黒羽の影、聖都を包む
夜半――。
光の国ルクシードを包む白亜の街は、深い眠りに沈んでいた。
けれど、その静寂を裂くように、冷たい風が一陣、街路を駆け抜ける。
風とともに、ひとひらの黒い羽根が石畳に舞い落ちた。
ハルトは寝所の窓辺で、不意に胸を刺すような寒気に目を覚ました。
外は雲に覆われ、月の光も届かない。
ただ遠くで、鐘楼がわずかに震えている――。
次の瞬間。
街の北方から響いた、低い咆哮が夜を裂いた。
「……黒羽だ!」
ハルトの叫びに、リュシエルとガルドが即座に反応する。
武具を掴み、寝所を飛び出した。
セリスは最後に現れ、静かに外套の留め具を結ぶ。
その紫水晶の瞳には、揺るぎない光と、どこか深い影が宿っていた。
⸻
聖堂前の広場に出ると、漆黒の空から無数の影が降り立った。
黒き外套を纏う異形の群れ――黒羽。
彼らの瞳は黄色く光り、月なき夜に怪しく揺らめく。
その中心から、低く囁く声が風に乗って響く。
――恐れよ、光の民。闇はすでに門を越えた。
不気味な声が重なり合い、広場全体が薄闇に染まった。
リュシエルが手を掲げる。
放たれた風刃が闇を裂き、最前列の黒羽を吹き飛ばす。
だが、残る影たちは怯むことなく再び刃を抜いた。
「数が多い……!」
リーナが息を呑み、矢をつがえる。
連射された矢が正確に影の心臓を貫くが、敵は苦悶の声もなく霧となって消える。
ガルドが大剣を構え、低く唸った。
「……実体を持たんのか。斬っても霧に化ける……厄介だな」
⸻
そのとき、セリスが一歩前へ進み出た。
両の掌を胸の前に掲げ、静かに詠唱を紡ぐ。
黄金の光輪が広場に現れ、瞬く間に夜を裂く。
眩い光が影を退け、黒羽たちはたじろいで後退した。
だが、その一角――闇の中心から、ひときわ濃い影がゆらりと現れる。
深くフードを被り、全身を闇に包んだ女。
その瞳は夜空を閉じ込めたように漆黒で、冷たい光を宿していた。
「……月影……!」
セリスの声が震え、空気が張り詰める。
女――月影リュナは、静かにフードを持ち上げる。
その唇がわずかに動き、風のように囁いた。
――セリス。まだ、光を信じているの?
甘く、それでいて鋭い刃のような声。
胸の奥に封じてきた過去が一瞬にして蘇る。
セリスは目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げた。
「リュナ……私は、あなたを止めるためにここへ来た」
月影はわずかに笑みを浮かべる。
その姿が黒い霧に溶け、静かに消えていく。
残されたのは、冷たい風と、舞い散る黒羽だけだった。
⸻
やがて静寂が戻り、広場には白い光がわずかに差し込む。
セリスは胸に手を当て、深く息を吐いた。
ハルトがそっと近づき、低く問う。
「……彼女が、黒羽の幹部なのか?」
セリスは小さく頷いた。
「闇に堕ちた元神官――月影リュナ。
この光の国を覆う闇を、彼女が導いている」
リュシエルが風を鎮め、静かに仲間たちを見渡す。
「もう、避けられないわね……」
ガルドが大剣を肩に担ぎ、低く笑った。
「なら――奴らを狩るまでだ」
夜空の雲が切れ、月が顔を出す。
その淡い光が白亜の大聖堂を照らし出し、
ハルトたちの影を長く伸ばしていった。
――月影リュナとの決戦が、いよいよ始まろうとしている。