風を紡ぐ約束
帝都イグナリアの外れ、小高い丘はまだ朝靄に包まれていた。
この南の国に来てから数日、リュシエルは初めて一人で城下を抜け、この場所を訪れていた。
澄みきった空気に、遠く紅蓮の溶岩を抱く峡谷からの熱がほんのり混じる。
風は北国ほど鋭くはなく、柔らかく頬を撫でていった。
丘の頂で足を止めると、帝都の赤茶の屋根が朝の光にきらめき、遠くの峡谷から立ち上る白煙が薄く揺れている。
リュシエルは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
冬に慣れた身体には、このわずかな温もりさえ新鮮で、どこか懐かしい。
――それなのに、心の奥に冷たいものが残っている。
思わず瞼を閉じる。
氷冥王の姿が脳裏をよぎった。あの蒼く光る瞳。
言葉では説明できない既視感が、あの日から消えない。
リュシエルは首を振り、風を仰いだ。
丘を渡る風はただ静かで、何も答えない。
けれど、その静寂がかえって胸の奥をざわめかせる。
「リュシエル、ここにいたのね」
背後から声がして振り返ると、リーナが弓を背にこちらへ歩いてきた。
まだ朝露を含んだ草を踏みしめながら、優しく微笑む。
「みんな探してたわ。朝食が冷めちゃう」
「ごめんなさい。少し……風に当たりたくて」
リュシエルは視線を遠くへ戻した。
リーナは隣に並び、しばらく何も言わずに同じ景色を眺めた。
朝靄の向こうで、溶岩の白煙がゆらりと昇っている。
「この国の風って、北とは全然違うのね」
リーナがぽつりと呟く。
「ええ……柔らかい。けど――」
リュシエルは言葉を切った。
心に残る冷たい感覚を、そのまま口にするのが怖かった。
リーナは小さく笑って肩をすくめる。
「私も初めて来た時は不思議だった。景色も、風も。
でもきっと、この空気も私たちの旅の一部になる。そう思うと、少しわくわくするわ」
その言葉に、リュシエルの胸のざわめきがわずかに和らいだ。
風がふっと二人の髪を揺らす。
「……そうね。これからも、まだ見ぬ風に出会うんだもの。
きっと、どんな風も私たちを導いてくれる」
リーナはうなずき、笑顔を深めた。
「その時も、私たちは一緒よ」
リュシエルはその横顔を見つめ、微かに微笑んだ。
心の奥に残る冷たい影は消えない。けれど――
仲間と歩む道が、その影を恐れずに進ませてくれる。
丘を吹き抜ける風が、二人の小さな約束を静かに包み込んだ。