ソルディアへの道すがら
森を抜け、雪解け水の流れる渓谷を進むうち、空気はわずかに柔らいだ。
遠くに紅蓮の大地――ソルディア帝国の山脈が、低く影を落としている。
冬の大陸の中で、そこだけがかすかな温もりを含む地。
けれどその道のりは、決して安らぎを約束するものではなかった。
ハルトたちは岩肌を削った山道を歩みながら、何度も足を止めた。
黒羽の気配を追えば追うほど、あたりには小さな痕跡――黒い羽根の切れ端や、氷冥王を讃えるかのような不気味な印が現れていた。
ガルドが険しい顔で長剣を背へ戻す。
「黒羽の連中……こちらの行く先を、わざと示しているようだな」
リーナが眉を寄せ、周囲を見渡す。
「まるで“次はここだ”と誘ってるみたい。罠の匂いしかしないわ」
セリスは星輪の杖を抱き、淡く息を吐く。
「氷冥王の狙いはソルディア。私たちを追わせながら、何かを封じる準備を進めているのかも」
リュシエルが一歩前へ出て、風を読み取るように目を閉じた。
「……風が伝えてくる。道の先に村がある。けれど、人の気配が薄い」
その言葉に一行は顔を見合わせ、足を速めた。
⸻
静まり返った村
山道を抜けると、小さな集落が姿を現した。
雪に埋もれた屋根からはかすかな煙が漂うだけで、人影はない。
広場の中央には、黒羽の紋章が刻まれた木札が突き立てられ、淡い霜が周囲を覆っていた。
リーナが弓を構え、声を潜める。
「……誰もいない。村全体が、時間を止められたみたい」
ハルトは長剣を引き抜き、木札へと近づいた。
その表面に刻まれた文字を見た瞬間、背筋に冷たいものが走る。
――“南の炎を凍らせ、太陽の心臓を奪う”――
セリスが小さく息を呑んだ。
「太陽の心臓……ソルディアの精霊ソルティアを指しているわ」
ガルドが険しい声を落とす。
「黒羽の目的は、太陽の精霊か。もし奴らが精霊を封じれば、この大陸の季節はさらに歪む……」
リュシエルが周囲を見回し、風の気配を確かめる。
「黒羽が動く前に、ソルディアへ知らせなければ」
ハルトは長剣を握り直し、仲間へ頷いた。
「急ごう。ここで立ち止まっていれば、黒羽に先を越される」
⸻
その時、村の奥からかすかな足音がした。
振り向いた先、雪に白く染まった路地に、一人の旅装束の若い女が立っていた。
栗色の髪が風に揺れ、落ち着いた瞳がこちらを静かに見つめている。
「……あなたたちも、黒い羽根を見たのね」
低く澄んだ声が、凍てつく空気に響いた。
ハルトは一歩前に出て尋ねる。
「あなたは、この村の人ですか?」
女は首を横に振る。
「旅の道すがら、ここに立ち寄っただけ。けれど――村人たちは皆、夜明けとともに姿を消した」
その瞳に恐怖はなく、ただ何かを確かめるような静かな光が宿っていた。
ガルドが低く問う。
「黒羽の仕業だと思うか?」
女は視線を木札へ向け、わずかに唇を引き結んだ。
「……あの羽根がそれを示しているなら、そうかもしれない」
リュシエルが風を鎮めながら小さく呟く。
「黒羽の動きが速い……ソルディアまでの道が安全とは限らないわ」
女は小さく頷き、静かに告げた。
「ソルディア帝国に向かうなら、気をつけて。――この先は、闇に覆われ始めている」
その言葉は、冷たい冬の風よりも深く、一行の胸に重く落ちた。
⸻
ハルトたちは再び歩を進める。
黒羽が残した警告は、もはや不気味な噂ではない。
氷冥王の影は確かに南へと伸び、太陽の精霊ソルティアの炎さえ狙っている。
白い雪を踏みしめながら、ハルトは長剣を握りしめた。
その刃に映る微かな月影が、これから始まる戦いの厳しさを静かに告げていた。