第8話「怖くても」
ハロワン第8話「怖くても」
適性検査室で久遠から陸へ放たれた言葉。それは無慈悲に陸の覚悟を揺らがせる。
久遠や産土――これから陸が踏み込もうとしている世界に身を置く人物達の言葉は、鉛のように陸の中へ深く沈み、彼の覚悟を試してくる―—
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今回、残酷な描写はありません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
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【――クロノス本部にて】
朝霧の読み通り、陸はクロノス本部に入ることに成功した。
勿論これには途中、産土の協力も大いにあった。彼は、陸とは「適性検査でおさらば」とでも思っている様子で、陸が本部に辿り着くまでの手続きには、意外にもすんなり手を貸してくれたのだ。その甲斐あって陸はいまここにいる。
本来であれば、ここに来るには数々の関門があり、陸には到底届かない場所だった。だからこそ、逆にこんなにスムーズに来てしまったことが、逆に一抹の不安を感じていた。
検査室までの無機質な銀色の廊下がその不安をさらに煽る。今は朝霧も産土も居ない、この無駄に白く長い廊下に、陸1人である。
掃除の行き届いた、ちりひとつ落ちていない空間でありながらも、その空間は他の場所より照明が薄く、どこか監獄のように息苦しい。冷たい廊下を進む陸の足音が響く。手のひらは緊張でじっとりと汗ばんでいた。
目の前にある「適性検査室」と書かれた扉を見上げ、彼は一つ深呼吸をする。
FANGになるための最初の試練。ここで適性が無いと判断されれば、それで終わりだ。
「……ッし」
小さく気合を入れて呟き、陸はドアを押し開けた。
室内は無機質な空間で、中央に設置された金属製の検査台が目を引く。壁際には複雑な機器が並び、無音の圧力が空気を支配していた。――そのとき。
ガサッ
微かな音がして、陸の視線がそちらへ向く。
銀色の髪がふわりと揺れ、淡く反射する光を纏っている。その姿を見た瞬間、陸の視線は釘付けになる。
死神の一人――久遠 天愛であった。
「……あんた、前に……」
それだけ言いかけて陸は言葉を詰まらせる。2年前のオーデ襲撃時――避難誘導の中、あの時一瞬だが確かに目があった“死神と名乗った青年”が目の前にいるのだ。当時は顔までは見えなかったが、その特徴的な銀髪とただならぬオーラだけが陸の中に強く焼きついていた。
そして今、陸と久遠は、真正面から対峙している。
こうして改めて見ると、こんな風だったのかと、陸は久遠をまじまじとみてしまう。久遠は思っていた以上に華奢だった。どこかアンニュイな表情を浮かべた整った顔立ちに気だるげな色気を纏っており、おまけに陸より小柄で、線の細い首や背中は中性的な雰囲気を放っている。
久遠も陸に気づき、ばっと振り返る。
薄暗い検査室の中、僅かに細める久遠の金色の瞳がヤマネコのように鋭く光った。陸は自然と吸い込まれる様にして見入ってしまう。
「……お前、よく会うなぁ……」
気だるげな声でそう言う久遠。掠れ気味の低音に、陸の胸がわずかに鳴る。
ここにいると言うことは、やはり自分で言っていた通り、彼も産土と同じ“死神”なのだろうと陸は確信する。
興味はあるが、いざこうしていきなり2人きりになると、まだ何も素性を知らない久遠に、なんと話しかけて良いか陸にはわからなかった。
だが沈黙に耐えかねて、彼は思わず口を開く。
「えっと……何してるんですか?」
久遠は一瞬きょとんとしたあと、肩をすくめて半笑いで答えた。
「……お前こそこんなとこで何してんだぁ? 自衛官」
その声には確かな記憶が滲んでいた。彼は、陸を覚えている。
だが目線はすぐに逸らし、なにやら棚をゴソゴソと漁っている。
「……適性検査を……受けに来たんです」
「……ほーん。てきせーけんさぁ……」
自分が聞いておいて、久遠は全く興味が無いような薄っぺらい相槌を打つ。気のない返事を返しながら、久遠は棚の中から薬の瓶をひとつ、取り出した。
「……その……検査は、あなたがするんですか?」
陸の問いかけに、久遠は棚から顔も上げず、けけっと笑った。
「まさか。できねぇよ、そんなもん。俺は薬を取りに来たのー」
