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第7話「受け入れぬ者」

ハロワン第7話「受け入れぬ者」


いよいよ朝霧が仕えるボスとの対面が叶う陸。

しかし彼は、陸の覚悟を平気で踏みにじる。

何とかして彼の専属FANGになりたい陸は悪戦苦闘を強いられる展開に――


P.S.

いよいよ、死神最強の男『産土漂』が登場します。

顔面国宝&煽り性能高すぎな、爆イケ系です。

実際居たら絶対仲良くなれないですが、彼のセリフはたま~に書いてて爽快になる時があります^^


――――――――――――――――――――――――――――――

残酷な描写はありません。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

【ユートピア内地にて】


ボスとの待ち合わせ場所は、ユートピア内地にひっそりと佇むカフェバーだった。


“死神との待ち合わせ”というのだから、一体どれほど仰々しい場所に連れていかれるのかと想像していた陸だったが、連れてこられたのは、表通りから一本奥へ入った小道にある、隠れ家のような小さな店だった。それだけで少し安堵する。


もう古くからあるのか、表にぶら下がった味のあるブリキの看板には『Voyage』と店の名前が示されていた。

入口の小さな扉はツタ植物に覆われており、注意していなければ通り過ぎてしまいそうなほどひっそりとしていた。

朝霧はそんな外観に迷う素振りひとつ見せず、当然のように取っ手を引いて中へ入っていった。

陸もそれに続く。


一歩店内に足を踏み入れると、鼻腔をくすぐるのは焙煎されたコーヒーの豊かな香り。

洒落た音楽が静かに流れ、外の喧騒とは隔絶されたように穏やかで心地よい空間が広がっていた。

朝霧は顔なじみなのであろう、カウンターでグラスを磨いていた年配の店主に「うす」とだけ短く挨拶して通り過ぎ、当然の様に一番奥のソファ席へと腰を下ろす。

陸もその後に続き、「こんにちは」と小声で店主に頭を下げた。


朝霧は自然な流れでソファ席の”下座側に”どかっと体を預けながら、陸のスペースを残すように奥へずれる。


「長旅、お疲れさん」


言われてみれば、急な招集だったため陸たちはここへ来るまでに七日間、ろくに休むことなく最高速度で移動を続けてきたのだった。

こうして約束の地に無事到着すると、疲労が実感としておりてくる気がした。


そしてやはり改めて思うのは、陸ひとりの力では、クロノスどころかユートピアの地にすら辿り着けなかったのだということだ。

FANG(ファング)である朝霧の通行証と、導守(しるべもり)とのアポイントメント――

このふたつの“特権”があったからこそ、通常の市民交通証しか持たない一般人の自分も、各区の関門を突破できたのだ。


「色々と、ありがとうございます」


陸は改めて朝霧に礼を言う。

朝霧はテーブルの端に置かれたメニュー表を手に取り、ひらりと陸の方へ差し出してきた。


「ほれ、好きなの頼め」

「っす」


差し出されたメニューには、見慣れない銘柄がずらりと並んでいた。

コーヒー、紅茶、緑茶から各種果実ジュースに至るまで実に様々な飲み物が記されている。

見慣れぬ銘柄に、メニューの上を陸の視線が行き来する様子を、朝霧はいつのまにか取り出していた煙草を咥えながらじっと見ていた。


「ここのはどれを頼んでも外れない。どれもこだわりの一級品だ」


その口ぶりに、この店をよく知る者の自信が滲む。

その頼もしさに、陸も少しだけ安心しながら、何気なくたずねてみた。


「ドクターのおすすめは、ありますか?」

「知らん」


朝霧は全く悪びれる様子もなく、さらりと即答する。


「……え?」


思わずそう突っ込みたくなるような予想外の解答に陸がぽかんとしていると、朝霧はメニュー表の一番上にある項目を指でトントンと叩いた。


「俺はそのへん鈍いからな。いつもブレンドしか頼まない」


「……」

(じゃあさっきのセリフはなんだったの……)


