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第6話

 翌朝、書斎――。


「それで? 結局、朝まで一睡もしなかったんですか」


「……」


 二十代後半の青年がつややかな藍色の髪を揺らして机に突っ伏しているクレイズを見下ろした。切れ長の目元にも、薄い唇にも、小馬鹿にしたような表情が浮かんでいる。

 イデア・デュラハン――ナイトメア家に仕える領主補佐であり、クレイズのお目付け役兼兄的存在だ。

 いつもはクレイズに振り回される側になることが多いデュラハンだが――。


「ああ、しなかったのではなく、できなかったんですね。失礼しました、クレイズ様」


 今日はここぞとばかりに鼻で笑う。


「余計な訂正は入れなくてよい!」


 ガバッと顔をあげたクレイズの目の下には大きなくまができている。それを見てデュラハンはまた鼻で笑った。


「女性と、それも小さな子供と同じベッドでたかだか一晩を過ごした程度でそのざまとは。お子ちゃまですか、あなたは。あぁ~、紛れもなくお子ちゃまでしたね。これまた失礼しました、クレイズ様」


「……お前、よくもそこまでわざとらしく神経に障る喋り方ができるな」


 大仰な身振り手振り付きで馬鹿にしてくるデュラハンをクレイズは奥歯をギリギリと噛みしめて睨みつけた。だけど、デュラハンは澄ました顔のまま。


「ナイトメア領の領主補佐としては当然のこと。相手の懐に入り込むことも神経を逆撫でることも自由自在でなければ交渉事は務まりません」


「性格が悪くなければ、の間違いだろ」


「その老け顔を見ているとついつい忘れてしまうのですが……そうでした、そうでした。あなたくらいの年齢であれば女性慣れしていなくてもおかしくありません」


「無視か! 私の嫌味は無視か!」


「私が同じ年の頃にはもう少しマシなエスコートができましたが、まあ、クレイズ様ですしね。仕方がない、仕方がない」


 主人であるクレイズに睨まれてもなんのその。気にするどころか畳みかけるデュラハンにクレイズはついに唇を尖らせてそっぽを向いた。

 デュラハンもからかい過ぎたと思ったのか、くすりと笑って咳払いを一つ。後ろ手に手を組んだ。


「大人ぶって女慣れしている風を装うからそういう目に遭うんですよ。痛い目に遭いたくなかったら身の丈に合った行動を心がけることですね」


「からかうのをやめたかと思ったら次は説教か」


 ため息混じりにぼやいてクレイズは革張りのイスから立ち上がった。

 書類仕事のために使っているあまり広くない書斎だ。壁にはびっしりと本棚が並んでいる。歴代の領主も使ってきた年季の入った机を撫でてクレイズは窓の外に目を向けた。真っ青な空には虹色に輝く雲が浮かんでいた。

 見慣れたこの世界の空。いつも通りのナイトメア領の空だ。


 ただ一つ。

 空の一点に白く淡い光を放つ穴が開いていることをのぞいては――。


 白い穴が開いたのは一週間前のことだ。穴の奥では赤色の小さな光が明滅している。まるで真っ赤な目を持つ毒竜がゆっくりとまばたきをしているようだ。

 だが、怖ろしいと言って目を背けるわけにもいかない。クレイズはこの地の領主なのだから。


「穴の様子は?」


「二時間おきに穴の大きさを測らせていますが今のところ変化はありません。あの娘のように何かが落ちてくるということもありません」


 デュラハンの少々、棘のある言い方にクレイズは顔をしかめる。そんなクレイズの横に立ち、デュラハンは同じように窓の外の白い穴を見上げた。


「あの穴についてもあの娘についてもわからないことばかりです。知っていることを洗いざらい、あの娘に話してもらうのが一番、早いのですが……」


 言葉を切ってデュラハンは睨むクレイズを静かに見返した。デュラハンの言葉にクレイズは小さく首を横に振る。


 一週間前に突然、現れた穴が危険なものなのか、害のないものなのか。現れたときと同様にある日、突然にふさがるのか、広がるのか。さまざまな噂が領内でも王都でも飛び交っている。

 しかし、有益で正確な情報は何一つない。ナイトメア領の領主としては早急に、少しでも多くの情報を得る必要がある。唯一の情報源とも言える穴から落ちてきた少女――志穂に対して徹底的な尋問を行うべき……ではあるのだが――。


「私たち、ナイトメアの一族は生まれて死ぬまで悪夢に悩まされる。安らかな眠りを得るため、不安を取り除くため、私たち一族は悪夢を現実のものにしないようにと努力し続ける」


