森の掟と名なき師の影
村の中心部――朽ちかけた巨木をくり抜いて作られた集会所に、蒼天の刃の一行は通された。
内部はひんやりとしており、外の乾いた空気とは違う湿度がわずかに残っている。
壁には古い狩猟具と、紅葉を象った紋章が掲げられていた。
椅子も用意されず、立ったまま待たされて数分。
やがて、奥の帳が音もなく開いた。
現れたのは――白銀の髪をひとつに束ねた、細身の老人エルフだった。
杖を携えているわけでもないのに、ただ歩くだけで周囲の空気がわずかに揺れる。
「フェリオーネ自治結界の管理を任されている、ラウル・フェンデルだ」
その眼差しは厳しくも澄み切っており、声は穏やかだが、揺らぎは一切ない。
リーナは無言のまま、ゆっくりと膝を折りかけ――しかし、途中で止めた。
「……形式的な礼はしないわ。立場が何であれ、私は“お願い”ではなく“覚悟”を持ってここに来た」
ラウルの眉がわずかに動いた。
「……やはり、母親によく似ている」
その一言に、場の空気が揺れた。
ハルトたちが瞬間的に目を見開く。
「母親……?」
「つまり――やっぱり本当に“姫”なんだな、おまえ」
ハルトの声に、リーナは肩をすくめただけだった。
「何度も言わせないで。血統で戦ってるわけじゃないってこと、さっき見せたでしょう?」
ラウルは目を閉じ、静かに息を吐いた。
「森を救いに来たというならば、歓迎はせぬが排除もしない。
だが――資格を示さねばならぬ」
「資格?」
リーナが眉を上げると、ラウルは森の奥を指差した。
「“老狩人〈オルド〉”の庵がある。おまえに狩りと生存の術を叩き込んだという男だ」
「――あのじいさん、まだ生きてるの」
「生きている。だが、何者も近づかぬ。“瘴気”が最も濃い区域に住み着いているからだ」
ハルトが一歩前に出る。
「つまり――そこを越えられるかどうかが、試練ということか?」
「そうだ。もしその男が、おまえを“弟子”と認めるならば――我々も認めよう。
だが辿り着けなければ……その時は森の法に従ってもらう」
リーナは一言も迷わなかった。
「行くわ。あの人に“帰ってきた”って言うのも、ずっと後回しにしてたしね」
ラウルは小さく頷き、背を向けた。
「案内人をひとり付ける。準備ができ次第、東の門へ来い。……人間たちも同行を許す。ただし、森の道では彼女が“先頭”だ」
村長が去り、空気がようやく動き出す。
ハルトが小さく笑う。
「……ほんと、おまえってやつは」
ガルドも腕を組みながら頷く。
「すぐに歓迎されるとは思ってなかったが、思った以上に早かったな」
セリスが柔らかく微笑み、杖を抱えた。
「でも、最初の一歩は――もう踏み出せた」
リュシエルは風を引き寄せ、リーナの背にそっと当てる。
「進む風があるならば、迷う理由はないわね」
リーナは小さく笑い、言った。
「――行くわよ。次は“森のじいさん”に一発殴られる番だわ」