4.好機は命の危機と共に
2022年8月13日
時刻は23時ちょうど、僕は家を飛び出して満月が照らす夜道を歩く。昼間の喧騒は消え去り、耳に響くのはセミの鳴き声のみ。熱帯夜の風が頬をさする。
「...ここだな...」
自宅から歩いて約十分、商業ビルが立ち並ぶ通りに紛れ込んだ一軒の廃ビル。ここに用があった。正面は完全に閉鎖されていて入れない。真っ暗な路地に入り込み、廃ビルに入るための場所を探す。
「あった...」
廃ビルの裏手、裏口の扉の鍵が開いていた。躊躇せず入る。懐中電灯片手に荒れ切った廃ビルの調査を開始した。さて、ここに何の用で来たのか話そう。
三日前、命がけで桜花さんのスマホに仕込んだ追跡アプリが、彼女が深夜に家を飛び出したことを検知した。すぐにストーキングを開始、桜花さんはこの廃ビルの近くの公園に出現した機械生命体と交戦していた。恐らくケオスギアの構成員だ。
その機械生命体は桜花さんに追い詰められ逃走。彼女はソイツがどこに逃げたか見逃していたが......僕は、見ていた。この廃ビルだ。
この廃ビルにはケオスギア、もとい機械生命体に関する情報があるかもしれない。流石にその場で突撃する勇気はない...だから三日後の今日に来たのだ。
「にしても...荒れ放題だな」
このビルが廃ビルになったのは6年前。土地と建物の所有者が別らしく、解体が進まないまま放置されている。当然電気はついておらず、壁には下手なグラフィティや下品な落書き、床にはゴミが散乱している。不良や浮浪者が侵入していた痕跡は感じられるが...機械生命体の痕跡はない。
「怪しいものはなし...」
5階建ての廃ビルを1階から順に確認したが、ソレらしいモノは見つけられなかった。無駄足か...そう思いながら階段を降りて1階に戻る。入った場所からこの場を後にしようとした...その時だった。
「ん...?」
階段の横の壁に張られたボロボロのマップが目に入る。今いる1階のマップだ。懐中電灯で照らす。マップを見るにこの階には4つ部屋がある。既に探索済みだ。だが一つ、見落としている場所があった。
「階段下倉庫...」
それは1階の階段下に付けられた倉庫だ。階段下倉庫があるべきところを見る、そこには不自然に大量のゴミが積まれていた。怪しすぎる。
「どれどれ...」
壊れたパソコンやロッカー、机といった大きなゴミを退かすと、隠されていた倉庫の扉が現れた。だがその扉は、とてもただの倉庫の扉とは思えない、何かを隠していると主張する黒い鋼鉄製だった。
「ビンゴ!」
何かある、意を決してドアノブに手を伸ばす。
『残念だけど、そこで終わり』
夢中になっていた。釣り針についた餌に夢中になった魚のように、僕は針を見逃した。石像のように僕は静止する。可愛げのある女の子の声と共に、背後に現れた何者かが、僕の肩を掴んだからだった。
「......」
叫びたい衝動、振り向きたい衝動を抑え、肩を掴む手を目だけ動かして確認する。人間の手ではなかった、深紅の塗装がされた機械の手だった。指先にはネイルのように鋭い鋼鉄の爪がついている。
『許可した行動以外しない、勝手に喋らない、この2つを破ったら...首が吹き飛んじゃいます!』
背後の何者かはそう言いながら、肩を掴んでいた手の爪で僕の首筋を優しく撫でた。痛みもなく切り裂かれ、首から血が流れる。いつでも殺せるというアピールだ。抵抗は許されない。
『分かったら...両手をあげて、ゆっくりと私のほうを振り向いてくれるかな?』
ゆっくり両手をあげながら考える。後ろにいるのは間違いなく機械生命体、ケオスギアの構成員だ。話し合いの余地はある、今殺されていないのがその証拠だ。命の危機だがチャンスでもある。強引に冷静さを取り戻して、後ろを振り向く。
『お名前、教えて?』
「赤矢 一二三」
『始めまして赤矢くん!ここに何の用?』
振り返るとそこには見覚えのある機械生命体が立っていた。声からしても間違いない、三日前に桜花さんと戦っていたのを目撃した個体だ。