「さっきのはボスの受け売りだ。ここのセレクトに惚れ込んでんだと」


それを聞いて陸は妙に納得してしまう。

確かに、目の前のこの男は、食や趣味といったものにすこぶる関心が薄そうだ。というより、およそ何事においても、こだわりというものがないように見える。


「……なるほど……じゃあ、俺もそれにします」


二人は程なくして注文を済ませ、定刻を待った。

陸はふと、店内を見回す。

一つひとつの調度品や内装にまで店主のこだわりが感じられ、まさに知る人ぞ知る名店といった風情があった。席の近くの窓は一部がステンドグラスになっており、そこから差し込む陽光は、店内に色とりどりの光の筋を描き出している。自然でありながら計算されたような、そんな心地よい空間。


ここが好きだというボスは、一体どんな人物なのだろう、と定刻が近づくにつれて陸は緊張感を高めていた。

一方の朝霧は悠々とした様子だった。定刻までもう3分前を切っているというのに、ふっと煙を吐きながら余裕の様子だ。


「ボスは、時間ぴったにならねぇと来ねぇから。平気だ」


完全にリラックスしきって、構える気配すらない。


(……ほんとに、来るんだろうか)


陸一人が、緊張と疑問が入り混じる中――遂にその瞬間が訪れた。


控えめにカランと扉のベルが鳴り、引き締まった形の良い長い脚が悠然と踏み入れられる。

姿を現したのは、スタイリッシュな黒のトランクを引いた長身の男性だった。

店に入るやいなやサングラスを外し、店主の方へ軽く挨拶を済ませると、待ち合わせの相手を探す様に店内を軽く見渡す。店内を見渡す仕草には、隙がなく、堂々たる気品が漂っていた。


さらに驚くべきことに、その横顔はまるで彫刻のように端正で、遠目からでも分かるほど恐ろしく整った顔立ちをしている。身長は190近いの長身で、黒のハイブランドのレザーウェアが全身を包んでいる。

ミルクティー色の髪はフロントウェーブマッシュで、まるで今しがたセットしてきたように決まりすぎている。もはや街中の誰が見ても芸能関係の人物かと見紛うほどだ。


(……まさか、あの人が……?)


陸は思わずごくりと唾を飲む。

このタイミングでの登場。この存在感――場を完全に支配するような威圧感のある佇まい。

そして案の定、朝霧はその男に向かって手をひらひら振った。


(やっぱ、あの人が…………?!)


朝霧のボスで、死神最強――産土 漂(うぶすなひょう)

思考が追いつく前に、陸は立ち上がっていた。直立不動の姿勢で、自衛隊仕込みの角度で頭を深く下げる。


しかし、当の産土は陸に一瞥すらくれず、そのまま上座のソファへどかりと腰を下ろした。

陸を丸無視して朝霧に親し気に話しかける姿勢は、彼の傲慢さを知れるには十分であった。


「顔色いいね、あんぱん。はしゃいでんの?」


たったそれだけの短い言葉なのに、その声には軽薄さと余裕、そして妙なカリスマが同居していた。

“あんぱん”という呼び名が、まさか朝霧に対するものだとは、陸はすぐに理解できなかった。


(あんぱん……どのへんが……?)


陸には全く不可解な違和感しかない呼び方だったが、呼ばれた朝霧もそれが当然の様に会話を続けている。


「あぁ、夢が叶う日だからな」


(……夢? プロジェクトのことか……?)


