霧の囁き
モルネを目前にした四人を襲う、霧に紛れた黒羽の獣。
戦いの果てに残された青白い燐光――それは新たな脅威の始まりだった。
モルネの外れへと近づくにつれ、森はまるで息を潜めるように静まり返っていた。
灰色の霧が地を這い、枝の合間を縫ってゆらめく。
風の音すら消え、聞こえるのは自分たちの足音と、落ち葉を踏むわずかな擦過音だけ。
先頭のガルドが、ふいに片手を上げた。
止まれ――その仕草ひとつで、空気が張り詰める。
「……何かいる。」
低く押し殺した声に、ハルトの心臓が一拍早く鳴った。
無意識に長剣を抜く。刃が霧の光をわずかに反射する。
リュシエルは短剣に指を添え、リーナは静かに弓弦を引き絞った。
――チリッ。
霧の奥から、細い金属音。
直後、喉の奥で響くような低い唸り声が森を震わせた。
ガルドがわずかに腰を落とした瞬間、霧を切り裂いて黒い影が飛び出す。
シェイドウルフ。だが以前とは違う。
全身を覆う黒い毛並みは艶を失い、どこか“濡れている”ように見える。
その瞳は、青白く光っていた。
「構えろ!」
ハルトが叫ぶと同時に、一匹が正面から襲いかかってきた。
牙が閃き、土が爆ぜる。
ハルトは反射的に剣を振り上げ、受け止める。金属が軋む音が響き、腕が痺れる。
それでも足はぶれず、横薙ぎの一撃で獣を押し返した。
「右、もう一体!」
リーナの叫び。彼女は体をひねりながら矢を放つ。
弦の音が鋭く走り、矢は獣の肩口に深々と突き刺さった。
短い悲鳴が霧に吸い込まれ、血の臭いが広がる。
左からもう一匹――リュシエルが踏み込み、短剣が白く閃いた。
刃が風を切り、淡い光の軌跡を残す。
「女神よ――」
その祈りと同時に、斬られた獣の身体が光に焼かれるように崩れ落ちた。
残る一匹がガルドへ突進する。
だが、大剣が振り抜かれた瞬間、重い風圧が生まれた。
鋼と肉がぶつかる鈍い音。獣は吹き飛び、倒木に叩きつけられる。
静寂が戻る。
血の匂いと霧が混ざり合い、世界がゆっくりと凍りつくようだった。
ハルトは息を整えながら、地に沈んだ黒い血を見つめた。
その中で、青白い光が――“瞬いた”。
「これ……昨日、見た焦げ跡の光と同じ……」
リーナが低く呟く。声が微かに震えている。
ガルドは無言で膝をつき、指先で光を確かめた。
「……間違いない。碧刃が動いている。」
その名が口にされた瞬間、霧がざわりと揺れた気がした。
リュシエルの短剣が淡く光り、彼女は小さく息を吐く。
「黒羽は、ただの盗賊団じゃない……やっぱり。」
ハルトは青白い残光を見つめ、胸の奥が冷たく締め付けられるのを感じた。
剣を握る手がわずかに震える。
見えない何か――“意志のようなもの”が、この霧の奥で息をしている。
誰もが言葉を失ったまま、再び歩き出す。
霧が濃くなり、視界が狭まる。
そしてその向こうで、何かが――確かに“待っている”気配がした。
黒羽の異形の獣と、青白く光る血痕。
ガルドが口にした「碧刃」の名が、次なる不安を呼び起こします。
彼の過去と黒羽の幹部、その因縁が物語をさらに深く揺さぶっていくでしょう。