久遠はまのぬけた感じで答えながら、「あったあった」と小さく呟き、またひとつ薬を棚から取り出しながら、リストらしきメモを確認した。
「……あいつ、どんだけ薬飲んでんだよ。ヤク中じゃん……」
ぼそぼそと文句を垂れながら、また新たな瓶を探し始めた。その口ぶりから、どうやら自分用ではなく、誰かの薬を代わりに取りに来ているようだった。
ぼんやりとそれを眺める陸に、今度は久遠の方から不意に声をかけた。
「……てきせーけんさを受けるってこたぁ、FANGになりてぇってこったなぁ?」
陸は、これがチャンスだとばかりに食いついた。何かひとつでもヒントを得られるかもしれない。そんな思いで、前のめりに言葉を続けた。
「……そうなんです……! 訳あって、どうしてもFANGにならなきゃいけなくて……ポテンシャル頼みってのは承知してますけど……その、何か……コツとか無いですか? 少しでも、適性が出る確率を上げたいんです。何でもいい。教えてください」
必死だった。久遠の目にも、確かにそう映った。
彼は、ようやく棚から最後の薬を拾い上げると、再び陸の方を向きぽつりと言った。
「……変な奴だなぁ」
達観したようなその口ぶりには、呆れたような響きが混じっていた。陸の真剣さに対して、まるで温度が合っていない。心底、信じられないという目だった。
しかし陸はここで引くわけにはいかなかった。ためらいながらも、もう一歩踏み込む。
「……死神なんですよね? 何か……助言を、もらえませんか」
するとその言葉に、初めて久遠の方からぬるりと近づいてくる。
「……っ」
二年前のあの当時ほどの威圧感はない。だが、それでも、久遠の身体から発される何か――自分より小柄な青年から発される、格の違いとも呼べる気配に、陸は思わず身を強張らせた。
久遠はじっと陸の瞳を覗き込んでくる。
「……」
「……」
沈黙。
その静けさを破ったのは、ふいに浮かんだ、久遠のへらりとした笑みだった。彼は陸の何かをまるで図り終えたかのように、その肩にぽんぽんと軽く手を置いた。
「……あんま心配すんなぁ。多分、お前には適性がある」
「!」
陸の目が見開かれる。
その言葉は今の陸にとって、思いがけない光だった。久遠の掴みどころのない態度に戸惑いながらも、確信めいた口ぶりと、彼が“死神”であるという事実が、陸の心を跳ね上がらせた。
(……今の、励ましてくれてる……のか?)
困惑しながらも、陸は素直に気持ちをこぼした。
「……ありがとう、ございます」
しかしそれを聞いた久遠は首を傾げ、嘲るように口角を歪めた。
「……ハッ、おめでたい奴だなぁ」
「…?」
陸からすれば文脈を丸無視したような、その支離滅裂なつかみどころのない久遠の態度にさらに困惑させられる。
どういう意味だ? と問い返そうとした陸より先に、久遠の目線がちらりと陸の腕の――母の形見であるブレスレットに落ちる。
しかしすぐに、興味を失ったかのように目を逸らし、彼はくるりと背を向け、そのまま無言で歩き出し、部屋の出口へと向かっていく。
陸はその背中を見つめながら、引き止めずにはいられなかった。
「それは……どういう意味ですか……?」
久遠の細い猫背に向かって陸は問いかけた。この翻弄の末に何があるのか確かめるように。
久遠は相変わらずの気だるげな口調で短く答える。
「意味ィ? そのまんまだろ」
ドアノブに手を掛けたまま、ゆっくりと陸の方を振り返る。
逆光に照らされたその表情は陰になり、目元の表情がよく見えなかった。彼の小さな口元だけがうっすら動く。
「…………適性なんか、あってみろ」
その声は低く、掠れている。
吐き捨てるようにそう言いかける久遠の声は嫌な静けさをもっており、先ほどまでとは比較にならないほどの緊張感がその場に張り詰めた。
「その先、地獄だぞ」
ぞくりと背筋を這い上がってくるものがあった。
瞳孔の開いた久遠の金色の瞳が、薄暗がりでぎらりと光った。その一瞬でまるで命を凍てつかせるような禍々しさが放たれ、陸は動けなくなった。陸より背の低いはずの久遠に、遥か上の方から見下ろされたような感覚がして身が縮んだ。
そして久遠は陸の左腕手首を指し示しながら、冷たい視線のまま呟いた。
「……そんなのしてる奴にはなおさら向かねぇ」
久遠はすごむような目線のままそれだけ言ったその言葉は、確実に陸への更なる追い打ちとなった。
