地獄の鍛錬の始まり
焚き火の赤が、枯葉色の空気をゆっくりと照らす。
オルドは枝を火にくべ、ぱちぱちと爆ぜる音を聞きながら吐き捨てるように言った。
「ヴェルネは森を裏切った。だがな……森はまだ、完全には死んじゃいねぇ」
セリスが小さく首を傾げる。
「まだ……間に合うの?」
老人は鼻を鳴らした。
「知らん。だが一つだけ言える。あの女は“毒を撒くだけの魔女”じゃねえ。本気を出しゃ、森を丸ごと“別の季節”に変えちまう。春でも夏でも冬でもねぇ……“終わりだけの秋”にな」
リュシエルが目を伏せる。
「……風すら吹かない世界、か」
「ああ。あの女は『枯れさせる』だけじゃねえ。風も炎も水も効かなくなる土に変えちまう。根ごと腐らせ、命ごと朽ちさせる」
ハルトが息を飲んだ。
「……それじゃ、剣も術も届かない?」
オルドは焚き火から視線を外し、全員をぐるりと見渡した。
火に照らされた顔は影に沈み、片目だけがぎらりと光る。
「そうさ。普通にやっても勝てねぇ。だから“普通じゃねぇ斬り方”を叩き込んでやる」
全員が息を呑む。
ガルドが腕を組み、低く言った。
「……俺たちを、鍛えるつもりか」
オルドは口角をわずかに吊り上げる。
「教えるだけだ。覚えるかどうかは、おまえらの“しぶとさ”次第だ」
焚き火の火花がぱちりと弾ける。
リーナは一歩前へ出た。
「……いいわよ。あんたの地獄、受けて立つ」
オルドはにやりと笑い、背を伸ばした。
「――一晩置け。明日から地獄を見るぞ」
⸻
そのとき、オルドの視線がふっとリュシエルへ移る。
「……嬢ちゃん、その剣を抜いてみろ」
不意の指名に仲間たちが驚く。
リュシエルは静かに歩み出て、腰の剣を引き抜いた。
白銀の刃――淡く光を宿す、女神ルミナの遺した剣。
焚き火の光を受け、夜の中にひとすじの輝きを放つ。
オルドの片目が鋭く光った。
「……やはりな。その剣、ただの鉄じゃねえ。背負いきれなきゃ、おまえを食い殺すぞ」
リュシエルは唇を結び、剣をしっかりと握り直す。
「それでも――母の形見なの。だから私は、この刃ごと証明する」
老人は鼻を鳴らし、双剣の柄に軽く手を置いた。
「……ならいい。おまえも鍛えてやる。剣は使い手次第で化けるもんだ」
リーナが小さく微笑んだ。
「よかったじゃない。あんたも地獄コース決定ね」
セリスが息をつきながら呟く。
「……これは本当に、命がけの修行になりそうね」
ガルドは無言で頷き、ハルトは剣の柄に手を置いたまま、炎を見据える。
⸻
オルドは立ち上がり、枯葉を踏みしめる音を響かせた。
「よし、今日はここまでだ。腹を満たして寝ろ。日の出前に叩き起こしてやる」
その言葉に、ハルトたちは思わず顔を見合わせる。
緊張と期待が入り混じる沈黙の中、焚き火の炎だけが夜の森を赤く揺らしていた。
――明日から始まるのは、戦いに勝つための“地獄の鍛錬”。
その先に待つのは、秋葬ヴェルネとの死闘に他ならない。