赤く濁った眼
焚き火の炎が、血と土にまみれた顔を淡く照らしていた。
全員が地面に腰を下ろし、荒い息を整える。森の奥からは、なお瘴気の匂いが漂ってくる。
セリスは膝に杖を置き、震える指で握り直した。
――その瞬間、胸の奥に澄んだ鈴音が響く。
「……っ」
視界の端に、光と闇が揺れる幻が浮かんだ。
黒い霧の中に、誰かの影が立っている。赤い眼が、こちらを見返した。
「セリス?」
隣でリュシエルが声をかける。
セリスは小さく首を振った。
「……なんでも、ない。ただ……」
唇が震える。自分でも確信できない。
けれど心臓は警鐘を鳴らしていた。
「この森には……獣だけじゃない。誰かが、見ている……」
仲間たちの視線が一斉に彼女に集まる。
だが言葉の続きを、セリスは飲み込んだ。
――今の幻が、真実かどうかも分からないから。
オルドは黙って焚き火越しに彼女を見ていたが、やがて低く呟いた。
「……星の杖が、動いたか」
セリスは驚いて顔を上げる。
だがオルドはそれ以上は言わなかった。
ただ森の闇は、なお重く淀んでいる。
風に揺れる黒い靄の奥で、確かに何かが待っている――そう思わせるには十分だった。
翌朝。
夜の冷気がまだ森に残る中、一行は静かに歩を進めていた。
森は深くなるにつれ、空気の重さを増していく。
木々は瘴気に焼かれ、葉は黒く枯れ落ちていた。小鳥の声もなく、聞こえるのは風に混じる低い呻きのような音だけだった。
「……ねぇ」
リーナが小声で言う。
「さっきから、誰かに見られてる気がするんだけど」
ハルトも剣を握り直した。
「俺もだ。獣じゃない……もっと、人に近い何か」
その時、セリスの杖がかすかに鈴音を響かせた。
視界の隅にまた“影”が浮かぶ。
今度ははっきりと――鎧を纏った兵の姿。
だが顔は黒い瘴気に覆われ、虚ろな眼だけが赤く光っていた。
「来る……!」
セリスが叫んだ瞬間、森の奥から数人の人影が現れた。
それはかつて兵士だった者たち。
だが瘴気に呑まれ、人の面影はほとんど消えている。
赤く濁った眼、震える剣先。
呻き声と共に、ゆらりと彼らは歩み出た。
「人……だと……!?」
ガルドの顔が強張る。
リュシエルは一歩前に出て、短剣を構えた。
「違う。もう人じゃない……瘴気に喰われた“抜け殻”よ」
その言葉を裏付けるように、兵の影が咆哮を上げ、いっせいに突進してきた。
その剣の振りは粗雑だが、力だけは獣のように凶暴だった。
「来るぞ! 全員、構えろ!」
オルドの怒声が森に響く。
――魔獣を越えた先に待っていたのは、人でありながら人を失った存在。
仲間たちの心に重い影を落としながら、戦いの幕は切って落とされた。