朝霧と陸はここ一週間ほどずっと一緒に居たはずだが、彼の夢の話などまだ一度も聞いたことは無く、その発言にも陸は一瞬戸惑う。

だが、考える暇などない。

入店してからわずかな短い出来事だが、これまでの振る舞いややり取りだけで、産土という人間の軽薄さと図太さがこれでもかと伝わってくる。


陸は、ここでひるんではいけないと腹をくくった。


「はじめまして。自分、篁陸と申します。不躾で申し訳ありませんが、自分も護衛に加えてください。体力だけはありますんで、きっとお役に立てます」


一息で言い切り、再び深々と頭を下げる。

横で朝霧が煙草に火をつけながら、さらりと言葉を添えた。


「訳あって一緒に来たいんだと。いいだろ?」


その瞬間、産土の表情が明らかに変わった。端正な顔の眉間に深い皺が刻まれる。


「……なに、あんぱんの隠し子?」


その軽口に、朝霧はふっと鼻で笑い、全く動じることなく淡々と会話を打ち返す。


「そう見えるか?」


産土は背もたれに体を預け、腕を組んだまま長いため息をつくと、顎を引きながら朝霧を睨み返す。


「……冗談でしょ?」

「いや? 大マジ」


産土は相変わらず陸の存在がないかの様に目もくれず、あからさまに怪訝そうな顔を朝霧に向けている。まるで存在として認識されていないかのような、圧倒的な無視。

長めの前髪から覘く産土の三白眼の碧眼は、近くで見ると氷の様な冷たい威圧感が漂っており、その眼差しの冷たさに、陸の背中に一筋冷たい汗が流れた。


「だめか?」


そんな強烈な目力に晒されてなお、朝霧は全く動じることなく、煙を吐きながら尋ねる。

不穏な空気を察すると、陸はさらに言葉を加えた。


「足手まといにはなりません。報酬も要りません。どうか、同行させてくだ――」

「あんぱんは何でこんなずぶの素人連れてきたの?」


陸が言葉を最後まで言い終わる前に、産土の声が被さってくる。

ばさりと長い睫毛が揺れ、その影に沈んだ瞳の奥には、微かな怒気と、底の見えない不快感が漂っていた。


「こいつなりに戦う理由がある。そんな深く考えずに、俺が一人増えたと思ってくれりゃいい」


朝霧はこれに慣れているのか、全く動じた素振りはなく、淡々と答えるだけだった。

ただの火遊びとでも言いたげなゆるい温度感で、戦場に人を連れてくることすらも正当化してのける。


「あぁそうだ、ボスのもさっきオーダーしといたぞ。今日はいい玉露が入ったらしい」

「……」


唐突に挟まれた脈絡のない一言など耳に入っていないかのように、産土は朝霧を睨む目を一切緩めない。

完全に朝霧のペースだ。目の前の死神最強が剥き出しの敵意を向けているというのに、平然と煙草をくゆらせている。


その空気の張りつめ方に、陸は思わず息を飲んだ。

しばしの沈黙ののち、朝霧はカウンターの様子を一瞥し、まだ店主が来そうにないのを確認すると、声を潜めて言った。


「オーデに感染したバケモンと武器無しでやり合ってる。素人だが、センスあるよ」


それでも産土の表情は変わらなかった。

むしろ端正な顔立ちが静かに歪み、不快感と苛立ちが明確に滲み出る。


「……素人が戦場に来たって、秒で終わりだっての」


吐き捨てるようなその言葉に、陸の胸が一瞬きゅっと縮まる。

だが、朝霧は引かない。


「それもそれで、こいつの選んだ人生だ。俺たちが気にすることじゃないさ」


なぁそうだろ、と朝霧は隣の陸の肩をたたく。


すると次の瞬間、ついに産土の視線が、初めて陸に向けられた。

その目は氷河の闇よりもなお冷たく、ぞっとするほど凍てついた光を湛えていた。

その一瞥だけで、首筋をナイフでなぞられたかのような殺気が走る。

本能的にその場から逃げたい衝動に駆られる。

しかしだからこそ視線は逸らせない。そらしたら最後――その刹那に喉元を食いちぎられそうだからだ。


そして産土は、朝霧に決して向けることのない冷酷な声音で、はっきりと陸を突き放した。


「想像もできていないくせに、死を簡単に想定するな。死んだら何の意味もないってこと、分かってないでしょ」

「……っ」


その言葉に、陸は思わず息を詰める。

つねに危険な任務と隣り合わせの死神が言うからこそ重厚な言葉。

長年命の最前線に立ってきた者にしか持ち得ない重みがある。


だが、陸はその物言いに――どこか癇に障るものを感じていた。

つい数日前、母親を亡くしたばかりだ。

眠るように冷たくなった母の手の感触は、まだ手のひらに焼き付いている。


(……俺にだって、分かんだよ)


