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第4話

「鬼ヶ島にたどり着くと鬼たちは酒盛りをしていました。桃太郎と犬、サル、キジは岩場に隠れて鬼たちが酔っ払うのを待ちました。そして、鬼たちがすっかり酔いつぶれてしまったのを見計らって襲い掛かり、鬼たちを退治しました。こうして桃太郎たちは鬼ヶ島に隠されていた宝物を持っておじいさんとおばあさんが待つ村へと帰りましたとさ。めでたし、めでたし」


 話し終えて、志穂は口をつぐんだ。クレイズも黙っている。しばらく、そうして気まずい沈黙が続いたあと――。


「おばあさんは……黒幕ではないのか?」


 クレイズが尋ねた。心なしか、声がしょんぼりしている気がする。


「もうしわけありません。子供向けのお話なので伏線や黒幕といった複雑な展開はなくて……」


「よ……よい、気にするな!」


 思わず謝るとクレイズはそっと志穂の背中を撫でた。でも、やっぱり声も背中を撫でる手もしょんぼりしている気がする。よほどおばあさんが黒幕という展開を楽しみにしていたのだろう。

 そんなに楽しみにしていたのならおばあさんが黒幕という展開に変えて話した方がよかっただろうか。でも、おばあさんを黒幕として再登場させたあとにつじつまを合わせ、きちんと物語を終わらせるなんて咄嗟とっさにできるほど志穂は器用でも想像力豊かでもない。

 うつむいて落ち込んでいた志穂は――。


「そういえば、志穂」


「……!」


 クレイズに名前を呼ばれてハッと顔をあげた。そんな志穂の視界をクレイズの大きな手が遮る。志穂の眉間にできた皺をぐりぐりと指で押したのだ。くすりと優し気な声で笑うのも聞こえた。気にするな、気に病む必要はない。そういう意味だろうと察して志穂は強張らせていた体の力を抜いた。


「鬼とはどのような姿をしているのだ。ニンゲンと……志穂と似たような姿をしているのか?」


 クレイズに尋ねられて志穂は首を傾げた。桃太郎の絵本に描かれていた鬼と言えば、確か――。


「姿形はヒトに近いのですが肌の色が赤色や青色をしています。あと額に角が生えていたり、鋭い爪が――」


「額に角、鋭い爪……もしや、紫色の肌をした鬼もいるのか?」


 クレイズに尋ねられて。志穂の眉間の皺をぐりぐりしていた手をクレイズが下ろすのを。目で追いかけて。その手の色と鋭い爪に気が付いて。

 志穂はゆっくりと顔をあげた。


「やっと私の顔を見たな、志穂」


 見上げたクレイズの肌は紫がかった白色をしていた。長く真っ直ぐな髪は光の加減で紫にも見える銀髪。瞳は紫紺。額からは志穂の親指ほどの長さの真っ白な、白磁のようにつるりとした角が二本、生えていた。

 ずっと、ずっと。この邸に来るよりも前から――研究室にいた頃からずっとうつむいて、何も、誰の顔も見ないようにしてきた。だから、気が付かなかったのだ。

 クレイズの姿はまるで――。


「なるほど、お前がいた世界では私のような姿は鬼と呼ばれるのか」


 そう言って志穂を見つめるクレイズは穏やかに微笑んでいた。怒っている様子も、気分を害している様子もない。

 だとしても――。


「……っ」


 志穂はクレイズの視線から逃れるようにうつむいて体を強張らせた。

 鬼に似た姿をしているクレイズに鬼が出てくる物語を。それも、よりにもよって鬼退治の物語を、どうして選んで話してしまったのか。シンデレラでも、浦島太郎でも、鶴の恩返しでも、他にいくらでも物語はあったというのに。


「安心せよ。お前を取って食うようなことはせん」


 体を固くする志穂を見て怯えているのだと思ったらしい。今まで以上に優しいクレイズの声に志穂はぶんぶんと首を横に振った。


「ち、違……!」


 そんな心配を――食べられてしまうかもしれないなんて心配をしているわけではない。ただ、クレイズを傷付けてしまったかもしれないことに、自分の配慮のなさに落ち込んでいるだけだ。

 再びうつむいて小さくなってしまった志穂を見てクレイズはどう思ったのか。あやすように志穂の背中をぽん、ぽん……と優しく叩いた。


「もし、私の容姿が怖いなら遠慮なく言うといい。仮面か、あるいは着ぐるみを用意させよう。メイド長のシルキーに頼めば半日とかからずに可愛らしい着ぐるみを作ってくれるぞ」