久遠は動けなくなった陸を一瞥すると、手にした薬をかちゃかちゃと音を立てて鳴らしながら、何も言わずに扉を開け、部屋を出て行った。
とうとう陸は何も返せないまま、彼の背中を見つめることしかできなかった。
その後検査が始まったが、陸の頭には久遠が最後に放った言葉が、氷のように張りついていた。
***
【別日――クロノス本部談話室にて】
限られた人間だけが出入りを許されるクロノス本部の上層階――その一角にある談話室には、現在、産土、朝霧、そして陸の三人だけがいた。
「……はぁ? 適性あり?」
陸の報告を聞いた瞬間、産土は手にしていた端末から顔を上げた。
先程までソファに深く腰を沈め、長い脚を机に投げ出し、何やら退屈そうに端末を弄っていた彼が、明らかに反射的な反応を見せる。というのも――
陸がたった今、”FANGの適性あり”と正式に認められた旨を報告したからである。
「なにそれ。検査機ぶっ壊れてたんじゃないの?」
呆れたような声で顎を突き出しながら、産土は信じがたいという顔で言う。
「いや、本当に……」
陸はそう言って、手にした証明証をひらひらと見せた。クロノス本部がFANG適合者にのみ発行する、本物の証だ。
「おぉ、やったな」
それを見た朝霧は安堵したように吸っていたタバコをひょいと持ち上げる。
「ありがと……」
ようやく手に入れたFANGの称号。けれど陸の顔色はどこかくぐもっていた。
胸の内には、あの銀髪の死神――久遠の言葉がずっとこびりついており、あんなに手に入れたかった称号を手にできた今も、その心中は晴れやかでなかった。
「……のわりに嬉しそうじゃないな。どうした?」
その様子に気付いた朝霧が、タバコの煙をくゆらせながら視線を向ける。
「……いや、ほんとに良かったんだけどさ……」
言葉を濁す陸に、産土は相変わらずむすっとした顔で突っかかる。
「んだよお前、情緒不安定か」
いつもなら即座に反論するところだが、今の陸にはそれすら浮かばなかった。
その微妙な沈黙に、産土と朝霧はさりげなく視線を交わす。
陸は声のトーンを落とし、朝霧の方へ視線を向けながら口を開いた。
「……死神のこと、ここでなら……少し話しても大丈夫ですか?」
また視線を交わす二人。そして朝霧が軽く頷いたのを見て、陸はようやく重たい口を開いた。
「検査の日……前に、あんぱんに他言しない方がいいって言われてた死神と……また会って」
これまでの事情を知らない産土はぶっきらぼうに朝霧へ視線を投げる。
「……誰?」
「恐らく久遠さんだ」
「へぇー……意外な取り合わせ」
産土はやや興味を惹かれたらしい。ゆっくりと姿勢を起こし、手を頭の後ろで組み、傾聴姿勢を整える。
「その死神とは検査室で会ったんだけど……色々話してるうちに、俺には適性があるって言ってくれて……」
産土は、思い出すように俯き加減に語る陸を眺めたまま、横にいる朝霧に小さく耳打ちする。
「……本当にてんてん?」
「…………恐らく」
どちらの反応にも、“信じがたい”という色が見え隠れしていたが、そんな二人の反応は陸には知る由もない。
「……もしかして、案外いい人なのかもって一瞬思ったんだけど……。でも、その直後、なんか……すごく怖くなって……。なんていうか……殺気っていうのか、とにかくなんか凄い息苦しい感じのオーラでさ……、」
思い出しながら少し震えてしまった手を握りしめる陸の話を、産土も朝霧も続きを待つように黙って聞いていた。
「……」
陸はふと、深く息を吐く。そしてぽつりと漏らした。
「適性なんかがあったらその先地獄だって……言われた」
久遠のその言葉は真実なのだろう。産土も朝霧も、特に異論を唱えるわけもなく聞いていた。
「……嬉しそうにできないのはそのせいだと思う」
陸の中には、怖さと情けなさが半々だった。けれど、それを抱えたまま隠し通せるほど、今の自分は強くないことを、陸本人が最も自覚していた。だからこそ、目の前の強者たちに、思いきって打ち明けた。
だがその心情を、まるで踏みにじるように沈黙を破ったのは、やはり産土だった。
「てんてんらしいわー」
鼻で笑いながら呟いた。彼は死神仲間である久遠のことを、勝手に“てんてん”と愛称で呼んでいる。
まったく意外性のない想定内の展開だとでも言いたげな顔だった。
そして、鋭い視線で陸を見据える。その目は、最初に出会ったときのような冷たさを帯びていた。
