哀悼の祈り
大聖堂の夜はまだ終わっていなかった。
リュナの亡骸に白い霜が淡く積もり、静まり返った広間には、氷冥王が残した冷気だけが漂っている。
誰も言葉を発せず、ただ凍てつく空気の中で、自分の心音だけが耳に響いた。
やがて、ハルトは震える息を吐いた。
氷冥王が残した最後の一言――
いずれ思い出すだろう、ハルト。おまえが本当に何者で、何を背負って生まれたのかを――
その響きが、心の奥に冷たい棘のように刺さり続ける。
セリスがリュナのそばに膝をつき、そっとその瞼を閉じた。
「……最後に、微笑んでいた」
小さな声が震え、しかし涙はこぼれない。
彼女の指先は、かつて姉と呼んだ者の頬を静かに撫でていた。
リュシエルが長く息を吐き、蒼い瞳を細める。
「氷冥王……黒羽のすべてを操っていたのは、あの存在なのね」
ガルドが大剣を下ろし、拳を握りしめた。
「リュナは……ただの駒だったってわけか」
低く押し殺した声には、悔しさが滲む。
リーナが矢を収め、眉を寄せた。
「“秩序は崩れぬ”って……何を意味しているの?」
誰も答えられない。
ただ、氷冥王が残した蒼い余韻が、広間の壁を冷たく染めていた。
* * *
やがて、夜が明ける頃、白亜の大聖堂に朝の鐘が響いた。
その音は哀悼の祈りのように、街全体に静かに広がっていく。
聖王が護衛を伴い、広間へと現れた。
その瞳に宿る深い悲しみは、失われた神官を悼むと同時に、迫りくる新たな脅威を察しているかのようだった。
「氷冥王――ヴァル=ノクト。黒羽を束ねし真の主……」
聖王は低く名を口にした。
「大陸に再び、氷と闇の時代をもたらそうとしている。
我らの戦いは、まだ終わらぬ」
ハルトは剣を握る手に、無意識の力を込める。
胸の奥で、氷冥王の声が何度も反響していた。
――おまえが本当に何者で、何を背負って生まれたのかを――
その謎が、ハルトの心に新たな決意と、かすかな恐れを芽生えさせる。
セリスは、静かにハルトの隣に立った。
その横顔には、失ったものの痛みと、再び歩みだすための強い光が宿っていた。
「……行きましょう、ハルト」
セリスの声は、凛として揺るぎない。
「リュナの願いを無駄にしないために――私の旅は、ここからが始まり」
ハルトはゆっくり頷いた。
氷冥王の影が広がる大地を思いながら、彼は長剣を腰に収める。
その目は、もう迷いを映さなかった。
夜が明け、薄紅に染まる空の下。
光と闇の狭間で、彼らの新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていた。