なんて。いやいや付き合ってるわけじゃないのに。


「ところでさ、恋人待たせてたりする?」

「……ん?」

「さっきからとんでもない美人さんがじっと君の方見てる」

 古田さんの視線の先を追う。

 目を疑う。

 偶然にしたって。


「あっ、やっぱりつむつむだ」


 湯上がりでめちゃくちゃ色っぽい美人さんが僕の様子を観察していた。






「やっぱ創作に行き詰まったらサウナか散歩でしょー」

 無視するわけにもいかず、手招きまでされてしまったら付き合うしかない。食堂の一角で僕は友人の姉と向かい合っていた。


「君もそうなんでしょ?」

「元々の趣味ですけど」

「じゃあ脚本順調なんだ。うらやましー」


 僕がどれほど繕ったとしても、この人には見透かされてしまう気がした。深い付き合いなどしてきてない、雲雀の家に行くときに挨拶する程度の仲でしかないけれど。


「……瑠璃さんはどうなんですか?」

「だから、順調だったらずっと鍵盤叩いてるわけよ。時間も忘れて飲まず食わずで。上手くいかない、もやもやするような時にサウナに来るんだよね」

 コーヒー牛乳を啜りながら不満げに語る。


「で、頭を空っぽにしたあとに、なるべく色んなものに触れるんだ。作品でも、知らなかった景色でも、入ったことのないエスニック料理屋でもいい。自分が選んで身に纏うもの以外から選択する」

「えっと、そうすると、自分の選んだものの価値を再評価できるし、新たな刺激をインプットすることになる……?」

「理解が早くて助かるよ。妹の大事な人とのエンカウントなんて天の恵みさ。経験値よこしな」


 下品な笑みを浮かべているときでも、この人の表情は俳優みたくサマになっている。というか風呂あがりですっぴんでしょ……? これで? ちょっと信じられない。


「僕を狩っても甘い汁は出てきませんよ」

「その味が好みかどうかはあたしが判断するのよ」


 貪欲だ。この人が特別なのか、それとも創作で食っていこうとする人間はみんなこうなのかはわからないが、どんな出会いも話のネタにってくらいのメンタルでいた方が得なのかも。


「さて、んじゃ雲雀ちゃんとの馴れそめについて語って」

「言いたくありません」


 即答した僕に面食らったのか、目を丸くしている。


「おや、二人だけの大切なメモリー?」

「別に。そういうわけではないですが」

 あれしきのことで、ここまで思い詰めているなんて知られたら。馬鹿みたいだろ。


「なら教えてよ。あの子の作った壁をくぐり抜けた方法」

 別に、僕だから、が理由ではないだろう。


 僕が脚本を書くから、彼女も心の内を明かしてくれただけで。


 瑠璃さんの好奇心からは逃れられそうもない。だが、タダでおちょくられたのではこちらも面白くない。


「話してもいいけど、それなら……瑠璃さんや誠司さん、雲雀の昔話も聞きたいな~って」

 さぁ、乗ってくるだろうか。


「……くふふ。雲雀も面白い子を見つけたもんだ」

 まるで、獲物が罠にかかる様子を眺めているみたいな。


「いいよ、歴史の授業の時間だ。でも、聞いてしまったら知る前には戻れない。筆が折れても知らないよ?」


 ああ、やっぱりこの人は全部わかってるんだと思う。

 僕の気持ちも、彼と彼女の気持ちも。

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