渓谷旧坑道・入口
渓谷に夜が降りると、溶岩の赤い光も遠く霞み、風だけが岩壁を打つ。
ハルトたちは騎士団から借りたランタンを掲げ、旧坑道の口へと足を踏み入れた。
岩肌に刻まれた古い掘削跡は、長い年月のせいか崩れかけており、足を踏み外せば谷底に落ちかねない。
ガルドが短く息を吐き、かつての仲間に似た鋭い視線で坑道の奥を見据える。
「この道は騎士団がかつて資源を求めて掘ったものだ。
だが今は監視もされず、黒羽にとっては隠れ家としてうってつけだ」
ルークがうなずきながら後ろに続く。
「弟の痕跡が残っていればいいが……」
その声には焦燥が滲む。
セリスが軽く杖を握り、静かな声で言葉を添えた。
「必ず見つけましょう。黒羽がどれほど狡猾でも、私たちは必ず光を見つけ出す」
ルークはわずかに肩を落とし、安堵の息を吐いた。
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闇に潜む気配
坑道を進むごとに、岩壁から滲み出る冷気が肌を刺した。
溶岩渓谷の熱が背後で遠ざかるにつれ、空気は異様なほど冷たい。
ハルトは長剣の柄を握りしめ、耳を澄ます。
――カサ……カサ……。
乾いた音が、暗闇の奥から届いた。
リュシエルが手をかざし、そっと風を起こす。
風が廃坑の闇をなぞり、その奥から幾つもの小さな羽音が返ってくる。
「……黒羽だ。数は多くないが、こちらを伺っている」
リーナが弓を持ち上げ、声を潜める。
「罠かもしれない。けど、先へ進まないわけにはいかないわ」
ガルドが仲間を見回し、低く告げた。
「俺が前に立つ。何か来ても一撃で道を作る。――行くぞ」
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旧坑道・深部
さらに奥へ進むと、かつて採掘に使われた広間に出た。
そこには崩れた足場と古い機材が散乱し、天井の割れ目からはかすかな月光が差し込んでいる。
その中央に、黒い外套を纏った数人の影が立っていた。
肩口には黒羽の紋章――漆黒の羽根の刺繍が闇に揺れている。
一人が仮面の奥から低い声を響かせた。
「帝国の犬どもが、こんな場所まで嗅ぎつけるとは……」
ハルトは一歩前に出て、長剣を構える。
「黒羽か。ここで何を企んでいる」
仮面の男は答えず、手にした短槍をくるりと回した。
その刃が月光を反射した瞬間、仲間たちが一斉に動いた。
弓の弦が鳴り、リーナの矢が暗闇を裂く。
リュシエルの風が矢を押し、狙いを正確に導いた。
だが黒羽の一人が身を翻し、矢を掠めながらも反撃に転じる。
床を蹴った影が、ハルトに迫った。
長剣と短槍がぶつかり合い、火花が散る。
ハルトはその勢いを受け止め、鋭く剣を押し返した。
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捕らわれた弟
その時、坑道の奥から微かなうめき声が届いた。
「……兄……上……」
ルークが息を呑む。
「エリオット!」
彼が叫ぶと同時に、ガルドが大剣を振り抜き、迫る黒羽の一人を弾き飛ばした。
セリスが星輪の杖を掲げ、淡い光を広げる。
その光が奥の岩影を照らし、鎖に繋がれた一人の青年が姿を現した。
ルークが駆け寄り、鎖を断ち切る。
エリオットは弱々しくも、兄の腕にすがりついた。
「……黒羽は……奥に……まだ……」
その言葉を最後に、青年は意識を失った。
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襲い来る影
広間の奥、闇が渦を巻く。
仮面の男たちが一斉に後退し、低い声で囁いた。
「ここで終わりではない。氷冥王の御心により、帝国は必ず崩れる」
その瞬間、足元から冷気が吹き上がった。
坑道全体がきしみ、岩壁から白い霜が広がる。
ハルトは長剣を構え、仲間に鋭く声を放った。
「まだ終わっていない――全員、構えろ!」
冷たい風が一行を包み、黒羽の残した不気味なざわめきが、坑道の奥深くから響き渡った。
帝国を揺るがす新たな闇の気配に、誰もが無言のまま剣を握りしめた。