第一幕ー⑩
やり直しやり直しやり直し。
時が巻き戻る。何度だって彼女――藤倉凜の時計の針は12ページ目まで逆走する。
「今度はもっと上手くやらなきゃ……鈍感な彼が振り向いてくれるように!」
凜は一つずつ間違いのルートを潰していく。彼――瞬くんと会話が弾まなかったらリトライ。デートのUFOキャッチャーで300円以内にプライズが取れなかったらリトライ。別れ際に彼の妹に邪魔されたらリトライ。
「なかなか次の約束したまま今日が終われない……」
最適解かついい乱数を引くまで試行し続ける。
「神様! こんなノートじゃなくて、一発で瞬くんと付き合える道具だしてよぉ!」
癇癪を起こす凜の姿は、まさしく彼女が望んだ等身大の恋する女の子だ。
「ここの縁結び神社は望み薄……と。16日目での瞬くんの行動パターンの下振れが酷いな。轢かれちゃダメでしょ車に。今度はお祓い行ってみよ」
何回も何回も、ただ彼と付き合うために繰り返し、学び、実践する。
そしてセーブポイントを一つずつ前に進め、27ページ目の今日に、最後の大勝負にでる。
「瞬くん、私、あなたが歩けるようになるまで支えたい。私があなたの杖になる。だから……もっと頼って欲しいの」
「いいのかい。沢山苦労をかけるよ」
「それでもいいの。嬉しいの。だってあなたのことが……好き、だから」
車椅子に座った瞬を凜が抱きしめ、物語はクライマックスを迎える。映像が黒く染まる中で、観客の目線からは、凜のおぞましい顔つきと内心の独白が窺える。
「まさか事故にあうことが攻略のフラグだったとは。でもおかげで、二人きりの時間が過ごせたし、上手くいった。さ、これからずっと一緒だよ、瞬くん……」
そして凜は、日記に最後のセーブポイントを刻みつける。
静寂。カメラを止めるその瞬間まで、余計な音を立てないようにしている。
「……おっけーです。みなさん、お疲れ様でした」
現場からはまばらに拍手があがる。普段は観客に向けて芝居をするから、終わったときに自分たちで拍手をするのは照れくさそうだった。
「いいんじゃないでしょうか」
「リトライはしなくていいか。一応映像観るけど」
本番テイクではあったが、場面ごとの撮り直しも可能だ。一発勝負のステージとは違い、録画してある程度の編集もきくドラマに近い今回の劇。
「とりあえず形になった。どころか、満足いく仕上がりだったよ。ありがとう、紡」
裏方の長が僕を労ってくれている。嬉しくて仕方のないはずなのに、僕の目線は一点に釘づけだった。
理由はわかっている。
雲雀は憑依型の役者だ。だから恋愛劇で感極まって、ラストの抱きしめたシーンのまま離れられないのだろう。凜の魂が抜け、雲雀がコックピットに座るまでああしているはずだ。
「…………紡」
「っと、お疲れ様、カントク。僕の脚本を形にしてくれてありがとう」
怪しまれている。見透かされているかも。僕は慌てて彼に向き直り、握手を求める。
「疲れがたまっているようだな、しばらく休んでもいいぞ。次も書けるなら、夏休み前までにはあげて……」
「何言ってるの。とっくに次の構想練ってるって。これ書き終わったの年始だよ? 疲れてるはずないしもう充電済んでるって」
「だとしても、ゆっくりでいいからな。絶対県は突破してみせるから、関東までには――」
「それじゃあ間に合わない」
遮るように口にしてから、何にだよ。と思った。
カントク、なんて顔してるんだい。劇に手応えはあっただろうに。
「とにかく、任せてもらえるなら、がんばるから」
「雲雀、雲雀、長いよ。もう終わったって」
誠司先輩がぽんぽんと背を叩くまで、彼女はそうしていた。
「いつまでいちゃいちゃしてんだ役者ー」
周りからもヤジが飛び始め、ようやく雲雀は再起動し、車いすの誠司先輩に支えられた身体を起こす。
そのままふらふらとこちらに向けて歩いてくる。力を使い果たしたのは見て取れるが、覗ける表情は満足げであった。
やってやったよ、見てたかマイメン。とでも言いたげな、一仕事終えたヒーローみたいな顔つきで。
「お疲れさま」
すれ違いざま、僕は飴ちゃんの封を切り、渡す。
「 」
掠れ声でなにかを発した、ような気がした。風のいたずらかもしれない。
口に飴ちゃんを入れた雲雀は、椅子に座って瞑目する。回復するまで動けなそうだな。
「みなさん、お疲れ様でした。これにて一旦、新入生向けの勧誘ビデオ撮影を終了とします」
カントクの号令で一気に場は弛緩する。期末テストも終わり、稽古も脚本ができるまでは強度が下がる。舞台が跳ねたあとくらい、緩んでも仕方がない。
でも僕はそうもいかないのだ。
寒風吹きすさぶ冬が過ぎ、まもなく春が来る。新芽が芽吹き、花が校内を彩り、学年が上がり、演劇部にも新しい風が吹くのだろう。
僕も上級生になる。けれど、下を見ている余裕はない。
先輩が3年生になってしまう。
もう時間がない。
僕は自分の仕事を果たさなくてはならない。
それが、この恋愛劇の中で僕に与えられた、役なのだろうから。