鍛錬の刃
黒羽の羽根がもたらした不穏な気配――
ハルトは胸に残るざわめきを確かめるように、蒼風ギルドの訓練場へ。
そこで待っていたのは、ガルドとの真剣な手合わせだった。
そしてリュシエルが帯びる「女神の刃」が、淡い光を放つ。
翌刻。
蒼風ギルドの訓練場には、薄い灰の霧が漂っていた。
大霊灯の淡い光が高い石壁をかすかに照らし、湿った土の広場に柔らかな陰影を落としている。
木製の囲いの内側では、数人の冒険者たちが剣を交え、朝の冷気を震わせていた。
ハルトは長剣を軽く振り、白い息を吐く。
昨夜見た黒羽の印――あの不穏な輝きが、まだ胸の奥に刺さっていた。
あれが何を示すのか、確かめたい。
その想いが、無意識に剣を握る手へと力を宿す。
「剣を握る手が硬いな。昨夜の羽根のせいか。」
背後から低い声がした。
振り向けば、淡光を受けた赤銅の髪がわずかに揺れ、ガルドが立っていた。
琥珀色の瞳が、鋭さの奥にわずかな温かみを宿している。
「……まあな。」
ハルトは息を吐き、剣を下ろす。
「剣を振るうと、胸の奥がざわつくんだ。理由もわからずに。」
ガルドは短く頷き、背中の大剣を静かに抜いた。
金属が低く響き、訓練場の空気が張り詰める。
「なら、確かめてみろ。体が覚えているものを――俺と手合わせだ。」
その言葉と同時に、踏み込み。
大剣が風を裂き、唸りを上げて振り下ろされた。
重い衝撃。だが、ハルトの体は考えるよりも先に動いていた。
長剣を滑らせ、受け流し、半歩で回避。
土煙の中、自然な体勢で切り返す。
その動きは、まるで呼吸のようだった。
無駄がなく、淀みがない――まるで長年の修練を積んだ剣士のように。
「……初陣の剣じゃないな。」
ガルドの口元がわずかにほころぶ。
再び大剣が迫り、衝撃が交錯する。
刃と刃がぶつかるたび、冷たい音が霧の中に弾けた。
腕はしびれても、足は揺るがない。
受け、流し、返す。まるで体が剣そのものになったようだった。
やがて、ガルドが剣を引いた。
息を吐き、静かに問いかける。
「……どこでその剣を学んだ?」
ハルトは答えられなかった。
胸の奥で何かがざわめき、遠い記憶の断片がかすかに声を上げる。
けれど、それは掴もうとすれば霧のように溶けていく。
その時、訓練場の外から柔らかな足音が近づいた。
リュシエルが柵を越えて歩み寄る。
腰に帯びた短剣――女神の刃が、霧の光を受けてかすかにきらめいた。
「ハルト……今の動き、記憶をなくした人の剣じゃないわ。」
蒼い瞳がまっすぐにハルトを射抜く。
その視線に、彼は思わず息を呑んだ。
腰の刃が、まるで彼の中に眠る何かと呼応するように、淡く光を放つ。
「その剣……特別なものなのか?」
ハルトは彼女の短剣に目を向けた。
リュシエルは短く息を整え、そっと鞘に触れる。
「これは――女神ルミナの遺した刃。
今はまだ、詳しく話せないけれど……いつか話すわ。」
淡い光が静かに消え、霧に溶けていく。
沈黙が訓練場を包み、ただ風の音だけが響いた。
ガルドが近づき、ハルトの肩に手を置く。
「記憶がなくとも、体は嘘をつかない。お前の剣は、すでに本物の域にある。」
その言葉に、ハルトは小さく頷いた。
胸の奥で、眠っていた何かが脈を打つ。
黒羽の羽根、女神の刃――そして、自分の剣。
それらが一本の線で結ばれていくような、そんな予感があった。
霧がゆるやかに晴れていく中、
ハルトは静かに剣を見つめた。
――この剣が導く先に、きっと真実がある。
そう信じられるほど、今の一太刀は確かだった。
読んでいただきありがとうございます。
今回はハルトの「剣士としての素質」と、リュシエルが持つ女神の刃〈ルミナスブレード〉に初めて触れる回となりました。
失われた記憶と黒羽の影、この二つが少しずつ交差していきます。
次回もぜひお楽しみに。
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