モデル体型のスタイルが整った深紅のホディ、身体中に取り付けられたスラスター、機械的な身体に反して、可愛げのある美少女の顔。赤と黒のメッシュが入ったミディアムヘアが特徴の頭部に、目元を隠すSFチックなサイバーゴーグルが装着されていた。
明らかに機械然としたサワコラとは対照的に、アンドロイドのように人に似せようとする努力が感じられる機械生命体だ。僕は彼女の名を知っている。
「ケオスギアという組織を探ってここに来ました」
『ふぅん...なんで探ってたの?』
喉仏に彼女の鋭い爪が当てられる。言葉は慎重に選ばなければならない、だが大胆に行こう。警告音を鳴らす心臓を無視して言葉を紡ぐ。
「貴方と同じ、魔法少女の敵になりたくてです...ブラッドリッパーさん」
『へぇ...私のこと知ってるのね!』
ブラッドリッパー、そう呼ばれた機械生命体は不敵に微笑んだ。魔法少女として戦っていた桜花さんは彼女をブラッドリッパーと呼んでいた。名前を呼ばれた彼女は微笑む、表情は笑っているが声は一切笑ってない。場の緊張感が増す。
『目的を言いなさい』
「だから...魔法少女の敵、もといなれるなら機械生命体になりたいからです」
『なんで?』
「魔法少女と戦いたいからです」
肝心なことは隠しているが嘘はついていない。機械生命体、もとい非日常的存在になりたいのは嘘じゃないし、魔法少女と戦いたいのも嘘ではない。サイバーグラス越しに睨みつけてくる彼女を、涼しい顔で見つめ返す。沈黙を破ったのは彼女だった。
『何で魔法少女と戦いたいの?』
「素敵じゃないですか?正義のために戦う彼女達が...ソレを負かして殺し、踏み躙りたいんです」
『えっと...正気...?』
「正気です」
『魔法少女の力になりたい、とかじゃなくて...魔法少女の敵になりたいってこと...?』
「その通りです」
『えぇ...じゃあ機械生命体になりたい理由は...?』
嘘発見器でもあるのだろう、一応信じた様子だ。しかし今度は困惑が勝ってしまったようだ。場の空気が急激に緩む。威圧的な彼女の口調は砕け、いつの間にか本当に困惑している口調に変わっていた。
「ぶっちゃけ、魔法少女の敵になれれば何でもいいんです。吸血鬼とか妖魔、怪人とかファンタジーな存在が色々いることも知ってます」
『え...じゃあ何でここに?』
「3日前に貴方が魔法少女と戦っているのと、ここに逃げ込んだのを見てました。ここを調べればケオスギアに関することが分かるかな〜という思惑で来ました。そしたら当の機械生命体に見つかっちゃったので...もうなるしかないかなって...」
『いや...そんな軽いノリで決める?』
「ならならないので帰らせて下さい、って言ったら素直に帰れますか?」
『.....無理ね、まぁ...理にはかなって...る?』
ブラッドリッパーはこめかみを抑えながら、う〜んう〜んと考え始める。人間らしい仕草だ。機械生命体にも困惑という概念はあるらしい。
『...ねぇもしかして君、ヤバい人?』
「かもしれませんね」
僕の命をいつでも奪える機械生命体にヤバい奴認定されてしまうが...何も否定できる材料がなく、僕は肯定することしか出来なかった。
「え...?」
『ん?おっと、ちょっと待ってね!』
なんとも言えない気まずい雰囲気になる、そのタイミングだった。僕の背後にある黒い鋼鉄の扉がひとりでに開き始めた。
『......了解、赤矢くん!今私たちのボスから通信があったわ!貴方には2つの選択肢があるよ!』
「教えて頂けますか?」
『1つ目はここで私に殺されること、2つ目は私と一緒について来てボスに謁見すること...運が良ければ私達の仲間になれるよ!どっちがいい?』
愚問だった。選択肢は1つしかない。
「ついて行きます」
『オッケー、じゃあ着いて来て!』
ブラッドリッパーは僕の横を通り過ぎて、先の見えない真っ暗な扉の先に進む。僕は覚悟を決めて、彼女の背中を追いかけて暗闇の中に足を踏み出した。