地獄の訓練
森を包む夜は長い。
焚き火の炎が静かに揺れる中、全員はそれぞれ思いを抱えたまま眠りについた。
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まだ夜も明けきらぬ刻――。
「起きろォッ!」
獣の咆哮のような怒声と共に、オルドの足がハルトの脇腹を容赦なく蹴飛ばした。
一同は飛び起き、慌てて体勢を整える。
「なに、まだ夜中じゃ……!」
セリスが目をこすりながら文句を言うが、オルドはお構いなしだ。
「日の出を待つ奴は、森で真っ先に死ぬ! 走れェッ! 山の上まで往復だ! 置いてきゃあ二度と拾わん!」
怒号と共に、リーナが真っ先に駆け出した。
その背を追うようにハルトとガルドも走り出す。セリスは悲鳴混じりに杖を抱えて必死に足を動かした。
リュシエルは息を整え、剣を腰に差したまま静かに走り出す。
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汗だくで戻った一行を待っていたのは、さらに苛烈な訓練だった。
「リーナ! 矢百本連続で放て! 一つでも外したら井戸に逆さ吊りだ!」
「ガルド! 剣を振れ! 腕が上がらなくなるまでやめるな!」
「ハルト! その構えはまだ甘ぇ! “死ぬ未来”を想像しながら剣を握れ!」
「セリス! 仲間を守る歌を途切れさせるな! 声が枯れても続けろ!」
次々と飛ぶ罵声。
それでも全員は必死に食らいついた。
リーナの弓は次第に鋭さを増し、ガルドの剣筋は無駄を削ぎ落とす。
セリスは歌声を震わせながらも、確かに仲間の疲労を和らげていった。
ハルトは剣を握るたびに、恐怖ではなく「守るべきもの」を想い始める。
そして――。
「嬢ちゃん」
オルドの視線がリュシエルに向いた。
「おまえは特別だ。その剣を抜け。森の瘴気は、ただの刃じゃ断ち切れねえ」
リュシエルは静かに短剣を抜いた。
白銀の光が朝の闇を裂き、全員の胸に一瞬、希望の火を灯す。
オルドはにやりと笑った。
「……いい刃だ。だが使い手が半端なら、いずれ呑まれるぞ。おまえはそれを“守るために振るう”か、“振るうために守る”か――今日の稽古で答えを出せ」
リュシエルは剣を構え、迷いのない瞳で答えた。
「私は――この刃と共に、仲間を守る」
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夜明け前の森。
吐く息は白く、だが全員の額にはすでに汗が流れていた。
「走れェッ! 止まるな! 森の獣は待ってくれねえぞ!」
オルドの怒声が響き渡る。
リーナは荒い呼吸を整えながらも、弓を背負ったまま地を蹴る。
「っ……! これぐらい、まだ……!」
彼女の横顔には、混じりものと呼ばれ続けた日々への悔しさと、それを越える決意が滲んでいた。
その後ろで、セリスは杖を抱え、必死に足を動かす。
「はぁっ……! ……詠唱どころか、息も続かない……!」
息切れの声に、オルドが振り返る。
「おまえは“歌姫”だろうが! 息が続かねぇ魔導師がどこにいる!」
「……っ! 誰が“歌姫”よ!」
反論しつつも、セリスは一歩を止めなかった。
その姿に、ハルトが小さく笑う。
「負けず嫌いは……いい魔導師の証拠だな」
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昼。
弓を握るリーナの指は、皮がめくれ血が滲んでいた。
「……百本どころか、もう二百は撃たされてる気がするんだけど」
「口を動かす暇があるなら、腕を動かせ」
オルドの一喝に、彼女は悔しそうに歯を食いしばり、再び矢をつがえた。
その横で、ガルドは丸太を担ぎ上げ、声を殺して剣を振り続ける。
「……まだだ。まだ鈍い」
汗が滴り落ち、土に暗い染みを作る。
オルドは腕を組み、その動きをじっと見ていた。
「おまえの剣は力任せだ。獣なら叩き斬れるが、瘴気は斬れねぇ。風を断つみてぇに振れ」
「……できるまでやる」
ガルドは低く答え、再び剣を振るった。
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夕刻。
ハルトは木の枝に逆さ吊りにされ、剣を握ったまま必死に腹筋で体を起こしていた。
「……ぐっ、はっ……! これ……修行っていうより拷問じゃ……!」
「黙れ! 生きるか死ぬかの時に腹筋が足りねぇ奴は、仲間を守れねぇ!」
オルドの容赦ない怒声に、ハルトは奥歯を噛みしめる。
「……仲間を……守る……! なら……やるしか、ないだろ!」
声はかすれていたが、その目には強い光が宿っていた。
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その少し離れた場所。
リュシエルは焚き火の前でルミナスブレードを抜き、静かに構えていた。
オルドが双剣を片手に立つ。
「嬢ちゃん……その剣は重ぇ。刃じゃなく、背負ったものの分だけな」
「分かってる。それでも私は振るう」
淡く光る刃と、老人の双剣が火花を散らすようにぶつかり合った。
一瞬で押し込まれたリュシエルは膝をつきかけながらも、必死に耐える。
「いい目だ。半端じゃねえ……その刃はおまえを選んでる」
オルドの言葉に、リュシエルは小さく息をつき、再び剣を構え直した。
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その夜。
全員は地面に倒れ込むように眠りについた。
体は悲鳴を上げていたが、不思議と誰も「やめたい」とは口にしなかった。
リーナは焚き火を見つめ、呟く。
「……やっと、居場所を見つけた気がする」
その声は誰に届くでもなく、夜の森に溶けていった。
ただ――それを見ていたオルドが、焚き火の向こうでわずかに目を細めたことに、彼女は気づかなかった。