鐘の音
ルクシードの大聖堂にたどり着いたハルトたちを待っていたのは、ただの歓迎ではなかった。
黒羽の噂と不穏な鐘の響き――セリスが故郷に戻るその時、かつて共に学んだ友リュナの影が、光の国を揺るがす試練の始まりを告げていた。
白亜の大聖堂が空を貫くようにそびえ立つ。
ハルトたちはその荘厳な姿を前に、言葉を失ったまま歩を進めていた。
近づくにつれ、清浄な空気の奥に、かすかに焦げた金属の匂いが混じる。
「……歓迎の匂いじゃない」
ガルドが低く呟き、大剣の柄に手を置いた。
やがて大理石の石畳を踏みしめる音が、白い回廊に反響する。
修道士たちのざわめきが耳に届いた。
「北門に黒羽の影が……」「昨夜、月に囁く声を聞いた……」
途切れ途切れの声が風に溶け、不安が街全体を包んでいるのが分かる。
セリスは胸の奥で深く息を吸い、紫水晶の瞳を真っすぐ大聖堂へ向けた。
「急ぎましょう。聖王陛下に報せなければ」
⸻
天を衝く二枚の白銀の扉。
その前で、白衣の神官たちが慌ただしく出入りしていた。
セリスの姿を見つけた若い神官が、息を呑んで駆け寄る。
「……セリス様! 本当にお戻りに!」
その声には安堵と、隠しきれぬ恐怖が入り混じっていた。
「聖王陛下は?」
「中央広間でお待ちです。ですが――」
その言葉を遮るように、鐘が鳴り響いた。
低く、鈍く、しかしどこか呼び寄せるような不気味な響き。
まるで、神々ではなく“何か別のもの”を呼び覚ましているかのようだった。
リュシエルが眉をひそめる。
「この響き……魔力が混じってる。聖堂の鐘じゃないわ」
セリスは瞳を細め、静かに頷いた。
「……“月影”の干渉かもしれません。皆、警戒を」
⸻
長く続く白亜の回廊を抜けると、眩い光が広間を満たしていた。
高窓から射し込む陽光が床の神紋を照らし、石像の神々が無言で見下ろしている。
その中心――
白金の王冠を戴き、長衣をまとった男がゆるやかに振り向いた。
威厳と慈愛を併せ持つその眼差しは、まさしく光の国の守護者、聖王ルクシード。
「……セリス、よく戻った」
低く響く声が、聖域の空気を震わせた。
セリスは膝を折り、深く頭を垂れる。
「聖王陛下、黒羽――そして“月影”がこの地に迫っています」
聖王は穏やかに頷き、ハルトたちへと視線を向けた。
「我らも感じておる。鐘の音に混じる囁きは、かつて神を讃えた祈りの反響。
だが今は、闇に染まり歪んでいる……」
ハルトは思わず息を呑んだ。
遺跡で聞いたあの冷たい囁きが、耳の奥で再び蠢く。
「おそらく――これは試練だ」
聖王の声が静かに響く。だが、その一言が広間全体を支配した。
「セリス、そして旅の者たちよ。
お前たちがこの闇を祓う力を持つか、神々は見極めようとしている」
セリスはゆっくりと立ち上がり、瞳に光を宿す。
「……ならば応えます。リュナに、そして自分自身に。
逃げてきた過去を、今度こそ断ち切るために」
その言葉に、ハルトたち全員が静かに頷いた。
鐘が再び鳴り響き、白亜の壁が淡く振動する。
それは――光と闇の狭間で鳴り渡る、試練の鐘。
大聖堂の空気が張りつめ、世界が次の章を告げるように震えた。
新たな戦いが、今まさに幕を開ける。
お読みいただきありがとうございます。
今回は光の国ルクシード編の導入として、聖王との対面と不吉な鐘の響きを描きました。
黒羽に属する“月影”リュナの存在がついに聖都を脅かし始め、ハルトたちは大聖堂での修練と試練に挑むことになります。
次回は、彼らが聖王の導きのもとで力を磨き、新たな一歩を踏み出す姿をお届けします。
これからの展開もぜひお楽しみに。