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シャンナ村

 南へ続く街道を、冷たい風を受けながら一行は歩いていた。

 氷と雪に覆われたルクシードに比べればわずかに和らいだ空気が漂っているものの、息を吐けば白く凍る。

 丘陵には色を失った草原が広がり、低く垂れた雲が鈍い光を返していた。


 ガルドが肩に大剣をかけ、足を止める。

「この先にシャンナ村がある。補給と休息を兼ねて、今夜はそこで一泊しよう。次の街までは三日はかかる」


 リーナがほっと息をつき、白い息が空に消えた。

「ひさしぶりに屋根の下で眠れそうね。あの大聖堂の夜から、ずっと緊張しっぱなしだったもの」


 ハルトも苦笑して頷く。

「確かに……あの冷気の中じゃ、息をするのも忘れそうだった」


 リュシエルが前を歩きながら振り返る。

「ハルト、氷冥王の言葉……まだ気にしている?」


 ハルトは少しだけ視線を落とし、曇った空を見上げる。

「……ああ。『おまえが何者で、何を背負って生まれたのか』――あの言葉が何を意味するのか、まだわからない。だけど……不思議と、知りたい気持ちの方が強い」


 リュシエルは柔らかな微笑を浮かべ、頷いた。

「その答えは、あなた自身が見つけるもの。急がなくてもいいわ。私たちは仲間――どんな時も、一緒に歩いていく」


 セリスが星輪の杖を抱き、少しうつむいてから小さく息を吸う。

「……私も、怖かった。けど、みんなとなら前を向ける。ハルトも、一人じゃない」


 ハルトは微かに笑みを返し、仲間たちへ視線を巡らせた。

 その胸の奥に、確かな温もりが灯る。



 白い霧が薄くかかる頃、街道沿いに木造の家々が寄り添う小さな村が見えてきた。

 屋根や道端には霜が張り、吐く息が静かに夜気に混じる。

 人々が厚い外套を肩にかけ、早足で家路を急いでいた。


 その入口近く、掲示板に黒い羽根が一枚――冬風に揺れていた。


 ハルトは思わず足を止め、低くつぶやく。

「……黒羽、か」


 ガルドが険しい顔で羽根を見つめる。

「この村にまで痕跡を残しているとは……奴ら、動きが早い」


 リーナが眉を寄せる。

「警告……それとも挑発?」


 リュシエルは羽根をそっと摘み上げ、短く言った。

「わからない。でも、氷冥王の手が南の地にも伸びている証拠。気を引き締めましょう」


 セリスは星輪の杖を胸に抱え、微かに鳴る鈴のような響きを聞いた気がした。

 冬の夜気に混じるその澄んだ音は、彼女の決意をそっと確かめるようだった。



 南――ソルディア帝国の紅蓮の峡谷都市イグナリアへと続く道は、まだ長い。

 しかし黒羽の影は、既にこの地に及び始めていた。


 ハルトは剣を握り直し、仲間を見渡して小さく頷く。

「行こう。ここからが、俺たちの新たな戦いだ」


 蒼天の刃――五人の瞳が、曇天の彼方に続く南の道へと向けられた。

 氷冥王ヴァル=ノクトとの因縁、そして黒羽が潜む炎の都を目指して――

 彼らの旅路は、なお終わりを知らぬ冬の中を進んでいく。


 その夜、シャンナ村は早くも静寂に包まれていた。

 家々の窓から漏れる灯りは少なく、寒気に白く煙る通りを吹く風が、ひゅう、と音を立てて過ぎていく。


 ハルトたちは村の小さな宿に部屋を取り、簡素な夕食を終えた。

 卓上に置かれたランプの灯が、壁に揺れる影を長く伸ばしている。

 湯気の立つハーブ茶の香りが、わずかに凍えた体を解きほぐした。


「……村の人々、落ち着かない様子だったな」

 ガルドがカップを置き、低い声でつぶやく。

「黒羽の羽根を見た時も、妙に視線を逸らしていた。何か知っているかもしれん」


 リーナが頷き、眉を寄せる。

「でも、誰も口を開こうとしない。怖がってるんだわ。黒羽の名前を出すだけでも」


 リュシエルは窓の外に視線を送り、静かに言った。

「黒羽は、闇に潜みながら心を揺さぶる。噂や恐怖を利用して、人々を自ら黙らせる……それが奴らのやり口」


 セリスが星輪の杖を胸に抱え、かすかに眉を下げた。

「――なら、私たちがその恐怖を断たなければ」


 ハルトは仲間を見渡し、ゆっくり頷く。

「明日、村長に話を聞こう。きっと何かしら黒羽に関する動きがあるはずだ」


 その時、宿の扉が外から軽く叩かれた。

 コン、コン――控えめだが、緊張を帯びた音だった。


 ハルトが立ち上がり、扉を開けると、外套を深くかぶった若い女性が立っていた。

 冬の夜気に頬をわずかに染め、黒髪に霜の粒がきらりと光る。

 その瞳には、怯えと決意が入り混じった色が宿っていた。


「……旅の方々でしょうか」

 かすれた声でそう言うと、女性は一歩踏み入れ、周囲を確かめるように目を走らせた。

「この村に――黒い羽根を見た、と聞きました」


 ハルトは小さく頷き、椅子を勧める。

「ええ、村の入口で。何かご存じですか」


 女性はそっと外套を脱ぎ、胸に手を当てた。

 ランプの灯に照らされた顔には、まだあどけなさを残した整った輪郭と、真剣な光を宿した瞳があった。

「……三日前の夜です。南の森から、奇妙な歌声が響いてきました。

 月明かりの下で、黒い影がいくつも……あれは人ではないように見えました。

 そして翌朝、村の井戸のそばに黒い羽根が――」


 ガルドが眉をひそめる。

「襲われた者は?」


 女性は首を振る。

「いいえ、幸いにして被害はありません。ただ……あの歌声を聞いた子供が、翌日から熱を出して寝込んでいます。村人たちは口にしませんが……皆、黒羽の祟りだと恐れているのです」


 リュシエルが短く息を吸い、視線を鋭くした。

「黒羽が直接手を下さなくとも、人の心を恐怖で縛る。氷冥王の狙いはそこにあるかもしれないわ」


 セリスは杖を握り、わずかに鈴の音が鳴る。

「この村を、もうこれ以上……恐怖で縛らせない」


 女性は深々と頭を下げた。

「どうか……あの森に潜むものの正体を……」


 ハルトは剣の柄に手を添え、仲間へ目をやった。

「――夜明けを待たずに動こう。黒羽が残した痕跡が、森にあるかもしれない」


 リーナが弓を背に掛け、軽く息を吐いた。

「静かに動くなら、今のうちね。闇に紛れるならこちらも同じ」


 ガルドは大剣を背負い直し、低く応じる。

「森で何が待っていようと、退くつもりはない」


 リュシエルはランプの火を消しながら、短く言った。

「黒羽の影を、この目で確かめるわ」


 外はすでに深い夜。

 淡くかかった霧の向こう、南の森が静かに闇を湛え、彼らを待ち受けていた。



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