胸の奥に、静かな怒りがふつふつと沸き上がってくる。


しかしそんなことは無視するように、産土はさらに言葉を重ねた。


「一万歩譲ってさ、着いてくるのは勝手だけど、いないものとして扱うから。こっちは遊びでやってんじゃないの。お前みたいなあまちゃんに、命なんか預けられるわけないのよ」


それだけ言って、産土は再び陸に興味を失ったように視線を外した。

完全な拒絶。

無視。

最悪な雰囲気が漂う中、朝霧は産土の目を一切気にすることなく隣の陸を一瞥して言った。


「おう、着いてきていいってさ。よかったな」


しかし朝霧とは裏腹に、陸の心中は心底穏やかではなかった。

初対面の相手に噛みついても仕方ない――そう思いかけたが、それでも収まらない。

どうにも腹の虫が治らず、産土の憎たらしいほど麗しい顔をギロリと見返す。


(……どうせ、もう断られはしない。だったら――)


その瞬間、陸の態度は、先ほどまでの低姿勢から一変した。


「分かりますよ。俺にだって」


抑えた声。だがその奥には、静かに煮えたぎる熱がある。


「……あ?」


ソファにふんぞり返ったまま、産土が再び睨む。


だが陸はひるまず、席を立ち、ゆっくりと彼の正面まで歩み出た。

目の前に立ち、見下ろすように仁王立ちになったその姿に、さすがの産土も一瞬、目を細める。


「分かってますよ。死ぬことが、どういうことか。……遊びに来たわけじゃない」


産土の視線を真っ向から受け止めて、震えを悟られぬようにしながら陸は話し始めた。


「先日、病気で母を亡くしました」


朝霧がゆっくりとタバコをふかしながら、黙って様子を見ている。


「母は、俺の手を握りながら、兄弟ふたり元気で生きていってほしい――そう言い残して逝きました。つい少し前までまだ微弱にも息があって、動いてたのに……いつの間にか、目の前で、完全に止まりました。冷たくなった手の感触、いまでも、鮮明に覚えてます」


陸は言葉の通り、当時の感触を感じながら右手を強く握りしめた。

すると不思議と力が湧いて、震えがとまっていた。

その勢いに任せ、陸は続ける。


「行方不明の兄に会えずに終わった母の最期の願いを、聞いたのは俺です。だから俺がやらなきゃいけない。俺がやるしかないんだって分かるんです」


産土への反論のつもりが、半ば自分への鼓舞になっている様な言葉。

陸はそれを追い風にして言葉を続ける。


「俺は、あの家に兄を連れて帰らなきゃならない。……だから、簡単に死ぬわけにはいかないんです」


いつもの調子を取り戻した陸の弁論に、朝霧は満足げにわずかに目を細めながらタバコをふかした。


「あなたが、俺に命を預けたくないのと同じように、俺だってあなたのために犬死にする気は、毛頭ありません」


陸はそう言って、ぐっと産土に一歩近づいた。

その目を覗き込むようにして、言葉を続ける。


「俺は、俺の目的のために、あなたを守って、そして生きて帰ります。“いないもの”として扱ってもらっても構いませんが、妙な意地やプライドは捨てて大人しく守られてくださいね」


