村への道、そして盗まれた荷物
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記憶を失ったハルトと銀紫髪の少女は、白花の草原を抜けて初めて人の暮らす村へと向かいます。
しかし、安堵の先に待っていたのは思わぬ出来事――。
村で起こる小さな騒動が、二人の旅路に新たな影を落としていきます。
それでは第二話、どうぞお楽しみください。
夜明けとともに、白花の草原は淡い光の粒を散らして目覚めた。
女神の残した光の残滓――空に瞬く無数の光が、薄明の空へと溶けていく。
焚き火の灰を払いながら、銀紫髪の少女が軽く伸びをした。
「よく眠れた?」
柔らかな声に、ハルトは眠気を含んだ返事を返す。
「……ああ。君のおかげで。」
二人は支度を整え、村へ続く道を歩き出した。
白花の草原を抜けると、道はやがて灰色の薄明に沈む荒野へと変わる。
女神の加護が届かぬ土地は、どこまでも寒々しい。
小川を渡り、丘を越えると、遠くに木柵で囲まれた小さな村が見えた。
煙突から上る薄煙と、焼きたてのパンの香り。
冷たい風の中で、それはどこか懐かしく、温もりを感じさせた。
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柵門をくぐると、家々の窓から灯る明かりが朝靄に滲む。
「まずは宿を取りましょう。」
「でも、俺……金なんて持ってない。」
「心配いらないわ。あなたが手ぶらなのはわかってる。女神に仕える者として、困っている人を放っておけないの。」
宿の扉を開けると、木の香りと人々のざわめきが温かく迎えた。
だが、受付前でリュシエルの手が止まる。
「……ない。」
「どうした?」
「財布が……さっきまで確かにあったのに。」
その時、床に黒い羽根が一枚、ひらりと舞い落ちた。
ハルトはそれを拾い上げ、眉をひそめる。
「……さっき通りで見た黒い影、あれか?」
リュシエルは息を呑み、蒼い瞳を見開いた。
「……盗まれたんだわ。」
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受付の女性が気遣うように声をかける。
「お部屋はどうします?」
「……俺は野宿でも――」
「だめよ!」
リュシエルは鋭く遮った。
「装備もない状態で外に出るのは危険。〈護り香〉も残り少ないし、夜の森では魔物が動くわ。」
彼女は小さな革袋を取り出し、中の硬貨を確かめる。
「非常用に少しだけ残しておいたお金がある。一部屋だけならなんとかなるわ。」
受付の女性が鍵を渡し、ようやく一息つくことができた。
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部屋で荷を下ろした後、二人は階下の酒場でシチューとパンを頼んだ。
香ばしい匂いが、冷えた身体をじんわりと温める。
ふと、奥のテーブルから話し声が聞こえた。
「また出たらしいぜ、“黒羽”の連中。街の近くにも現れたってさ。」
「女や子どもでも容赦ねぇって話だ。あいつらは悪魔の使いだよ。」
ハルトが黒い羽根を見つめる。リュシエルは静かに頷いた。
「……間違いないわ。黒羽――“氷冥王ヴェル=ノクト”の配下。
現れる場所には必ず黒い羽根を残す。暗殺、略奪、情報操作……。
女神の加護を蝕む、闇の眷属よ。」
その声に、いつもの穏やかさはなかった。
青い瞳に映る光は、冷たい怒りを帯びていた。
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「……俺に、何かできることはないか?」
ハルトが拳を握る。
「出会ってから君に頼りっぱなしだ。このままじゃ情けない。」
「そうね……」
リュシエルは少し考え、ふっと表情を和らげた。
「それなら――冒険者ギルドに入りましょう。」
「ギルド?」
「討伐や護衛、採取などの依頼を仲介する組織よ。
報酬も得られるし、冒険者証は身分証にもなる。あなたの記憶の手掛かりも見つかるかもしれない。」
「……なるほど。お金も必要だし、恩も返したい。」
「決まりね。明日、登録に行きましょう。」
リュシエルは微笑む。その微笑みは春の陽のようにやさしかった。
「改めて、私はリュシエル。」
「ハルトだ。よろしく。」
二人の視線が交わる。
その瞬間、彼の胸に、かすかな光が宿った。
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――その会話を、酒場の片隅で一人の少女が静かに聞いていた。
フードの陰から覗く金の髪が、ランプの光に淡く揺れる。
ハーフエルフの耳先が、わずかに震えた。
指先がマントの裾を握りしめ、唇がかすかに動く。
「……黒羽。」
その瞳に一瞬、影が落ちた。
運命の糸が、音もなく動き出していた。