兵の亡骸
呻き声が森に満ちた。
赤く濁った眼を光らせた兵の影が、剣を振りかざして突進してくる。
その動きは粗雑だが、獣のように速く、力だけは異様に強かった。
「来るぞ!」
オルドの声が響いた瞬間、兵の剣がガルドの大剣とぶつかり合った。
火花が散り、衝撃で大地が震える。
「……人の力じゃねぇ……!」
ガルドが歯を食いしばる。押し返す力は獣と変わらぬほどだった。
別の兵が、杖を抱えるセリスに狙いを定めて迫る。
「セリス!」
ハルトが割って入り、長剣で受け止める。
腕が痺れるほどの一撃。だが剣先の冴えはなく、ただ力任せに振るわれていた。
リーナの矢が飛び、兵の肩を貫いた。
だが呻きながら剣を振るい続ける。血は流れるが、痛みを感じていないかのようだった。
「効かないの……!?」
リュシエルが短剣を閃かせ、兵の腕を斬り裂く。
だが瘴気の膜が傷を覆い、じわじわと塞がっていく。
「やはり……瘴気が肉体を喰らい、支配している……!」
その時、セリスの杖が鈴音を響かせた。
視界に走った光景――兵士の胸の奥で、黒い塊が脈打っている。
それは瘴気の核。全てを操る“闇の心臓”だった。
「……っ! 胸よ! 胸を狙って!」
セリスが叫ぶ。
仲間たちは息を合わせた。
リーナの矢が兵の動きを止め、ガルドが大剣で正面から押さえる。
「今だ!」
その声に応じて、ハルトが横から駆け込み、長剣を突き立てた。
刃が胸を貫いた瞬間、黒い瘴気が噴き上がり、兵が絶叫を上げる。
リュシエルが短剣で核を切り裂くと、光と闇が弾けるように霧散した。
兵の体はぐったりと崩れ、ただの抜け殻となって地に倒れた。
静寂。
誰も声を出せなかった。
それは確かに“人”だったのだ。つい昨日まで、同じように息をし、剣を握っていた兵。
「……俺たち、人を……」
ハルトの声が震える。
オルドが低く言い放った。
「迷うな。あれはもう人じゃねえ。ただの瘴気に喰われた骸だ」
誰も返事はしなかった。
ただ、それぞれの胸に重い影が落ちる。
瘴気は獣だけでなく、人すらも呑み込む。
その現実を突きつけられた一戦だった。
静寂が森を覆った。
瘴気に呑まれた兵の亡骸は、ただの肉塊となって地に横たわっている。
その姿を見つめる誰もが、胸の奥を締めつけられるような痛みを覚えていた。
リーナが震える指で矢を握りしめ、唇を噛む。
「……ヴェルネ。あの女……兵士を、人を……こんなふうに」
矢の先に残る血が、無念の証のように赤黒く光った。
ハルトは長剣を土に突き立て、拳を震わせた。
「瘴気に沈めて、駒にして……! あいつにとって、人の命はなんなんだ……!」
セリスは星輪の杖を抱きしめ、涙をこらえきれずに声を震わせる。
「彼らには……家族があったはず。国のために剣を握っただけなのに……」
ガルドは拳を固く握りしめ、低く唸った。
「黒羽の幹部……“秋葬のヴェルネ”。ファリオーネに仕えた宮廷魔導師だと聞いた。
……かつては国を支えたはずの者が、今は兵を使い潰してやがる」
リュシエルの瞳が怒りに揺れる。
「裏切り者……。民を守るはずの立場でありながら、自ら民を瘴気に沈めるなんて……! 絶対に許せない」
焚き火の影の中で、オルドが低く吐き捨てた。
「“秋葬”の二つ名は伊達じゃねぇ。枯れ葉を散らすように人を殺し、命を弄ぶ女だ。
……だがな、やりすぎた。兵を駒にした報いは、必ず受けさせる」
誰も言葉を返さなかった。
しかし、その瞳には同じ怒りと決意が宿っていた。
――秋葬ヴェルネ。
かつて国を支え、今は国を喰らう裏切りの魔導師。
その非道を止めることが、この森を越える意味であり、彼ら自身の戦いの理由になっていった。