視線を外すことなく、陸は最後に一礼し、低く、しかしはっきりと言い放った。


「あなたがまたここに戻ってくるその日まで、俺は今日からずっと、あなたの横に居ると思いますので、どうぞ今暫くの間、宜しくお願いします」


深々と頭を下げる。

かろうじて頭は下げているが、その下から除く陸の瞳は明らかに好戦的だった。

一歩も引かぬ強い目。産土の冷たい視線に、真正面から応えるその光。


口元でくゆらせた煙の間から、朝霧は「ひゅー」と小さく口笛を鳴らした。


「聞いてもねぇことぴぃぴぃ喋んなよ。頭痛くなんだろ」


産土は小指で耳をかきながら、煽るような口ぶりで言い放つ。

対する陸も、今はそれを黙って受け流せるほど冷静ではなかった。


「あれ……聞こえてたのか?」


わざとらしくそう言いながら、陸は産土の手を握手するようにして取った。


「よかった。なにしろこっちは“いないもの”として扱われてる身だからな。聞こえててよかったよ、ほんとに」


その挑発的な態度に、産土は握られた側の手で陸の手のひらを裏返す。


「……武器もろくに握ったことないんでしょ」


そして顔を近づけ、間近で睨みつけるように陸の瞳を覗き込みながら、こう言った。


「ぷにぷにで赤ちゃんかと思った♡」


わざとらしく目尻を下げ、馬鹿にしたような笑顔を浮かべる産土に、陸は露骨に怒りを募らせる。


緊迫した空気を破るように、店主がオーダーを運んできた。

店主の姿を陸の背後に捉えた産土が、バッと彼の手を振り払うようにして、二人の不穏なやり取りが一度そこで断ち切られる。

店主はまるで何事もなかったかのように静かに、玉露とコーヒーをテーブルに置いた。


「……お待たせいたしました。ブレンドと……入手したばかりの玉露になります。なかなか、いい味ですよ」


こなれた雰囲気でそれとなく説明を手短に済ませ、店主はすっと身を引いた。その去り際すらも、どこか洗練されている。

それには産土すら、「どうも」と軽く返す。横柄な彼にしては、数少ない丁寧な対応だった。


朝霧は灰皿に煙草を押し付け、余裕の笑みを浮かべながらコーヒーをひと口含む。


「見たとこ歳も近そうだし、仲良くしろよ。これから長い付き合いになるんだ、ずっとこうなのもしんどいぞー」


産土は鼻で笑うようにふっと息を吐くと、目の前の玉露に目を落とした。

スリーブ付きの透明グラスに注がれた液体は、まるで薄い翡翠のような色合いだ。湯呑みではなく、あえてガラス製というところが、この店らしい。

グラスに触れようと両手を伸ばすも、温度を確かめてはまたすぐに手を引っ込める。


「事前資料には目を通してる」


朝霧は「ここ2人ともな」と、隣に戻ってきた陸と自分を交互に指差しながら言った。


「秘匿情報もへったくれもないね」


産土は吐き捨てるように皮肉っぽく返す。


「すまん。道中で見せねぇのも不自然だったもんでな」


淡々と言ってのける朝霧は微塵も反省していない様子だ。

産土は呆れたようにこきっと首を鳴らすと、気怠げな視線で朝霧を見やる。


「……ていうかこんなパンピー、どうやって本部に入れようとしてんの? 普通に考えて無理でしょ」


ただでさえ不機嫌そうな彼は、グラスを持ち上げようとしては熱さに触れて断念し、そのたびに眉をひそめた。


「……っつ!」

「そりゃ、ただのパンピーならなぁ」


含みを持たせた朝霧の言いっぷりに、産土はジト目を向けている。

朝霧はそんな視線を意に介さず、顎で陸に合図する。


「見せてやれ、肩の傷」


陸は一瞬たじろぐ。

公共の場で、多少とはいえ服を脱ぐのは少し抵抗があった。

しかし話を進めるためにはそうする他なく、なるべく露出が少なくなるように工夫して、肩の傷を見せた。


「……」


ケロイド状に腫れ上がった赤紫の跡が、痛々しく、明らかに異常だった。

それを見た産土の瞳が、一瞬だけわずかに揺れる。


「こいつにはこれがある。もう一週間は経っちまってるが、間違いなくオーデの力によるものだ。こんな直接的なサンプル、“研究熱心な”本部のお偉様は、喉から手が出るほど欲しいと思うがね」


