月影
黒羽の気配を追い、濃霧に覆われた東の森へ踏み入るハルトたち。
その奥で待ち受けていたのは、黒羽の眷属と、闇より深い囁き――“月影”の影だった。
新たな脅威の気配が、彼らの胸に静かに忍び寄る。
東の森は、夜明けを告げる鳥の声も届かぬほど、濃い霧に閉ざされていた。
ハルトたちはセリスの先導で、黒羽が現れたという森の奥へと進んでいく。
湿った土の匂いが鼻を刺し、枝葉が揺れるたび、どこかから低く唸るような風が吹き抜ける。
「……ここから先、魔力の流れが乱れている」
セリスが足を止め、紫水晶の瞳を細めた。
その声は張りつめ、周囲の空気までひやりと凍らせる。
ハルトは長剣を握り直し、リュシエルが風の流れを探る。
その時、リーナが矢をつがえながら小さく息を呑んだ。
「――来る!」
霧を裂くように、漆黒の獣が三体、同時に飛び出した。
鴉の翼を背に持つ四足の魔獣――黒羽の眷属か。
黄色に光る瞳が、月光も届かぬ森で妖しく輝いた。
ガルドが大剣を構え、低く吠える。
「散開しろ! 一体ずつ叩く!」
リュシエルが風刃を放ち、一体の進路を逸らす。
ガルドの剣が唸りを上げ、黒い翼を切り裂いた。
しかし残る二体が霧を纏い、影のように姿を消す。
「見失った……!」リーナが周囲を探る。
次の瞬間、背後から不意の衝撃。
ハルトは反射的に長剣を振り上げ、闇から飛びかかる牙を弾いた。
金属が火花を散らし、霧に赤い閃光が走る。
セリスが素早く詠唱を紡ぐ。
「――《焔鎖》!」
桃色の髪が舞い、紫水晶の瞳が一瞬だけ強く光った。
燃え上がる魔法の鎖が黒い獣を絡め取り、耳を裂く悲鳴が森に響いた。
リュシエルの風刃がすかさずその首を薙ぎ、黒羽の眷属は塵となって霧に消えた。
残る一体が上空へ逃れようと羽ばたいたその時、ハルトは全身の力を込めて跳ぶ。
白光を帯びた長剣が一閃し、黒い翼を貫いた。
墜落した獣は、ガルドの大剣でとどめを刺された。
――森に、再び重い沈黙が落ちた。
セリスが息を整え、指先をわずかに震わせた。
「……やはり、黒羽の気配。けれど――」
その言葉は途中で途切れた。
紫水晶の瞳が、霧の奥の闇を凝視する。
風が一瞬止まった。
次いで、誰も聞いたことのない低く冷たい囁きが、森全体を撫でるように流れた。
――闇は光よりも深く――。
リュシエルが眉をひそめ、周囲を見渡す。
「今の……声? 誰もいないのに」
セリスの顔色が、見る間に蒼ざめていった。
唇がかすかに震える。
「……あの言葉……まさか……」
ガルドが低く問いかける。
「知っているのか?」
セリスは視線を落とし、拳を握りしめた。
「……“月影”――闇に身を落とした者の呼び名。
その囁きと同じ気配……間違いない」
ハルトは言葉を失った。
森を満たす薄闇が、今にも形を成して襲いかかるかのように息を潜める。
セリスは短く息を吸い、顔を上げた。
「黒羽の背後に……“月影”がいる。
この森だけの問題じゃないかもしれない」
ハルトは長剣を握り直し、仲間たちに視線を送る。
リュシエルが静かに頷き、ガルドも低く唸る。
霧深き森の奥に潜む、新たな脅威。
“月影”――その名が、ハルトたちの次なる試練を暗く告げていた。
黒羽との戦いは一歩ずつ核心に近づいています。
今回ついに“月影”という存在が言葉として現れました。
セリスの反応からも、その存在がただの噂ではないことがうかがえます。
次回はその“月影”がどんな意味を持つのか、さらに深く掘り下げていく予定です。