ヴェルネ
呻き声とともに、影が這い寄ってくる。
かつて人であったものたちは、目も耳も奪われたように赤黒い光に従い、ただ獣のように仲間たちへ迫った。
「くるぞッ!」
ハルトが叫び、長剣を構える。
最初に飛びかかってきた影を、大剣を振るうガルドが叩き落とす。
骨の砕ける音と共に地に沈んだが、倒れた体はすぐに黒い靄を吐き、ずるりと立ち上がった。
「斬っても……止まらねぇのか!」
ガルドの声が低く響く。
リーナは歯を食いしばり、弓に矢をつがえる。
放たれた矢は影の頭を貫いた。赤黒い光が弾け、影は仰向けに倒れた。
しかしそれも一瞬、やはり黒い瘴気が体を覆い、立ち上がろうと蠢く。
「……これじゃ、数で押し潰される!」
リーナの焦燥をかき消すように、セリスの詠唱が響いた。
「――癒光よ、彼らを包め!」
淡い光の環が広がり、仲間たちの痺れを払う。
体はなお重いが、呼吸は楽になり、剣も弓も再び振るう力が戻る。
「助かる!」
ハルトが叫び、長剣を閃かせて影を薙ぐ。
その横でリュシエルは短剣を逆手に握り、素早く影の懐に潜り込む。
刃が走り、黒い血が飛び散った。
次々と斬り伏せる。だが倒しても、瘴気が影を繋ぎ止める。
終わりの見えない戦いに、仲間たちの額から汗が滴った。
その時――闇の奥から声がした。
「無駄よ。彼らはもう“人”ではない……瘴気に抱かれた哀れな器。斬ろうが砕こうが、秋の糧となるまで歩みを止めない」
女の声だった。
冷たく、しかし艶やかに響くその声に、全員が息を呑む。
瘴気の渦が裂け、奥の闇からゆっくりと影が現れる。
長い黒髪を揺らし、衣の裾が地を滑るように進む。
赤い瞳が淡く輝き、彼らを見下ろしていた。
「ようこそ、愚かな子供たち。季節を葬るこの地へ――」
それが、元宮廷魔導師。
黒羽の幹部、ヴェルネだった。
瘴気の闇から姿を現したヴェルネは、赤い瞳を細め、ゆるやかに微笑んだ。
その笑みは慈愛にも見えたが、吐き出される言葉は刃のように冷たい。
「人の姿を残しているからといって、同情は不要よ。彼らはもう“秋”に取り込まれた器。ただ腐り落ちるよりも、こうして役目を与えられた方が幸せでしょう?」
リーナが怒りを露わにした。
「幸せ? 人を瘴気で喰い潰して、それを幸せって言うのか!」
ヴェルネは彼女に視線を流す。
「矢を放ちながら、よく言うわね。あなたたちが守ろうとしているものだって、結局は壊れるだけ。……季節は移ろい、やがて葬られる。それが理」
ガルドが大剣を地に突き立て、低く唸った。
「理だと? 人が人を喰わせてまで成す理なんざ、俺は認めねぇ」
ヴェルネの赤い瞳が一瞬だけ細く光った。
「荒々しい剣ね。だが、斬り伏せたものすら救えない。それでも振るうの?」
セリスは杖を握り締め、唇を震わせながら声を上げた。
「あなたがやっているのは救いじゃない! 奪って、縛って……人を人じゃなくしてるだけ!」
その反論に、ヴェルネは愉快そうに笑う。
「奪う? 縛る? いいえ、私は“解き放っている”のよ。脆い命に抗う苦しみから。過去に縋り、未来に怯える痛みから。……ねえ、あなたも見たでしょう? その杖に映る“滅びの兆し”を」
セリスの心臓が跳ねた。
――星輪の杖。
ヴェルネはそれを知っている。
「どうして……」
セリスの小さな声を無視して、ヴェルネはゆっくりと手を掲げる。
黒い瘴気が花弁のように広がり、彼女の背後に形を成した。
「抗うのなら見せてみなさい。あなたたちの選んだ“今”という刹那の輝きが、この秋の闇を越えられるのかを」
瘴気が渦を巻き、影の群れが再び吠え立てた。
戦いの幕は、いよいよ本格的に上がろうとしていた。