朝霧は勝ち誇ったように言い放つ。

これには産土も対抗の術がなかった。


「……」


なんとなく言いくるめられたような気がして、虫の居所がさらに悪くなる産土は、頬杖をついたまま鋭い視線を再び陸に向ける。

未だに慣れない産土の鋭い視線に、陸は思わず息を呑む。


「あ」


不意に、産土が何かを思い出したように目を見開いた。


「……適性検査は? もうやったの?」


陸に問いかける。


「……適性検査?」


初めて聞く単語に、陸は思わず朝霧の方を見やった。

産土も同じように、問いかけるような視線を朝霧に送る。


しかし朝霧は――まるで「これは完全に盲点だった」というような顔をしながら、ばつが悪そうに頬をぽりぽりとかいた。


「あー……」


一言呟き、


「忘れてた」

「はぁ……?」


これには産土も、ここぞとばかりに片眉を思いきり吊り上げて、やや身を乗り出した。

どうやらこれは、かなり重大な問題らしいことを、陸は二人のやり取りから察した。


「すまんすまん……まあ、うん、頑張れ」


朝霧は雑なフォローとともに、ぽんと陸の肩を叩いた。

一方の産土は、「なんだよこの茶番」と言いたげに舌をべーっと突き出し、呆れ顔で天井を仰いだ。


「検査もまだでメンチ切ってたのかよ」


陸は、突然降って湧いたこの圧倒的不利な状況に、恐る恐る口を開いた。


「……適性検査って、なんですか?」


その問いに、産土は「お前ぇが説明しろよ」と言わんばかりに、顎で朝霧を指す。

つられるように、陸も自然と朝霧に目を向けた。


「……あー……FANGの適性があるかどうかの身体検査だ」


不安げな陸の表情に促されるようにして、朝霧は渋りながらも説明を続ける。


「FANGってのは、任務の前にV.A.M(ヴァム)って呼ばれる特殊な薬を摂取する。任務中、一時的にフィジカルパワーの最大値を断続的に引き出せるようにする薬なんだが……まあ、ぶっちゃけ劇薬でな。身体への負荷は絶大で、体質に合わないまま摂取すれば、最悪死ぬ」


「……その薬に適性があるかどうかの検査ってことか……」


陸はじわじわと話を飲み込み、深刻な面持ちになる。


「適性って……出にくいものなんですか?」

「……まあ、ポロポロ出るもんじゃねぇな」


そう言う朝霧の横で、産土は椅子にだらしなく座り、膝をがっと開いて貧乏ゆすりをしている。

しかしこの窮地に、陸はその威圧的な態度すら目に入っていない。


「……努力でなんとかなるものじゃなくて、完全にポテンシャル勝負?」

「その割合は……でかいな」


朝霧は包み隠さず、正直に答えた。


「そっか……」

「……まあ、見たとこいけるだろ。フィジカル強いし、それに若いしな」


それは励ましのつもりの言葉だったが、未知の薬物と“適性がでないかもしれない”という絶望的局面に晒された陸には、どうしても気休めにしか聞こえなかった。


産土は相変わらず玉露のカップに口を近づけ、熱に細心の注意を払いながら、慎重にひと口すすっている。「……どうすんだよこの空気」と言わんばかりの目線を、ジト目で朝霧に視線を送っている。


