南の森の囁き
深夜の冷気が肌を刺す。
ハルトたちは村娘ミアに導かれ、シャンナ村の外れへと向かっていた。
霧は濃く、足元の草木が白く凍えている。かすかな月明かりだけが、闇の森をかろうじて映していた。
村の外れ、小道が途切れた先には、森の入口が口を開けていた。
風が葉を揺らすたび、どこからともなく低い唄声が届く。
言葉ともつかぬ旋律は、不気味に途切れながらも確かに耳を打った。
「これが……三日前に聞いた歌声よ」
ミアが震える声でつぶやく。
その頬は青ざめ、手は外套の裾を強く握りしめていた。
リュシエルが足を止め、耳を澄ませる。
「……風に紛れているけど、確かに声だ。生き物の鳴き声ではない」
ガルドが大剣の柄に手をかけ、低く言う。
「黒羽の手の者か……」
リーナが矢をつがえ、周囲を警戒する。
「姿は見えない。でも、何かが私たちを試してる気がする」
セリスは星輪の杖を抱きしめる。微かな鈴音が、闇を切り裂くように響いた。
「……感じるわ。強い意志――誰かがこの森に、恐怖を留めている」
ハルトは仲間を見渡し、短く頷く。
「ここから先は俺たちだけで行こう。ミア、君は村へ戻ってくれ」
ミアは迷いながらも、強く唇を結び頷いた。
「……どうか、この森を解き放ってください」
その瞳には、恐怖を超えた祈りの光が宿っていた。
ハルトたちが森の奥へと足を踏み入れると、歌声は一層はっきりと響き始めた。
霧が濃く、木々の間から淡い光が揺らめく。
不意に、ハルトの視界を一枚の黒い羽根が横切った。
「羽根……」
ハルトが思わず手を伸ばすと、その羽根はまるで意志を持つかのように宙を舞い、奥へと誘うように進んでいく。
ガルドが低く息を吐く。
「誘っているのか……罠かもしれんが、行くしかないな」
リュシエルは風を纏い、鋭く答える。
「黒羽が残した道しるべ――本当の狙いを、確かめる必要があるわ」
森の奥へ進むたび、足元の落ち葉が凍りつくように白く変わっていく。
やがて、開けた小さな泉のほとりにたどり着いた。
月光が水面を淡く照らし、そこだけが静かに凍り付いていた。
その中央に、黒羽の紋章を刻んだ短剣が突き立てられている。
周囲には誰もいない。だが、背筋を撫でる冷たい視線だけが確かに感じられた。
「これは……挑発か」
ガルドが眉をひそめる。
セリスが杖を掲げ、鈴の音を響かせた。
その瞬間、凍った水面が微かに震え、闇の気配が霧の奥でざわめいた。
リュシエルが息を整え、短く告げる。
「……黒羽の者が、こちらを見ている。試されているわ」
ハルトは長剣を構え、仲間へ視線を送った。
「この森に隠れた黒羽の意図を――必ず暴き出す。油断するな」
夜風が泉を渡り、黒い羽根が一枚、静かにハルトの足元へ落ちた。
それは闇に潜む者たちからの無言の宣告のようだった。