 目を細めてクレイズはいたずらっ子のように笑う。


「お前を知る者も、同族もいない世界に来て不安もあるだろう。だが、不安なことや困ったこと、怖いことがあれば私にでもシルキーにでも、邸の誰にでも構わない。遠慮などせず、なんでも言うといい。我らはお前のことを家族のように思って――」


「いいえ……!」


 穏やかに微笑んで話していたクレイズだったが志穂の否定の言葉に笑顔のまま固まった。ギシ、ギシ……と、軋んだ音がしそうなほどぎこちない動きで志穂に顔を向ける。


「そ、そうだな……家族というのはちょっと……いきなり図々しかった……」


「い、いいえ、そういうことではなく……!」


 ちょっと涙目になっているクレイズに志穂は慌てて首を横に振った。小さく、何度も。


「旦那様たちにはとても良くしてもらっています。不安や困り事なんてとんでもないです。まして怖いだなんてそんなこと……元いた世界にいたときの方が……人間の方が……」


 ヨホド、コワイ――。


 その言葉が声になることはなかった。


「……っ」


「志穂……?」


 腹と口を押えて志穂はベッドの上で体を丸めると小さくなった。


 あの研究所に捕らえられてすぐに見せられた光景を思い出す。

 降下してきた輪っか状の装置に父の頭だけが飲み込まれ、残された首から下の体がぐらりと傾いて筒状のケースに崩れかかった光景を。

 透明なケースに血がべったりとついて広がった光景を。


 思い出して、しまった――。


 目から涙が勝手にこぼれ落ちてきた。吐きそうになってなんとか堪えると口の中に酸っぱいものが広がった。叫びそうになったけれどお腹に力が入らなくて喉が笛のように鳴っただけだった。

 ずっと、ずっと、泣くことも吐くことも叫ぶこともなかったのに。感情なんて失くしてしまったものと思っていたのに。


「志穂!」


 クレイズに名前を呼ばれて志穂はハッと顔を上げた。見上げるとクレイズが心配そうに志穂の顔をのぞき込んでいた。紫色の肌と鋭い爪の大きな手が脂汗の浮かんだ志穂の額を優しく撫でる。紫紺の瞳は今にも泣き出してしまいそうに揺れていた。


 父と同じようにあの装置に入ったらあとは死ぬだけだと思っていた。誰かが助けてくれるなんて思ってもいなかった。誰かにこんな風に心配してもらえるなんて思ってもいなかった。

 それが例え、志穂に利用価値があるからだとしても、だ。


 今もまだ心のどこかで思っている。

 本当はもう死んでいて――。


「これは……夢なんじゃないか。優しい夢を見てる……だけ、なんじゃないかって……」


 クレイズの今にも泣き出しそうな目元と頬を撫でて、志穂はへにゃ……と口元を緩めた。クレイズは目を見開き、顔を歪ませ、でもすぐに優しい微笑みを浮かべた。


「いいや、今までが悪い夢を見ていただけだ」


 大きな手に髪を撫でられた。かと思うと、志穂はクレイズの胸に抱き寄せられていた。髪をそっと撫でられ、志穂はまぶたが重くなるのを感じた。

 ベッドから起き上がって自分の部屋に戻らないといけない。そう思うのに体は泥に沈んだように重くなっていく。温かくて、心地よくて……志穂は誘惑にあらがえずに目を閉じた。


 もし、クレイズが鬼だとしても、きっと優しすぎて人間を――自分を食べることなんてできないんじゃないか。ふと志穂は思った。そのせいでお腹を空かせて苦しい思いをするようなことがあったらいやだな、とも。


「……もし……もしも、必要なら……お役に立てる、なら……取って食べてくださって……構いません」


 どうせあの装置に入れられて、穴から落ちときに――いや、父とともに捕まって研究所に監禁されたときに失くしたも同然の命だ。どうせなら、最後に優しい夢を見せてくれたクレイズのために使いたい。

 まどろみの中、呟いた言葉はろれつがまわっていなくて。クレイズの耳にはっきりと届いたかどうか。それを確認するだけの余裕もなくて――。


「旦那様になら……食べ、ら……れても……」


 何も知らず、何の不安もなく、父親の腕枕で眠っていた頃のように。

 志穂はクレイズの腕の中、心地よい眠りの底に落ちていったのだった。

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