 クレイズは白い穴と赤い光を睨みつけて言った。


「時には漠然とした、時には凄惨な夢と向き合い、分析し、行動し、対処してきた。父も、祖父も、歴代の当主も、我が親族の誰もがそうだ。その結果が広くもないし王都から離れてもいるが、土壌と天候に恵まれたこの土地の領主という地位だ」


 ナイトメア一族が見る悪夢は天啓や予知に似たたぐいのものと思われることが多いがそうではない。周囲の者たちの表情や大気、生き物たちの気配と言ったわずかな感覚から危険を察知する――あまりにも些細で見逃してしまいがちだが突き詰めれば根拠のある感覚から来る〝予測〟だ。

 だが、根拠があるからこそ受け止めるには強靭な精神が要求される。時には信じた者の裏切りや自分の非力さを直視しなければならない。悪夢を読み違えて回避できたはずの惨劇を回避し損ねるなんて最悪だ。


「だからこそ知っている。未熟な者や疲弊している者に悪夢と向き合えと言うのはあまりにもこくだ」


 低い声でそう言ってうつむくクレイズの横顔をデュラハンは黙って見つめる。


「穴から落ちてきた日、あの娘は怖ろしい悪夢を見続けているかのような顔をしていた。泣くことや怯えることすらやめ、すっかり感情を失くした顔をしていた。あの娘は疲弊している。今、〝悪夢〟と無理矢理に向き合わせたらあの娘の心は壊れてしまうかもしれない。壊れて……二度と戻らないかもしれない」


 唇を噛み、拳を握りしめるクレイズの横顔からデュラハンは目をそらすと窓の外の空を見上げた。クレイズが誰の顔を思い浮かべ、後悔しているかを領主補佐でお目付け役で兄的存在であるデュラハンはよくわかっているのだ。


「だから、もう少し。あの娘が〝悪夢〟と向き合えるようになるまで、もう少し、甘やかしてやりたいのだ」


 ようやく顔をあげると懇願するように見つめるクレイズにデュラハンはため息をついて肩をすくめた。

 そして――。


「ナイトメア領の領主補佐としては一刻も早く尋問を……と、言いたいところですが。そんなに真剣な顔で頼まれてはだめだとは言えませんね。同じ男として」


 そう言って微笑んだ。その表情は弟の成長に目を細める兄そのものだ。


「任せてください。王都からの矢のような催促は領主補佐である私が適当かつ鮮やかに受け流しておいて差し上げます。あなたはその老け顔を存分に活かして、せいぜい思い切りあの娘を甘やかして差し上げなさい。そして、とっとと話を聞ける状態にしてください。いいですね? 十六歳の、若き我らが領主様」


 澄ました顔で、しかし、どこか誇らしげに胸を張って言うデュラハンにクレイズは目を細めて頷いた。

 のだが――。


「ただし、寝不足は困ります。女性、それも小さな子供と添い寝するだけで緊張して寝れなくなるなんてお子ちゃまが過ぎます。昼寝の時間を取れるほどあなたは暇ではないんですよ」


「うぐ……っ」


 デュラハンに釘を刺されてクレイズは胸を押さえた。痛いところをついてくる。


「だが、そうは言っても……本当にそうなのか? 小さな子供なのか!?」


「何を言ってるんですか。どう見てもそうでしょう」


「いや、しかしだな……!」


 クレイズが最初に感じた通り、デュラハンやシルキーが言う通り、見た目通り、志穂は本当に十才かそこらの子供なのだろうか。

 昨夜の志穂の様子を思い返して――。


「取って食ってはならん……! 取って食ってはならんのだ……!」


 クレイズは真っ赤になった顔を両手で覆うと床をごろごろと転がりまわった。


「本当に何を言っているんですか、クレイズ様。まさか本気でそういう趣味が? 個人の趣味をとやかく言いたくはありませんが対象年齢が低いというのは褒められたものではありませんよ。倫理的、紳士的な距離感を心がけてくださいね」


 耳まで真っ赤にしてジタバタしているクレイズをデュラハンは軽蔑の眼差しで見下ろした。


「さあ、仕事に戻ってください。でかい図体でそんなところに転がっていられると邪魔です」


「ふがっ!?」


 床をごろごろ転がって悶絶するクレイズのお尻をデュラハンは何の躊躇もなく蹴飛ばしたのだった。


 ***


 幼い子供のように小さくて頼りなげな二十才のメイドと、大人ぶっている老け顔の十六才の領主。

 互いの年令について語るのも、誤解が解けるのもまだまだ先の話。


 今夜もメイドは領主の部屋を訪れ、領主に求められて語り、領主が望んだとおりに甘やかされて優しい夢を見る。

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