古遺跡に漂う影
古き塔に残る闇の気配を追い、ハルトたちはついにその影を目撃する。
霧に浮かんだ黒い瞳――かつてセリスが姉と慕った人物、月影リュナ。
胸の奥に去来する痛みと決意が、仲間たちを次なる戦いへと導いていく。
薄暮の空を仰ぐと、灰色の雲が古い塔の残骸を覆い隠していた。
ハルトたちは苔むした階段を踏みしめながら、黒羽の痕跡を追って遺跡の奥へ進む。
壁に刻まれた古代文字はほとんど風化し、かろうじて残る線がかつての栄華を物語っていた。
セリスが立ち止まり、紫水晶の瞳を細める。
「……ここ。魔力の流れが異様に濃い。黒羽だけじゃない……もっと大きな力が動いてる」 薄暮の空を仰げば、灰色の雲がゆるやかに流れ、崩れかけた古塔を静かに包み込んでいた。
その影は、まるで過去の罪を覆い隠すようにも見える。
ハルトたちは苔むした階段を登り、黒羽の痕跡を追って遺跡の奥へと進んでいた。
壁にはかつての聖印と古代文字が刻まれていたが、そのほとんどは風化し、指でなぞれば砂のように崩れ落ちていく。
それでも、微かに残る祈りの文様が、この地がかつて“聖域”と呼ばれていたことを語っていた。
「……ここね」
セリスが足を止め、紫水晶の瞳を細める。
彼女の声は低く、しかし震えるような確信を帯びていた。
「魔力の流れが……歪んでる。黒羽だけじゃない、もっと深い力が動いてる」
リュシエルが風の流れを読むように目を閉じ、わずかに顔をしかめた。
「この空気……普通の魔獣じゃない。魔そのものが“意志”を持ってる」
ガルドが大剣を構え、周囲を見渡す。
重い空気が肌を刺し、遠くで何かが軋む音が響いた。
――氷を擦るような、冷たい音。
その瞬間、白く濃い霧が一気に広がった。
世界が白と灰に塗り替えられ、視界が奪われる。
「構えろ!」
ガルドの声が反響する。
だが、何かが応えるように、霧の奥で淡い影が揺れた。
人の形をしている。
けれど、その輪郭は揺らめき、まるで現実と幻の狭間に存在しているかのようだった。
深いフードに覆われたその影は、ただ静かにこちらを見つめる。
見えるのは、闇よりも深い黒――夜の底を閉じ込めたような瞳だけ。
セリスの唇がわずかに震える。
「……まさか……」
そして、その名を、息のように零した。
「――月影……!」
影は何も言わない。
ただ、霧の中で一度だけ手を伸ばすように動き、すぐに霧と共に掻き消えた。
残されたのは、一枚の羽根。
光を吸い込むように黒く、縁が淡く紫に輝いている。
ハルトが一歩踏み出す。
「今の……黒羽の幹部か?」
セリスはゆっくりその羽根を拾い上げた。
指先で触れた瞬間、微かな氷のような冷たさが走る。
彼女は目を伏せ、静かに言った。
「――“月影”リュナ。
かつて、ルクシードの大聖堂で共に祈りを捧げた人。
……そして、光を捨て、闇の道を選んだ元神官」
紫水晶の瞳が揺れる。
その奥に宿るのは怒りではなく、喪失の痛み。
リュシエルがそっと問いかける。
「あなた……知っていたのね。彼女のことを」
セリスは小さく頷く。
「姉のような人だった。私がまだ何も知らなかった頃、魔法も祈りも、全部彼女が教えてくれた。
でも……ある日、女神の光に疑問を抱いた彼女は、真逆の“闇”に救いを見いだしてしまったの」
沈黙が落ちる。
崩れた塔の隙間から、冷たい風が吹き抜けた。
ハルトは長剣の柄を握り、静かに言葉を紡ぐ。
「……彼女が敵として立ちはだかるなら、避けては通れない」
セリスは苦しげに瞼を閉じ、そして小さく頷いた。
その表情は、祈りにも似た決意を帯びていた。
「ええ……けれど、できるなら――もう一度だけ、話したい」
遠く、霧の向こうに尖塔の影が見える。
朽ちた聖域のさらに奥、月光に照らされた大聖堂が静かに立っていた。
そこが、彼女たちが再び相まみえる場所――
そして、“月影”の真意が明かされる場所でもあった。
彼女の声は低く、しかし確かな震えを帯びていた。
リュシエルが風を探るように目を閉じ、首を振る。
「この空気……ただの魔獣の気配じゃない」
その時――。
廃墟の奥から、氷を擦るような音が響いた。
白く濃い霧がゆっくりと広がり、視界が一瞬にして曇る。
霧の向こうに、淡い影がゆらりと立っていた。
人の形をしている。
しかし、顔は深いフードに覆われ、ただ瞳だけが夜空のように漆黒に光っていた。
「――月影……!」
セリスがかすれた声を漏らした。
その指先がわずかに震える。
影は何も言わない。
霧に溶けるように一歩退き、やがて静かに消え去った。
ただその場に残されたのは、淡く闇を帯びた羽根が一枚。
ガルドが大剣を構えたまま低く唸る。
「……今のが、黒羽の主か」
セリスは羽根を拾い、紫水晶の瞳で見つめた。
「……月影リュナ。大聖堂で共に学び、そして闇へ堕ちた元神官。
まさか本当にここに現れるなんて……」
その声には怒りよりも深い悲痛が滲んでいた。
リュシエルが静かにハルトを見やる。
「彼女……あなたの知り合いなの?」
セリスはゆっくり頷く。
「かつて、姉のように慕った人。
けれど神々の光を疑い、禁忌の闇を選んだ……」
紫水晶の瞳に揺れるのは、過去の痛みと今も消えぬ悔恨だった。
ハルトはその視線を受け止め、長剣を握り直した。
「なら――このままにはしておけない」
その言葉に、セリスはかすかに唇を引き結ぶ。
霧が再び風に流され、崩れた塔の向こうに大聖堂の尖塔が遠く影を落としていた。
そこが、これからの戦いの舞台であるかのように――。
ご覧いただきありがとうございます。
今回はセリスの過去と、闇に堕ちた元神官リュナとの因縁が明かされました。
ハルトたちにとっても、物語にとっても大きな転換点となる一話だったと思います。
次回からは大聖堂を舞台に、それぞれが力を高める修練の物語へと進んでいきます。
彼らの成長と、リュナとの対決にご期待ください。