それに気づいてか、朝霧は軽く咳払いをし、またしても陸の肩を叩いた。


「……まあ、そんな深刻に捉えすぎずに。まずは受けてみようや」

「そうですね……」


陸は力なくうなずくことしかできなかった。

空気を変えるようにして、朝霧は産土の方に居直った。


「……全体での会議は、たしか五日後だったよな?」

「それが何か?」


産土は肩をすくめ、興味なさげに答えた。


「明日本部入りして検査を受けさせる。で、会議までに結果をバックさせる……それでいいな?」

「ご自由に」


産土はどうせ無駄だとでも言いたげに、手をひらひらと振って適当な素振りを見せる。


「……何か、成功率を上げるためにできることは、ないですかね?」


不安げにそう尋ねる陸に、朝霧は煙草をくわえながらぽつりと言った。


「……そういや、FANGには自衛官出身者も多い」


それを聞いた陸は、知らぬ間に下がってしまっていた顔をふと上げた。


「平気さ。とりあえず、それ飲んで落ち着け」


陸の目を見ながら、背中を押すように朝霧が頷く。

陸も、それもそうだなと素直に頷き返し、自分のコーヒーに手を伸ばし、一口すする。

そして―—


「……うっま……!」


思わず漏れた感想に、二人の視線が同時に陸へ向く。

グラスを持ったまま、陸は驚いたように目を丸くしていた。


「俺、こんなうまいコーヒー、生まれて初めて飲みました……」


その言葉に、産土の眉がピクリとわずかに動く。

彼はすぐに表情を整えたが、朝霧はその一瞬の変化――産土の唇の端がほんの少しだけ上がったのを見逃さなかった。


「……ボス、嬉しそうだな」

「はぁ……!?」


見事に図星を突かれて、あからさまに取り繕うように眉間に皺を寄せる産土。

だが朝霧はにやけたまま、陸の方へと視線を戻す。


「俺がバカ舌だからって、連れてくる甲斐がねぇっていつも言ってんだ。違いがわかるやつが出てきて内心喜んでんだよ。良かったな、ボス」

「あぁ……」


陸は朝霧の解説に少し安堵した雰囲気で納得したように頷き、産土の方を向いて言う。


「うまいっす」

「……知ってるわ! てか、あんぱん、余計なこと言わないで」


そう返しながらも、どこか恥ずかしげな産土。

その姿が、陸の目にはほんの少しだけ“普通の人間”らしく見えた。


(今なら、少し話せそうだ)


そう思った陸は、恐る恐る会話を試みる。


「なんとなく、ドクターが仕えてる人って聞いてたから、もっとこう……めちゃくちゃ厳つくて怖そうな人が出てくるのかと思ってたんですけど……。案外、普通っぽくて安心しました」


朝霧は愉快そうに鼻で笑い、ふっと息をつく。

一方、産土は一向に飲み進めていない玉露のグラスを両手で持ち上げ、いまだ熱さを確かめるようにして慎重にすすっている。


その姿に、思わず陸の口元が綻ぶ。


「……まだ飲んでるんですね」

「繊細なんだよ。……もうちょい待っとけ」


つっけんどんな言い方をする産土。

朝霧はそっと陸に耳打ちする。


「……ボス、猫舌だから」

「聞こえてますー」


産土はジト目で睨むように朝霧を牽制する。

ふてくされたようなその仕草に、陸は少しだけ親近感を覚え始める。


「そういえば……“あんぱん”って、どうして“あんぱん”なんですか?」


ふと思い出したように、陸が尋ねると、産土が手をひらひらさせながら答えた。


「どっからどう見たって、あんぱんおじさんでしょ」


その口調には、説明する気はさらさらないという投げやりさが滲んでいた。


「逆になんで、ドクターとか呼ばれてんの?」


不機嫌そうに目を細めながら、今度は産土が朝霧に鋭い視線を飛ばす。


「さあ……なんでだっけな?」


しかし当の本人は全く気に留めてない様子で、とぼけたように首を傾げる朝霧。

まるで他人事のようなその態度に、陸は少し呆れながらも笑ってしまう。


「最初、俺が噛まれたときに処置してくれたし……それにあのときは、医者だって言ってたから」

「あー……そうだったか」


朝霧は相変わらず興味なさげに相槌を打ちつつ、視線をグラスに落とす。

そのゆるいやりとりにもすっかり慣れた陸は、ふと口を開く。


「俺も、“あんぱん”って呼んでいいですか?」


なんか、可愛いし――陸の顔が少しだけ、リラックスしたようにほころぶ。


「おう。好きに呼べ」


朝霧はそれを見て、どこか安心したように目を細めた。


そして産土はというと――依然として飲み進めていない玉露を、まだ丁寧に啜っている。

相変わらずつまらなそうな表情でそのやりとりを眺める彼だったが、その目には心なしか最初のような冷たさは無くなっていた。

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