秋葬
森に静けさが戻ったのも束の間、空気が再び重く沈んでいった。
瘴気はまだ消えていない。いや――むしろ、先ほどより濃くなっている。
「……来る」
リュシエルが短剣を握り直し、低く呟く。
その時、風のないはずの森で枯葉がざわめいた。
頭の奥に直接響くような、艶やかな声が漂ってくる。
『あぁ……愛しい駒たち。よくぞ持ちこたえたわね』
全員が身を固くした。声の主の姿は見えない。だが瘴気の流れが、まるで意思を持つかのように彼らを囲む。
「ヴェルネ……!」
リーナが矢をつがえ、鋭く睨みつける。
『あの兵たちを倒したの? ――ふふ、惜しい子たち。まだ使い道はあったのに』
その声音は冷酷でありながら、まるで戯れを楽しむような色を帯びていた。
ガルドが大剣を握りしめ、吐き捨てる。
「人を玩具みたいに……!」
『玩具? 違うわ。彼らは“燃料”。力を繋ぎ、瘴気を紡ぐための……ね』
ハルトの拳が震え、剣先がわずかに揺れる。
「……ふざけるな! 人の命をそんなふうに呼ぶな!」
だがヴェルネの声は笑うばかりだった。
『熱いわねぇ。そういう子、大好きよ。折れる音が楽しみで――』
その言葉の先は、突如として途切れた。
瘴気の圧がふっと消え、森は再び静寂を取り戻す。
「……消えた?」
セリスが怯え混じりに呟く。
オルドだけは眼を細め、低く言った。
「いや――奴はここを見てた。まるで、狩人が獲物を測るみてぇにな」
誰もが息を呑んだ。
秋葬のヴェルネ。
姿を現さずとも、森を覆う気配だけで心を抉るその存在に、全員の怒りと恐怖が静かに燃え上がっていった。
瘴気が消えたのは一瞬だけだった。
次の瞬間、森の奥から幾つもの赤い光が灯る。
「……目だ」
ガルドが低く呟いた。
黒い影が揺らぎ、やがて地を這う音が近づいてくる。
現れたのは狼でも兵でもない――異形の獣。
人の腕を思わせる四肢に、幾つもの口を持つ顔。血肉のように脈打つ皮膚を瘴気が覆っていた。
『贈り物よ。――せいぜい楽しませて』
ヴェルネの艶やかな声が、耳の奥を撫でるように響いた。
「くそっ……!」
ハルトは長剣を握り直し、前へ躍り出る。
リーナが矢を放つが、獣の皮膚に突き刺さった途端、ぐにゃりと肉が歪み、矢を飲み込むように溶かしていく。
「効いてない!?」
リーナの声に、オルドが叫ぶ。
「瘴気に呑まれた肉は“刃”で抉れ! ただの傷じゃ通じねぇ!」
ガルドが雄叫びと共に大剣を振り下ろす。
土を割る一撃が獣の肩を断ち、黒い液体が飛び散った。
だが獣は痛みを感じぬかのように、逆に大顎を広げて噛みつこうとする。
「ガルド!」
リュシエルが飛び込み、双剣で顎を押し返す。
火花のように瘴気が散り、彼女の頬をかすめて切り裂いた。
セリスは杖を掲げ、声を震わせる。
「光よ、我らを繋げ――!」
淡い光が仲間の身体を包み、瘴気の重圧を和らげていく。
ハルトはその光に背を押され、獣の横腹へ切り込んだ。
肉が裂け、黒煙が噴き上がる。
その一撃に呼応するように、ガルドの大剣が頭を叩き割り、リーナの矢が眼窩へ突き刺さった。
絶叫。
異形の獣が暴れ狂い、森の木々をなぎ倒す。
オルドの怒声が響く。
「怯むな! こいつらは“奴の手”にすぎねぇ! ここで退けば、次は国が呑まれるぞ!」
仲間たちは歯を食いしばり、それぞれの武器を構え直した。
――秋葬ヴェルネの気配は、まだ森の奥で嗤っている。