「……それでビビってんのね? なら辞め辞め。今すぐ、FANGなんて辞めちまえ」
「……っ」
あまりにあっさりと突きつけられた言葉に、陸の喉がつかえる。
「全然責めるつもりもないし? FANGになる奴なんてどっかイカレテないと無理なんだからさ。お前みたいないかにも常識人なパンピーにはもともと向いてないって」
わざとらしく肩をすくめながら両手をひらひらさせながら饒舌に話す様子はどこか詐欺師のようだ。
陸は拳をぎゅっと握りしめたものの、本心を突かれたせいで、何一つ言い返せなかった。
朝霧は黙ったまま、そんな陸をじっと見ている。その眼差しすら、今の陸には痛かった。
(……あんぱんにも、根性なしだって……思われてるよな……)
かすかに肩を震わせる陸にはまるで目もくれず、産土は能天気な声で言う。
「あんぱん、めしー」
行こうぜ、と産土は立ち上がり、まるでそこに陸なんて最初からいなかったかのように振舞うのだった。
朝霧はそれでもまだ動かず、まだなお陸を見ていた。変わらず無表情な顔で指先で顎を軽く掻くその仕草が、陸にはまるで「何か言い返さなくていいのか」とでも言われているような感覚がする。
産土は朝霧がついてこないのに気づき、ため息交じりに面倒くさそうに振り返った。恐らく、次に産土に呼ばれたら、きっと朝霧も席を立ち、自分のもとを離れてしまうだろう。
口の中がカラカラに乾いていた。
産土が再び何か言いかけたと同時に、陸はようやく声を振り絞った。
「……辞められるなら、辞めたいです」
その言葉に、朝霧の目がわずかに細められる。
「辞めてもなんとかなる方法があるなら、そっちを選びたい……」
陸の視線は産土の冷たい目から逃げ、床に落ちる。
「……怖いし、不安だし、俺みたいなのがFANGになんてなれるわけないって……正直、今は思ってます。ボスや、あの死神の言葉が正しいって、頭ではわかってるんです」
その声には明らかな弱さが滲んでいた。自分の未熟さ、恐怖、そして無力感。それら全てを目の前の強者たちにさらけ出すのは屈辱的だったが、隠していられる余裕はもうなかった。
「でも……」
陸は拳を握りしめ、俯いていた顔を上げる。産土の冷ややかな視線が真っ直ぐ突き刺さったが、それでも逸らさずに、言葉を継いだ。
「でも、俺はやらなきゃいけないんです。ここで逃げたら、俺は一生後悔する。……それだけは、絶対に嫌なんです」
声は震えていた。小刻みに揺れる足で、それでも陸は必死に立ち続けていた。
「ぬるいぬるい」
産土は両手をポケットに突っ込んだまま、気の抜けた声で言い放った。
「そんな生まれたての子鹿みたいに言われても全然説得力ないんだけど」
前髪を邪魔そうに掻き分けた長い睫毛からは、闇を落とした碧眼がのぞいている。
「後悔できるだけありがたいと思え。死んだらそれすらできないんだからさ」
ずしりと重たい言葉だった。またしても、重苦しい空気が陸の全身を包む。
産土は陸を一瞥すると、ふぅと小さく息を吐きだし、部屋を出ようと再び陸に背を向けた。
「……うちに帰んな。こんな場所には居ない方がいい」
そう静かに言った産土はどこか疲れた様な、まるで宿命に身を置くしかない自分自身への後悔に染まった様な悲しい顔をしていた。しかし背を向けた産土のその表情は、他の誰にも知られることはない。
朝霧だけが、その複雑な思いを感じとったように、黙って産土の背中を見るだけだった。
そして――
恐怖と、緊張で、目に僅かに涙を溜めた陸が、産土の背中に向かって、ぽつりと言葉を絞り出す。
「…………じゃあ…なんで、あんたはこんなことしてんだよ」
「――っ」
その瞬間、産土の足が止まった。朝霧も、はっと息を呑むように思わず陸の方を見る。
けれど、産土は何も言わない。ただ、背中を向けたまま静かに立ち尽くしている。
陸は一歩だけ、産土に近づいた。
「生きてても……死ぬよりつらい後悔をしたら、意味がないんだ」
それは産土への反論だった。けれどそれ以上に、臆病な自分自身への言い聞かせのようでもあった。
産土は前を向いたままそれを聞き、僅かに肩をすくめる。
「……そうかもな」
珍しく、恐ろしいほど素直なその一言を残し、彼は振り返ることなく部屋を出て行った。
「……」
産土のその小さな声が、陸には酷く落ち込んでしまった様に見えて、言ってはいけないことを言った様な気すらした。
最強の死神にもまた、うちに秘めるものがあるのだ。