白花に揺れる記憶
白花の草原に辿り着いたハルトとリュシエル。
母の面影とともにリュシエルが胸に秘めてきた真実が、静かに語られます。
正午を少し過ぎた頃、二人は白花の草原へとたどり着いた。
空はどこまでも澄み渡り、陽光を受けた無数の白花が、風の流れに合わせて一斉に揺れる。
その光景はまるで、地平の果てまで続く白い波の海のようだった。
ハルトは一歩、草原に足を踏み入れ、思わず息を呑んだ。
――あの日も、同じ風が吹いていた。
初めてリュシエルと出会ったこの場所。
けれど今、彼女の佇む姿が、その記憶を新しい色に染めていく。
リュシエルは白い風に髪をなびかせながら、ゆっくりと歩みを進めていた。
足元で花々が小さく揺れ、彼女の歩いた跡に光の粒がこぼれていくようだった。
「母と、よくここに来たの。」
その声は、春の風よりも柔らかく響いた。
「小さい頃、ここで花を編んでくれたの。……最後に出かけたのも、この場所だった。」
ハルトは言葉を探せず、ただその背中を見つめていた。
リュシエルは腰に下げた短剣へそっと手を伸ばした。
陽光を受けた刃が、まるで白花の露のように淡くきらめく。
「この短剣は、母の形見なの。」
彼女の声が、かすかに揺れる。
「母はいつもこの剣を傍らに置いていた。……あの日、わたしに託して――そして、戻らなかった。」
風が、静かに吹き抜けた。
草原の花々が波のように揺れ、遠くで鳥の影が白い空を横切る。
「『白氷』クロード。」
リュシエルはその名を吐き出すように言った。
「母を奪った、黒羽の一人。……あの冷たい瞳も、あの夜の匂いも、ずっと忘れられない。」
ハルトは言葉を挟まず、ただ彼女の隣に立った。
そっと手を伸ばし、その肩に触れる。
リュシエルは一瞬だけ瞳を閉じ、微かに息を整えた。
「怖いわけじゃないの。」
彼女の声は穏やかで、それでいて芯が強い。
「ただ……もう一度、ここで母の想いを確かめたかったの。
黒羽と戦う前に、自分の心を揺らぎのないものにしたくて。」
白花の草原に吹く風が、二人の間を優しく通り抜けていく。
陽光に照らされた短剣の刃が、淡い光を返した。
それはまるで――過去と未来をつなぐ道標のように。
ハルトはその光を見つめながら、静かに思う。
彼女の戦いは、復讐ではない。
母の祈りを継ぎ、女神の光を再び照らすための道なのだ、と。
そして彼自身もまた、忘れられた記憶の奥で何かが目覚めようとしている。
風が頬をなでるたび、心の奥で小さなざわめきが広がっていく――。